ブルックリンパーラー大阪の愛瀬光スペシャルライブ(with城月れい)。よかったですよ。上手でドラマチックで品が良い。ほんと、良い。良いであろうことはもうメンツ見ただけでわかるじゃないですか。ただ、この、「良いであろうことは見る前からわかってる」というところにこのライブの弱点があったかも。それは「自分たちのやりたいことをやることの限界」というのもあるのだけど、ここで言うのはそのことではない。
見る前からわかっているとはいっても、見て驚いたことはあって、OSKミュージカルメドレーで『カンタレラ』から『友情の歌』と、『ROMEO&JULIET』から『運命〜心の叫び〜』ってのを歌ったんですよ。それがいい曲でびっくりした。私はカンタレラもROMEO&JULIETも劇場に見に行ったが「まあ、つまんないかな」という感想しかなく、曲なんかも忘れてた。こうしてあらためて聞かされて「……こんないい曲あったっけ」と驚いている始末。
そうなんですよ、自分が大好きで「これはサイコー!」という公演でも、頭から尻尾まで見てれば「つまらん場面」「趣味に合わない場面」はあるもので、「これキライ」「つまんねーぞ!」という作品だって「良いところ」はあるのだな。それにしても『友情の歌』というのは素晴らしい曲だった(曲タイトルがいかにもつまらなそうでソンをしている)。発掘ありがとうございました。
同様にして私は椎名林檎とその曲を蛇蝎の如く嫌っているのだが、この二人が歌ったらそんなイヤでもなかった。フラットに音楽を聴くということの重要性と難しさよ……。このようにいくつもの城月、じゃなくて気づきをくれたライブでありました。
で、このライブの弱点というのは、良くも悪くも、「まとまっていて破綻がなかった」ってことじゃないか。80点。合格点。そういうライブ。OSKに於いてそういうライブは貴重だけど、これが続いたらやる方も見る方も徐々に疲弊していくと思う。それは内容の良し悪しとは別の話で。
(「見てるだけで満足な劇団員」がいればそれでもいいんだろうけど)
(でも、私にとっての「見てるだけで満足」な大貴さんが出てても「ありえん」作品はナンボでもあった。世界館の『On-Line!』とか、客席で情けなくて泣いたですよ……マジでえぐえぐ泣いたよ……でも主題歌は悪くなかったですが! フラットに作品を見る重要性を愛瀬ライブで城月ましたので)
BP大阪では基本、出演者に作らせるライブのようなので、愛瀬光とか城月れいとか、あとは華月奏や桐生麻耶みたいな「自分のやりたいことを持っている、実力のある劇団員」が自分で作ると、こういうのが出来上がるんだろう。しかしたとえば、愛瀬光と城月れいのリサイタルというものがあったとして、会場はどこがいいかなー、そうですね、大阪なら旧大丸心斎橋劇場あたりで、なんでも希望叶えてくれるっていうなら塩屋の旧グッゲンハイム邸なんかで、愛瀬さん黒燕尾、城月さん白ドレスで弦楽四重奏をバックに歌う、それも今まで聴いたこともないようなセットリストで、なんて想像するだけでうっとりするわけですよ。見たいなー。しかしたぶんそれは実現しない。このライブを見ているとそう思ってしまうのだ。それは彼らの実力がどうとか、志がどうとかいう話ではなく、「BPでライブをやることの意味」をOSKの運営会社はどう考えているのか何も考えてないのか、現状、能力のある劇団員は自分のできる最良のことを無理なくやる、ことが正解になっているので、結果的にハコに支配されてしまっているのである。ハコの中から動けない。(前に書いた『DIAMOND★GUYS』は、「ハコに支配される」のと「ハコを支配する」パワーが完璧に拮抗していて、それは翼の力量でなし得たものであるが、やはり「ハコの中から一歩も動け(か)ない」感は強かった)
