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大日貴

脳の場所

「娘役のOSK」って言いますけど今はもうちがうような気がします。それは娘役の質が落ちたとかいう話ではなくて、昔のOSKの娘役って「可愛らしい奥さんになりたくて結婚してみたらダンナサマがすこし甲斐性がなくてついバリバリ働いて子供も育ててるうちに女社長になっちゃった」みたいな感じだったじゃないですか(ちがうか)。今はもう出だしからして「アタシは好きなように生きるのカレシは好きだけどー奥さんとかムリー家事とかむりむりー子供とかありえんてぃーバイトもだるいし社長なにそれ美味しいの」みたいな感じになっていて、自由に生きられるという点でそれもまあいいんじゃないのかと。そういうのだって今どきのしぶとさみたいなもんで、昔とは別種のオンナノコの強さだと思います。ただしそれを取り囲む装置がわりと昔ながらの機構なもので、今どきのオンナノコの強さが浮いてみえるということはある。ただその取り囲む機構もさいきんは建て替えに入ってるみたいだしこれからしっくり行くんじゃないですかね。さてここに載せましたのは横目好きな私が選んだOSKの娘役スターのやや横目のお写真ですが、ここに出した人が「ありえんてぃ〜」なギャルなわけではないです。でも昔ながらの「娘役のOSKの娘役」でもない。きれいでいいですねー。


思ひかはしてまた横目する事なく

ポスターの写真とか舞台写真で「なぜこの写真を選ぶ」と思うことがよくあって、というかそんなんばっかしで、私がかっこいいと思う表情や角度ってのはあんまり多数の需要がないらしい。私が好きなのは「横目」で、こっちを見てるんじゃないやつ。

というわけで撮可の『レビューJAPAN』で撮った写真で、スター様が好きな顔をしているもの2点。


おにのさうだん

『鬼ノ城』は、あらすじを読んだ段階で、というか日本中に散らばる鬼伝説から考えても失敗するわけないストーリーで(千年以上も人口に膾炙して練り上げられ単純化され完成した「おはなし」だ)、異人が哀しくもその本性を露わにして滅ぼされざるをえない、と想像しただけで泣けるではないか。それもその鬼を桐生さんがやるっていうんでしょう。涙なくしては見られませんよ。……と思ってたのにどうしてああなった。

私が想像してたのは、悪者の奸計にかかって愛する妻を殺された、やさしい異人。妻の亡骸を抱き上げて泣く。やがて固まったように動かなくなる。静かな嗚咽が徐々に恐ろしい咆哮となり、顔をあげると髪は逆立ち目は燃え盛る炎のような金色に光り口からは血を吐くように呪詛の言葉を吐く鬼に変貌している……みたいな場面だったんですが。異形であればあるほど可哀想である。そしてかっこいい……!

それが、おめえの女房誘拐したったぞーどうせ死んでんぞーとかチンピラみたいなやつにゲヘゲヘ笑いながら言われたら唐突に(いや、唐突なんだけど、やけに「準備完了」的な段取りも感じさせる)鬼になって暴れだすから、私はこの場面見て「……。こんなアブナイやつは早めに退治しておくが吉」と思った。嫁さんの死体見つけるまでこらえろ。

はやみ作品におけるつっこみどころや考証無視は、私はいちいち気になるほうだ。とくに、カッコつけようとして背伸びしたセリフを言わせてるその言葉が間違ってるとことか(今回だと「大逆罪」とかな)。バカみたいなのでよせ。と言いたいけど、芝居ってのは結局は「なぜその人物がそういう行動をとるか」が納得できれば、そしてその行動に感情移入できればいいのだ。鬼になって人を殺戮しまくる。恋の恨みがこじれて王権奪取しようと目論む。そんな気持ちを自分のもののようにわからせてくれる、というのが芝居の醍醐味では。その醍醐味の前にコトバや考証の間違いなど何ほどのものか。

