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大日貴

Overhead the albatross…

武生の初日を見にいきましたー!
初日に見にいくのって何年ぶりだろ。初日の特別感ていいですね。菊も初日にはまだ満足に咲いてないし菊人形も骨組みだけだったりしますけど、開会式の日となると「サイダーの栓を抜いた瞬間」といいますかシュワシュワと希望があふれてるようなといいますか、素晴らしい未来がひろがってる気持ちになれる。ま、サイダーみたいにあっというまに気も抜けるわけですが。でもその気の抜けた寂寥感も悪くない。秋ですから。若いころは秋は特徴ない季節だと思ってましたがこのトシになると身にしみますね。でも、今回は、事前調査怠りなく、うまい餅菓子屋を調べておいて草餅とオハギを買って食べたから大丈夫です。

武生に行くのはOSKを見るためです。前に「やっぱり菊人形だし」と思って福島の二本松菊人形てのを見にいってみたけど申し訳ないがひとつも面白くなかった。OSKやってないからなー。
さてそのOSKですが、私はここ5年ぐらいのOSK公演で「総合的にいちばんよかった作品」だと思ってるのが、一昨年の武生、桜花ちゃんが織田信長やったやつ、あれなんですね。といいながらあの時のショーってどんなんだっけ、ってすでに思い出せない有様ですが(あ、今思い出した、居酒屋源さんのサラリーマンくだまきダンスか)、なんせ「桜花昇ぼるの信長様の、ワケわからんまでのかっこよさ」が素晴らしかったので。あとは緋波亜紀扮するところの明智光秀が「ふっ」と「信長に対して切れた瞬間」を見せてくれる凄みとか。幼女のお江は……その……まあ……まあいいか。でもとにかく出演者が「ひぃー、かっこいいー!」と身悶えできる、歌劇として素晴らしい作品だったんです。

で、今年は桜花、緋波を配しまして『武生の鼓太郎 〜愛と友情のレジスタンス〜』なわけです。オリジナル作品で別に歴史上のダレソレとかの話ではない。事前情報として、「水戸黄門の監督が作・演出」「本格的な殺陣」というのがあり、それなりにいろんな想像をして初日初回の公演に臨みました。

芝居が終わった時(つまりまだ公演前半が半分終了した時点であって舞台は続いている)に誰か知り合いが隣に座ってなくてよかった。言いたいことが別府地獄谷温泉のごとく吹き出すところだった。しかし左隣は通路で、右隣はおばあさんだったから私の吹き出したい気持ちはなんとか体内に収めた。
あらすじや扮装写真など見ると「お芝居、武生のご老人にはイイかも……」という話もあって、それを聞いて「ベタな時代劇みたいなのはなー」と思ってたんだが、武生のご老人にウケるも何もあなた、初日の一回目も二回目も、私の周囲のご老人たち爆睡! これが武生の老人にウケるって言い草は、いくらなんでもあまりにも武生のご老人をバカにした話ですよ!(まあ、武生のご老人はブラック&ホワイトでガシガシに踊ったって寝る人は寝るけど)

あまりのことに、気がついたらショーのほうは半分ぐらい終わっちゃっていた。いかんいかん、ちゃんと見なきゃ、と姿勢を正しても次に芝居見るとどうしてもいろいろ頭をぐるぐるしてまたショーを半分ぐらい見逃す。ある意味すごい芝居なのかも……。
何かといえば腹をたてるネタを探して生きているような私が、そういう意味ではあんまり腹は立たなかった。最初は「もしかしてこの作者は、少女歌劇なんてこんなもん、とテキトーにやっつけ仕事でこんな芝居にしたのか?」と思ってボーゼンとしてたんだけど、五分もたたないうちに「いやちがう、これは大マジメにやっている」ということはわかった。