ここは会社が、このライブのデキを見て、何が足りていて何が足りないかを見極め、足りないものは人材なり資材なり適切に投入した上で、年に一回ぐらいはどっか別のハコで、自分たちの売り物にちがう額縁をつけて展示をしてくれと思うものです。それで95点とか130点とか、あるいは55点なんて恐れもありますがそれでもやることに意味があり、やらねば先に進まないので。しかしそこには先立つものが必要なわけだが、カネを儲ける為には先行投資というものがあり、それこそがそういうことなのでは。今あるもので回していくだけでは縮小再生産しかない。まあ好きなことを言っております。
]]>BP大阪で愛瀬光スペシャルライブ(with城月れい)の11時半公演を観てから武生に移動して15時公演を観るぞー、それで一泊して翌日の10時公演観て帰るぞー、と計画して、楽勝だろうと思ったらどうも厳しい。事前に「愛瀬ライブは50分」と、どこから聞いたのか私が一人で思い込んだのか、とにかく12時20分にライブが終わり、といっても数分はなんだかんだで延びたりするだろうけど、会場から駆け上がり(地下にあるので)御堂筋を渡って地下鉄心斎橋を32分に出る千里中央行きに乗る。BPから駅まで5分ありゃ楽勝だろう。新大阪でこだまに乗り換え時間が9分も楽勝。米原で降りてしらさぎに乗り換え、武生に14時47分着。新幹線使って米原回りじゃないと15時公演に間に合う時間に武生にたどりつけない。サンダーバードだとちょうどいいのがなくて15時半とかになるんだよ! 米原回りは900円ぐらい高くつくがそれぐらいなんだ。
しかし愛瀬ライブはぜんぜん50分で終わらないのであった。早く終わってほしいというわけではない。ないのだが、12時24分ぐらいに「次が最後の曲なんですが」といってトークが繰り広げられている時に背中にいやな汗が流れた。いや、ライブはよかった。しかし脂汗が。ライブが終わり駆け上がって駆け下りてホームについたら32分の千里中央行きのドアがちょうど閉まったところであった。次の新大阪行きは6分後。泣いても笑ってもそれに乗るしかないのだが、そうなると乗り換え時間が3分。けっこう遠いんだよな地下鉄から新幹線まで。しかし考えてもしょうがないので乗って降りて走ってホームに駆け上がったらこだまの乗車ベルが鳴りだしたところであった。セーフ。はあはあ。疲れた。いやライブはよかったんですよ!
武生で下車してタクシー乗って文化センター。開演5分前ぐらいにすべりこむ。2年ぶりの武生公演であるがぜんぜん2年ぶりという気がしない。去年来たよな?って感じだ。いやもう、武生はいつも武生。いつもの席にいつもの人が座ってるし、BP大阪なんかとはまたちがった、常連の世界がどろどろと渦巻いている、が、BPとちがって会場は広いので、そのどろどろの渦巻きが発生してる場所を避ければ(見ればわかるので避けるのは容易い)別に問題はない。でも私もつい「前のほうで見たい」とかいって渦の中に飛びこんじゃったおかげで、訳知りのおじさんファンが「〇〇ちゃんがケガしたのは□□と△△のとこでバーンとぶつかってなー□□はゴツイからのーバーンと行ってもうてなー」なんてしゃべってるのを聞いてしまい(もちろん真偽はわからないことです)、他にも「☆☆ちゃんとはトップ娘役になろうと約束した」とか濃い話が途絶えることがなく、ヤバイ、これは面白すぎる。耳に全力入れて聞いてたけど開演で場内暗くなったので静かになった。