その醍醐味がないんだこの『鬼ノ城』は。鬼は哀しみよりアブネーと思っちゃうし、主人公のイサセリさんもなー、出自にいわくがあるようなことを匂わせて、なんか秘めたる力もありそうな感じで、辺境を行く貴種流離譚〜〜〜な、設定は盛りすぎるほど盛ってある。で、正義感にあふれ洞察力もありそうで「温羅(うら←鬼さんの名前)と会ってみたい話がしてみたい」とかいってる割に、トコトコ歩いて「うらーうらー、どこだー」って呼ばわってるだけ。やっとみつけた温羅は鬼みたいになってる。こここそ話しどころだ! ……なのに鬼とは話す気もなさそうにさっさと戦闘態勢に入ってるし。頭悪そうでイヤになる。イサセリの子分、とくに犬、アンタ温羅をさがしてて見つけて温羅が鬼になる理由から何から見てるのに(これを物陰から見てる、ってのも意味がよくわからん)ぜんぜん報告もできてなくてそのせいでどれだけいらん人死にが起きたと思ってんだ。私が鬼ならまずこいつからくびり殺す。ここで私はつい『闇の貴公子』を思い出し、異人が鬼に変貌するという、そこまでの流れがちゃんと納得いったよなああっちは、「鬼の話とはそういうもの」と開き直ってこっちもそういうふうにしてほしかったなあ、と思った。こっちは、意味のない行動をさせてすっきりしない展開になる。だめだと思う。

望月上道という右大臣が、なんか大王の大后といわくがあるらしく、それが原因で王権転覆を狙っていて、温羅を陥れるのもみんなこの上道が糸を引いているワルなわけです。その割に台本上でたいした書き込みがなくて、そのせいでいい意味でひっかかりがなく、でも見終わった時に残る「小悪党」感。これを見る前に、「あの上道の役を大貴さんがやったらどうだっただろう」と言った人がいて、そのつもりで見てみたけど、大貴さんがやったところでたいして役には深みは出なかったであろう。誰がやったってあれはつまらん役。ということは誰がやってもあれはできると思う。とてもカンタンな役。最後に悪事がバレて瀬戸内海の女木島に流される、が、そこで「オレは負けない一旗揚げてフッフッフ」、みたいな独白で芝居は終わるのですが、10年ぐらい前に女木島に行ってみたことがある。すっごいのどかでノンキな感じの島で、そのノンキな島でブイブイ言わせて最後までフッフッフと言ってる上道の姿が想像されて、楽しい気持ちになった。余韻は余韻でもそりゃ別の余韻だろう。

さらにそのあと、温羅さんが出てきて「いやーコワイっすね人の心には鬼がいますよね」的なトークをしはじめたから目が点。なんなんだこれ。武生のルパン三世が渡り鳥の説明する「かんべんしてくれトーク」再び。そんなところで北林作品の真似をしないでいいよ。最後にそういう説明つけるなら(つける必要ないけど)(そういえばこの芝居、何かあるたびに、たとえば温羅が鬼になった場面に、「温羅は、鬼に、なった」とかいう録音ナレーションがいちいちかぶさるという謎仕様だった。視覚障害者向けとも思えず、これもまたバカみたいな演出だ)、おとぎ話の鬼の話を聞いて怖がる子供に、鬼の真似をして哀しい話をしてやりながらふと遠い目になる温羅(にそっくりに見える男)、とかの場面ぐらいにしてほしい。

ここまでは台本と演出の話。あとは演技がなあ。全体的に「いつもと同じ」。想像以上のものが何もない。役者に、こちらのイマジネーションを超える何かを出させるのは作品の力だ、と思いつつ、こういつも通りでは……まあ……作品がよくないんだとは……思うんだけどねえ……。