武生公演『Be The Spark!』はよかったですねえ。前に武生で楊ちゃんが座長やった『OSKシンフォニー』の時にも、客席で舞台見ながら「きれいだなー。松竹座の舞台見てるみたいだわー」と思ったというのがあって、ある程度の広い舞台で、それなりの制作陣でつくられた舞台を与えられると楊ちゃんは気持ちよさそうに美しくなれるのだわ、と前から言ってたけどダメ押しで確認させられたですよ。ある程度ってのは最低で武生ぐらいの規模の劇場。ほんとに「大舞台スター」なんだな。大舞台で美しいスターというのはなかなかいないもんで、とても良い。公演内容も、暗転が多かったりすると鬼の首取ったように批判しまくる私が「暗転か……まーいいんじゃね?」で流したし、それ以外にもいつもならネチネチつっこみそうなところも「まーいいんじゃね?」で流したし、舞美ちゃんがバレリーナやってる『ガーシュインメドレー』はここ数年の楊・舞美で出色の場面じゃないかと思った。
それで終わって会場出て、ホテルに荷物置いてから午後にならないと開かない喫茶店で一人茶をして、餅菓子屋にいったら店は開いてんのに誰も出てこなくて餅が買えず、その後別の菓子屋で草餅2個買って、栗きんとんを1個、と言ったら「栗きんとん3つ?」「いえちがいます。草餅2つ、栗きんとん1つ、ぜんぶで3つ」と訂正して買う。それ持ってぶらぶら歩いて武生に行く時はいつも行くタイ料理屋で一人メシをしてホテルに帰る途中で夜の越前市役所を見てたまげた。すっかり新しくなって、なんか光にあふれる美術館みたいになってるではないか。これはすごい。でもこの建て替えとかの実務をやったと思われる市長は十月の選挙で落っこちてしまったのだった。そしてホテルに帰ってきて菓子の袋を開けたら栗きんとん3つ入ってんだ。なんか支払いする時高いような気がしたんだけど浮かれてたから確かめなかった。
てあれほど言うたやろ! やられたチキショー。翌日の楊ちゃんもキレイでした。愛瀬ライブについてと舞美りらについてのくわしい感想は後日。
]]>どうして「この目で確かめる」とか言ってるのかというと、『DG』で流れてくる撮可タイムの画像や動画が私の好みじゃなかったからだ。しかし撮可タイムは全体の一部分だし全体見たら印象変わるかもしれないし。それで見てみたら、印象が変わった。正直、若手男役の見た目に頼ったやっつけみたいなショーだと思ってたんです。そんなことはなかった。BPでやってる公演の中じゃ、構成とか振付とか、けっこう上位に来る作品なんじゃないのか。しかし、全部見ても私の趣味には合わなかった。それは私に合わなかっただけなので、そのことはいい。そうじゃなくて、この『ダイヤモンドガイズ』で考えさせられたのは翼和希のことです。この公演の座長。
ダイヤモンドガイズの翼を見て私はすっかり感心してしまい、以後「翼プロ」と呼ぶことに決めた。
翼プロはすごい。圧倒された。しかし、圧倒されつつ、考えこんじゃったですね、OSKのスターがBPの公演に出ることの意味を。
私はずっと前から「楊琳はBP公演に出てはいけない」と言っていた。で、楊ちゃんとは別の意味で「翼プロはBP公演に出てはいけない」と思いましたわ。楊ちゃんはBPではさえない。松竹座ならあれほどいいのに。BPに立たせてたら楊ちゃんの美をどんどんすり減らしていくからもう出てはいけない。それに対して翼プロ、まるで不動明王の如くBPに君臨していた。歌もダンスもステージングも、髪型(曲によって細かく変えてくるのだがそのさりげなさがすげえ洗練されていた)、衣裳の着こなしから表情のつけ方、目線の飛ばし方に至るまで、はっきりいって、
である。さらに、顔がきれい。目に力がある。瞳に常に光がある。体全体からエネルギーが湧き出て、もう背後から炎が吹き出るような存在感だ。快慶作の不動明王が醍醐寺にあるが、DGの翼を見ながらあれを思い出していた(もっと似てるのは、高野山の運慶の制多迦童子)。
この人は男役にしては小柄だが、小柄だからこれだけ炎を吹いてるのだと思う。怒りや闘争心や自信や野望が深紅の火炎となって放射されてるんだ。
と、このようにすごい「プロ」の名に恥じない翼和希。でも見れば見るほど、「BPにカッチリ収まってる……」。それでいいのか?
これって難癖だろうか。たぶん私がBPというハコを、ほんとはOSKがやるべきハコじゃないと思ってる、ってのもあるんだろうけど。だから楊ちゃんがBPでさえないと、どこかで安心してるのかも。君の舞台は松竹座だよ、檜張りの舞台だよ、と思うから。BPが、ある時期の世界館みたいに、OSKにとって大切な場所だろうというのはわからないでもないので(とくに、若手の劇団員にとって)、BPでいいとこ見せるのは当然だし、客としてもいいパフォーマンス見たい。そして翼プロのDGにおけるパフォーマンスは文句のつけようのないものだった。でも、たとえば『Every Little Stars(3rd)』で感じたような、BPの天井や壁がふっと透けて世界がひろがっていくようなものを、私は求めてるんだな。BPをBPではなくしてしまうようなものを。DGの翼プロは、BPという厨子の中に収まった不動明王みたいだった。重文級の素晴らしさではあるのだが。でも「BPなんかでそんなことやってる場合じゃないだろう」と思っちゃう。勝手なことを言っております。翼プロはどんなハコでも自らの厨子化する能力があると思われるので、それなら松竹座を厨子にしてくれよと思う。それを見せつけられて喝采を送りたい。その前にまず武生か。
]]>時代小説を読んでいたら濡れ場になった。濃厚なものではなく、侍と女が布団に倒れ込む程度であるが、なんだかやたらと色っぽかった。それというのも、女が侍にすがりついて、
って言ってたからだ。
この「お情けを……」というのは、女か女役(衆道などの)が言う台詞であり、「女(役)のほうからやってくださいと頼む」時に発せられる。「やってくれ」じゃあんまりだから婉曲、かつはしたなくない表現を追究してこの言い回しができたとみる。
この台詞、別の小説でも読んだし、時代劇映画でも聞いたことがあるし、時代劇劇画でも見たことがあるので、ある時期まで「ふつうに使われる言い回し」だったと思われる。最近はめっきり見ない。字面だけ見ればあっさりした平凡きわまりない言葉なのに意味は深い。意味深とはこのことか。
こういった美しい言い回しを今こそ蘇らせよう、と言いかけたところで立ち止まる。
お情けを「い た だ き た い」?
なんでそんな下手に出るんだ。なんかこれだといかにも女(役)の立場が下みたいでイヤ。SDGsとか言ってるこの時勢、あらゆる場面で対等でありたい。これもいつか呼んだ時代小説に出てきた、
と言い回しは、いかにも双方とも対等でポジティブな感じがして良い。これからはこっちを推したい。
あるテーマで原稿を依頼されましてそのテーマで二つのネタが思いつき、両方とも書いて送ったところ(本当なら自分でちゃんと選んで1本送るのがスジなのですが)こちらではないほうが採用されたので、採用されなかったほうをここに載せました。たぶんこっちは落選するだろうなあとうすうすわかってたのですが。
]]>まあふつうに考えて「プロパーじゃない人間がやるのはいかがなものか」ってのがあるし(だから、振付家が演出をやることにも私は反対です)、それ以前に今OSKが(OSKに限らないが)ライブを出演者につくらせるのはひとえに「経費節減」だもん。自給自足でがんばってくれみたいな。でも、そんなことより、「劇団員が自分で構成演出することがよくないことであるいちばんの理由」は、
だな。これ、すごく陥りやすい穴だと思う。「やりたいことをやる」、なんだかいいことみたいじゃないですか。でも出演者に自分のやりたいことやらせるとたいがいつまらんよ。これは経費をかけてる公演でもそうで、松竹座公演だって「トップスターの希望を容れた」というあの公演やこの公演が「……」だったということを思い出すでしょう。やりたくないことをやらせろ、ってんじゃないが「自分が思いつかないことをやらされる」ほうが面白いものになる。
(自分でつくって良いものができる場合も皆無ではない。最近だと麗羅さんの卒業公演ですね。あれは「自力最高峰」)(だからといって自力に甘えるのは間違いだ)(画像は内容と関係ありません)
(でもこんな画像見てると、かっこよきゃいいじゃん、という気持ちもわいてきたりするのである)(いかんいかん……)
Instagramのほうについ長文を書いてしまった。
(↑これ埋め込むためのソースがすんげー長いんだけどわざとやってんのかInstagram社は)
Instagramに長文は書きづらいし読みづらいし、長い話はなるべくこっちに書きます。でもインスタじゃ長くてもこっちじゃ短いぐらいだよな……。