ジュリエット殺人事件

舞美りらはジュリエット役者じゃない、と書いたけどその一文だけだと「娘役としてダメ」って言ってるみたいなので少し説明する。彼女って本質は「線が太い娘役」ではないか。お姫さまとか可憐な少女とか、一見似合いそうだからよくそういう役をやるけれど、なんかいつも同じである。その役の前に「ふといまいみりらー」ってのが出てくる。体型じゃなくてね。森茉莉が結婚したてのダイアナ妃を見て「太い性格だ」と言い切っていてい笑ったことがあるがそれと同質の太さ。芯が強い、のではなくて芯が太い。そして舞美ちゃんがいちばん得手としてないのは演技で、太い性格なのに線の細い繊細な役やらせるとうまく演じられずどれも同じになっちゃう。今回のジュリエットも事前に「舞美りらがやるならこんなんだろーなー」と想像した通りのものが出てきた。「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの」なんて今どきコントでしか聞かれないセリフを、いっしょうけんめい言ってたけど、やっぱコントみたいだったしなあ。カンタレラのルクレツィアも同じ。ただし途中で人が変わって何かに取り憑かれたようにチェーザレを責め立てはじめたところだけ「人が変わってルクレツィアになった!ルクレツィアの魅力がやっとわかった!」……のだけど本来はそこは「人が変わってルクレツィアではなくなった」とこなのよね(^_^;)。『プリメール王国物語』は、人形の役をやっている時は人形だから心が繊細とか細いとか関係なく人形らしくて魅力的だった(春のおどりのときの人形もよかったな、そういえば)のに、人間の心を取り戻したら火が消えたように魅力が薄れてしまった。結婚式の時にダンナは「あれ……オレが好きだったのはこの子じゃない……けどもう言えない」ってなったんじゃないの、と見ながら笑っていたものです。舞美ちゃんは、美しく繊細な少女は似合わないんですよ。ぱっと見た目は可憐な少女だからって安易にやらせてはいかん。舞美りらをジュリエットにする、と決めたのなら「OSKのロミジュリ」は別なキャラ設定にすればよかったのに。2つの家がいがみあってて両家の子どもが恋愛する、という軸さえありゃロミジュリとして押し通せるんだから。……っていっても劇団員のことをあんまり知らない(だろう)上島先生にそれはむりか。

舞美ちゃんはどういう役が似合うのか。ふてぶてしくてツンケンしてるけど、ほんとは寂しがりの女の子とかな。あ、これ『刑事X』のマリリンか。あれは魅力的なキャラになってた(へんな統合失調症とかいう間違った設定があったけど)。あとはなー『蒲田行進曲』の小夏とか。スカーレット・オハラもまあいいかもしれん。ってぜんぶ宝塚でやってる演目じゃん。とはいえそういう役をヒロインにやらせる作品をすでにやってる宝塚はえらいと思わないわけにいかない(スカーレットは男役がやるけどな)(といいつつ『風と共に去りぬ』も『銀ちゃんの恋』も見たことはない、のでどんなふうになってるのかは知らない)。舞美ちゃんはじゅうぶん見る人の心を動かす芝居をできる。でも役を選ぶ。芝居を見るからには心を動かされたいではないか。だからキャスティングはよく考えてほしい。


悲劇って何

OSKのロミオ&ジュリエットを見てきた。つまんなかったなあ。きれいだったけど。音楽もまあまあきれい(でひっかかりがない。良い意味でも悪い意味でも)。ロミジュリってこんなにバカな話だったのか、ってのはよくわかった。で、そのバカな話をそのまま提出しましたという舞台でした。ということは、この舞台でいちばん言いたかったことは「世間では美しい悲恋のように言われていますがこれはバカな話です」ってことなのか。まあちがうでしょうねえ。死体とダンスの場面はよかった。工夫に思えるのがそこぐらいだったのが。フェンシングの殺陣がもたもたしてるように見えるのはたぶん振付のせい。でも全体に下品に流れることなくゆーったりと話が進んで、これはセリフがいらなかったんじゃないか。なぜかというとみんな芝居がいまいちだった。「お芝居をやっています」みたいな。だから話がバカなのがますますきわだっちゃったかな。あと舞美ちゃんはジュリエット役者じゃないと思う。しかし楊ちゃんもジュリエットに惚れてるように見えないロミオでしたなあ。でも見た目がきれいだったからそこは助かった。きれいなのがいい人にはいいと思えるだろう。


桜花王

桜花昇ぼるファーストコンサートについて、見た人といろいろ話をしていた時に、「何があってもあの時のあれがあるから、みたいな拠り所」というコトバを聞いてハッとなった。そういうヨリドコロがあるから何かを信じて(信じたくて)それを見続ける、というのである。

たとえばHKT48については、九州7県ツアーの福岡サンパレス夜を見たことと、KIVのシアターの女神公演を見た(いつのだ)のが拠り所で、音楽でいうとEGGPLANTでボアダムズを見たのとアザーサイドでアフターディナー見たっていうのが拠り所な気がする。じゃあOSKでは? 2004年の松竹座秋のおどりと2006年秋のおどりの日舞と2007年春のおどりを見たことだろう。それが心の拠り所となってOSKを信じている。一つにしぼれというなら、「OSKが最高に美しかった時」の2004年秋のおどりでしょうか。2004年の秋の桜花ちゃんの顔が大好きだった。