そのインスタで書き切れなかったこととして、『Delight』は「クラシック音楽をアレンジしたショー」だったので、ださい曲があんまりなくてよかった、でもクラシックならこんなのもあんなのも聴きたかったなあああという不満も残った。『モルダウ』を歌う城月さんがとても良かったので、「あああこれならモルダウよりもっとぜったいいいはず……!」と思うのが、
いいよー、これを城月さんが歌うのが。帰ってこないんだよペール・ギュントはいつまでも。それで髪が真っ白くなっちゃっても待ってるの帰ってくるからきっと、という歌。城月さんの清純なドラマを今こそ聴きたいのであります。
そしてだ。
桐生さんに歌ってもらいたいとずーっと思っていたのがこれですよ。『Delight』の初演で『展覧会の絵』使ってたのにどうしてこれ歌わないワケ!と10年以上にわたって文句言ってるんだ。
桐生さんの歌声で聞こえてきそうだよ。きっとこういうのうまいぞ。つーか、私が聴きたいんだよ! このアレンジに載せたプロムナード。
で、クラシック中心の楽曲、ということで日本歌曲を入れたのはすごいいいと思うの。でもカラオケ屋音源丸出しの安い伴奏アレンジじゃ哀しいじゃん『荒城の月』……。と思ってアレンジがいいのはないか探したら「スコーピオンズの荒城の月」とか「セロニアス・モンクの荒城の月」とか出てきてたまげた。けどやっぱどうもイマイチなんよね。『荒城の月』のかっこいいアレンジを募集します。
って、もう終わってるし。ええと、翔馬くんに日本の歌曲ならこれ歌ってもらいたいな。
小学生の妹がいて、寝かしつけようとしたら自分も一緒に朝まで寝ちゃった、とかトークで言ってたよ。似合うよこの曲は!
あと、私が城月さんにDelightで歌ってもらいたかった曲がもういっこあって、
それはケイト・ブッシュの『Violin』。動画は貼りつけませんので検索でもして聴いてみてください。クラシックの曲じゃないけど、バイオリンのことを歌った歌だから許して。
]]>リフトで拍手するの。これがイヤなんだ。
いやそれがほんとにOSKの決まりなのかどうか知りませんし、へんな決まりなら守るいわれもないわけだが。私だって、とんでもない凄リフトなら拍手も惜しまないが(人間風車みたいなやつとか……って、それじゃ終わっちゃうよ!)、ただ持ち上げてクルクルする程度で拍手なんかすんな。つーか、リフトで拍手する人たち「歌劇ってそーいうキマリでしょ?」みたいにやってるんじゃないの。その安易な空気がガマンできん。
そして開演アナウンスでトップスターや主演スターが名前を言ったら拍手するやつ。
そういえば2004年の『春のおどり』、OSKが解散〜存続から66年ぶりに松竹座で春のおどりをやる!という記念すべきこの公演、スターによる開演アナウンスがなかった。松竹の場内アナウンスで「横澤英雄作・演出、レビュー春のおどり、桜咲く国、ルネッサンスを開演いたします」ってやってたのである。実は私はこれが好きだった。「なんか松竹っぽい」と思った。あの、ちょっと暗めの女性の声で事務的なアナウンスがあって暗くなってチョンパ、ってのが「これが宝塚じゃなくてOSKだ!」とか思った。でもそういう私は少数派だったようで、翌年に大貴さんが開演アナウンスで「NewOSK歌劇団の大貴誠です」って言ったのを聞いた大貴ファンはみんな喜んでました。
で、こないだの『夏のおどり』。楊ちゃんのトップお披露目公演だしまあ拍手もしょうがないよなーと思いながら初日、場内暗転。そして楊ちゃんの声が開演を告げる。……拍手なかった! 曲が始まってから入るタイプの開演アナウンスだったけど、そういうのでも入る時には盛大に入るので、ここで拍手が入らなかったのには理由がある。
からです。「OSK日本歌劇団の、楊琳です」の後に間をおかずにすぐ次の言葉を発してたから。これ、「楊琳です」のあとに一瞬、「間」を入れたらドバーンと拍手が来るのよ。主役が舞台のど真ん中で思い入れたっぷりに客席を見回す→ドーン!→盛り上がる、みたいなそういう間。コンマ2〜3秒ぐらいなんだけど、その拍手間があるとドーンと来る。べつにそうしたっていいのに、楊ちゃんはやんなかったのよね。公演後半になったらムリヤリ拍手してる人もいたけどどうも盛り上がらなかった。間がないところにやっても、うまくはいかないものだ。だからなんなのかというと、「そうか楊ちゃんも開演アナウンスの拍手は要らない派なのね、と私が勝手に思っている」というだけの話でした。
]]>