桜花昇ぼるファーストコンサート第一幕で、“You Do Something To Me〜ララバイ・オブ・ブロードウエイ”を歌う。ここが2004年秋のおどり第二部の『ニューヨークの秋』の音源を使っていて、「これは感慨深い、いろんな思いがぐるぐるするぞ!」と思ったら案外そうでもなかった。それよりも『桜花抄』のほうがじわっときた。『桜花抄』は次の世代の松竹座作品で、私はその次世代には文句ばっかり言っているけれどちゃんといい曲だってあるのだ。あたりまえのことに今さら気がつく。

このコンサートの、二部のほうはちゃんとつくってあったけど私にひっかかる曲が見事に一曲もなくて、それもまた桜花ちゃんらしいなあというか、私がひっかかるような曲をやるほうが驚くかもしれない。一部ではOSK時代の曲が並べてあり、途中で秋月さんの鶴の舞の話(BGMつき)をしはじめて、何かあるかと思ったらぶちっと終わって何もなかったように次に行ったので思わず「エエッ」と声が出た(^_^;)。これ、きっと桜花ちゃんが、どうしても秋月先生のお話を入れたい、と強く願ってのことなのではなかろうかと勝手に想像している。ここはひとさし舞ってもよかったんじゃないかな。白装束じゃなくても、黒燕尾でも真っ赤な変わり燕尾でも、たとえ大羽根背負って金襴緞子でも鶴、それでも良いのが桜花昇ぼる。

見終わってからしみじみと、OSKで、退団してからも舞台で活躍する人は桜花昇ぼるただ一人だろうなあと確信する。真琴つばさがトークで言ってた、『わが歌ブギウギ』で奥さんになったユリーを見て「ほんとにきれい、すぐ女優さんになってやっていける」って、その当時、私もだんなもMちゃんも揃って同じこと言ってたよ! 真琴つばさ話が合うよ! って誰でもあれ見たらそう思うよね。明治座で細雪の妙子役とかやりながらシャンソンのコンサートを開く桜花ちゃん。見てみたい、んではなく、たぶんやっている。同時に講談でEテレのサブカル番組にレギュラーで出て、春夏秋冬真田幸村もやってるな。全力で。


『LEGEND 愛の神話』inたけふ菊人形

前の劇場が取り壊され更地になってしまうと、もうすっかり前の記憶も更地です。新しい劇場は、ロビーの感じとか、和歌山市民会館みたい。中もまさにそんな感じなんだけど、幕があいて照明が入ると松竹座みたいだった。舞台装置がここしばらくの松竹座公演を担当してる人だし、電飾や照明もホールのきれいさに相まって照度が高く、あと客席からの舞台の高さも似ていて、真ん中には高世麻央さまが立ってるし、ぼーっと見てると松竹座と変わりない感じです。ただしピンスポットの当て間違いなどがちょろちょろあって笑う(笑いごとではない)(でもそれが武生)。

『愛の神話』はニコ生で見たよりはマシな気がしたけど、やっぱり生で見ればこその生々しいダメさもあって一回目見終わって「うーむ……」となったが、うーむと思ってもそんなにハラはたたなかったな。なんでかなーと考えると、北林先生はいつでも「これこそ私の美意識、これこそ私の世界」とグイグイくる。それがこっちの趣味と違うとほんとに拒否反応がきて「こんな趣味のわりいもんのどこがいいんだよ!」と怒りが抑えきれなくなるところ、今回はそんなにグイグイこない。肩の力が抜けてるのかしらん。

と思ったけどたぶんそうじゃなくて、肩の力じゃなく、そもそも力が入ってないとみた。

・暗い中から白くてひらひらしてる人の群れからゼウスが出るオープニング→
・堕天使(だけどデウスさまには無関係)の話→
・ルパン三世(と言ってはいかんらしいですよ奥さん)の宝石泥棒→
・ヤマトタケルと白鳥と黒鳥の話→
・デュエットダンス→
・フィナーレ→
・パレードで終わり

っていう構成で、この、すでに見た感というか押入れから出してきた感もたいがいですが、そこはいい。北林先生は、だいたいいつもこんなネタばかりです。それが芸風ともいえる。独参湯というものかもしれん。で、いつもならそれでグイグイくるはず。毎回同じようなネタであっても、いつもならもっと複雑に混ぜて境界線をぼかして化学反応を起こしてふしぎな香りをたたせて客をアチラの世界へ連れていくわよフッフッフ、それがわたし北林佐和子の術なのよ(グイグイグイ)、てなもんです。それがこの『愛の神話』にはない。ただネタを並べてるだけ。でも「暗転は悪」の北林先生ことだから間を有機的につながないといかん、景と景がとろけあい融合させなきゃ! というわけで登場するのが、

★白いひらひらゼウスが退場したら唐突に黄色いひらひら変わり燕尾で歌謡曲歌ってトークして「次は堕天使のコーナーです〜」っていうナゾの司会者みたいな桐生麻耶
★幻想的美形堕天使が流した涙の宝石を取って「ウヒヒ宝石ゲット〜♪」と唐突にルパン三世場面になだれこませる桐生麻耶
★何やってんだからわからないドタバタのルパン三世コーナーを終わらせるためにひとり残って客席に降り、唐突に鳥の話をはじめてヤマトタケル白鳥伝説に苦しそうにつなげる桐生麻耶
★クマソの怨霊みたいな黒鳥のカッコのまま、キンキラ衣裳のデュエットダンスをにっこり迎え入れなきゃならない桐生麻耶

とまあ、ぜんぶ桐生さん。ツナギの苦しいとこ丸投げですよ!
桐生さんは一生懸命です。このザツな構成の欠点をすべて背負って一生懸命。2番手の役者がやらされる仕事じゃないけど、「やるからにはやる!」のが桐生麻耶。でもさすがにルパン三世からヤマトタケルにつなぐ渡り鳥話はきつそう。というか聞いててきつい。ルパン三世から途中で桐生麻耶になる?戻る?あたりが苦しい。先生がここをどういうふうにしたかったんだかわからん。……というか、何かしたかった、ようにも思えぬ。つまり投げっぱ。先生もお忙しいでしょうから投げるのはいいとして(よくねーよ!)それがぜんぶ桐生さんてのも手抜きの上塗り。つなぎの4箇所、桐生さんがやるなら1つが限度だよ。といってどれを選ぶ、となっても困るぐらいどこもしょーもない(ある意味難易度高い)ツナギ役なんだよな……てことは、たとえば虹架とか、たとえば華月、武生だし穂香と下級生娘役でコンビとか、そのへんにツナギ役を振ったとして、震えあがるようなヒドイことになった可能性が。とすると、考え抜かれた桐生さんのツナギ4箇所登板なのか。……ちがうよ!

最初のナゾの司会者みたいなとこ、あれは麻央さまがやるといいかもしれない。あの手のご挨拶は似合う気がする。今回麻央さま全体に(出番のことではなく)仕事してる感が少なめなので、あそこで出ればお客さん喜んだかも。わートップさんじゃー、って。

いろいろ言ってるが去年のYUKIMURAとくらべたら今年のほうがいいかな(そう言ったら怒られた)。去年は盛大に腹が立ち不愉快になったからなー。今年がいいとは言わんけど、去年よりは心穏やかに見られるかも。イスの座り心地もいいしね。ひさびさの黒燕尾の群舞も、使ってる音楽が、シアターBRAVA!でやった『バロン/WonderStage JoyfulJoyful』の、フィナーレ前群舞の曲と同じで、あっちは白燕尾に黒シャツでちょっともさっとしてたのでこっちの黒燕尾のほうが見た目は良い。最後のほうになると下級生が入ってグダグダになっちゃったが、まあやってるのが下級生だからこれから良くなるでしょう。

どこの場面か忘れたけど、麻央さまがすごく美しい、木原敏江のマンガのようにステキなところがあった。堕天使の折ちゃんの顔がきれい(衣裳はなぜああなった)。黒燕尾の桐生さんの、後ろ結んでるオールバック黒髪が、何かに似ててかっこいいんだよなー何に似てるんだっけと「オールバック黒髪後ろ結び」で画像検索したらEXILE系が大量に出てきて「ちがうー(T_T)!」となる。そんなんじゃなくて、古いイギリス映画みたいな……何百年続いたお屋敷の、ミイラみたいな老主人を戴く陰鬱な大家族に仕える執事でさ、絵に描いたような忠実な執事なんだけど実はその家族を影で支配してる、みたいなさ。一瞬でもそういう想像をさせてくれたからよしとするか……でもとにかく桐生さんの便利づかいには強く文句を言っておく。

すう


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