文句はある。歌詞のこなれが異様に悪い、ってのは慣れてないのだろうからしょうがないとしても、ストーリーにカタルシスがない。スカッとしない。三十分ぐらいでチャンパラ活劇勧善懲悪、ならカタルシスがあってナンボだと思うのに、それがない。時代劇の人がつくったっていうから、「この紋所が目に入らぬか!」「ははーっ(平伏)」みたいなスカッとくるラストがあるのかと思ってたら、あるにはあるが微炭酸。というよりも気が抜けたサイダー。ベタでもなんでもいいからスカッとさせてくれたら一定の人は喜ぶと思うんだけど、あれじゃ武生のご老人も寝るわなあ。
(という話をうちのだんなにしてたら、時代劇好きな夫が曰く「水戸黄門みたいにスカッと、とかいうやつは時代劇をちゃんと見とらんやつや。あんなもんぜんぜんスカッとしてへんで! 印籠が出るタイミングものったりしてるし、カタルシスなんかないで。年寄りだって見てられんつまらん番組やで」。そんな夫がラストシーンがかっこいいと思う時代劇は『暴れん坊将軍』とのことです)
桜花ちゃんが「じゃーん!」とかっこよく登場する場面もないんだ。いや、悪者にやられる村娘を助けに登場するところとか、獅子舞に化けて登場とかあるけど、出てくるとこの演出がゆるくて、「ばーん!」「じゃーん!」感がなくてさー。かっこよく見えないんだ。わかりやすいところでいうとオープニング、城月の前説があって、緞帳があがる。紙漉き娘たちが千代紙持って踊っている。そこにふっと桜花ちゃんが加わる。そして、途中でふっとはける。そのはけ方がなんかかっこよくなくてこそこそとはける。なんなんだ?と思っていたら、悪者がやってきて村娘たちをイジメにかかる。そこに颯爽と助けに現れる桜花鼓太郎!
……。ここまで5分たってないぐらいだと思うんだけど、颯爽と助けに現れる時に「ばーん!」と初登場でいいじゃん。その前にはんぱに出てて、またはんぱにひっこむから、助けに出た時のインパクト薄いし。ばーん!と出てきてバッタバッタとやっつけて、そして一転してやさしいところ見せりゃ、「鬼ヶ岳の鼓太郎」って人が、すごくよくわかるではないか。

うーん、確かに、番組終了前の、人が見なくなった『水戸黄門』はこんな感じにゆるかった。うむ、確かに水戸黄門だ……。

そして娘役がみんなつまらん役。いわゆる、水戸黄門に登場する、ひょんなことから一緒に旅することになったお嬢さん、みたいな、きれいなだけの娘、それが朝香櫻子ですよ。なにそのもったいない使い方。お江の時は、あまりのことに客席をザワつかせたというキャラ設定で、どうかと思うが面白かったからいいとしよう。今回のは「あーつまんない役……」としか。去年の折ちゃんの平時子もたいがいつまんない、というかやりようのない役だったけど、今年はもっとどうしようもない役である。
恋羽ちゃんが桜花ちゃんの妹役で、今は敵となった兄の親友虹架を、いつまでもべそべそ泣いて想ってるってのも、かわいそうな感じがぜんぜんしない、単に自分のことしか考えてないみたいなことになっている。

そして緋波亜紀なんですが。
これがワルの元締めで、さぞやうまくやってくれるかとおもいきや、この悪役もまーるでかっこよくない。マヌケな小悪党程度のヤツでさー。けっこういつまでも出てこないから、どんなすごい悪でかつ(黒役好みにとって)カッコイイやつなのか、と期待させといてこれですか。

私がいちばん笑ったのは、桜花ちゃん扮する鼓太郎が、立ち回りながらちょっと咳き込むんですよ、わざとらしく。
「こ、これは死のフラグ!」
とだれでも思うじゃないですか。桜花ちゃんは労咳なんだきっと! どうしよう! 村人に敬遠されていた暴れ者のマタギが、村人を苦しめる悪い役人連中を、ひとりで暴れまわって退治して、最後は血を吐いて笑いながら死ぬ、村人に囲まれて、みたいな。ありがちすぎる、ベタすぎる! と言われても桜花ちゃんがそれやったら泣く、泣くよ! と前のめりになっていたんですが(少しウソ、咳き込むあたりまでで、そんな話になりようがないのはわかった)、
「単に風邪ひいてた」
んですよおおお(泣)。風邪ひいてるのに、誘拐された櫻子ちゃんを助けにいこうとするもんだから、妹の恋羽ちゃんに殴り倒されて気絶。想像を絶する驚愕展開。タスケテ。それなら恋羽ちゃんがスーパー超人娘で兄にかわって薙刀で皆殺し、とかぐらいしてくれればいいがそんなことは起こるわけもなく、兄に替わって敵の陣地に乗り込んだはいいがあっというまにやられそうになる。このへんも「父の仇、鬼瓦権蔵! 覚悟!」とかいって白装束の白鉢巻、小刀を逆手に持ってかかっていくがあっというまにヤラレかかるという、ゆるい時代劇の娘さんばりのナサケナサ。
これも、最後に獅子舞に変装して、ワルの巣窟に「じゃーん」と登場するため、というのはわかるんですが、前にも書いたようにそこの演出がゆるいから「……あ、出てきた」としか。風邪はどうした、と思うと、「風邪もなおっちまったぜ!」とか言わせてるんだな……あんまりよく聞き取れないけど…。

話は壮大なのである。

・桜花ちゃんと虹架は「昔は龍虎と並び称された」という有望な若侍であった
・桜花ちゃんのお父さんはたぶん藩(なのか?)のエライ人(いい人)
・桜花妹の恋羽ちゃんは虹架と恋仲だった(たぶん許嫁とか)
・緋波ちゃんは藩のエライ人(悪い人)で、桜花父を陥れて死においやる。母も後を追う
・虹架は緋波ちゃんの手下となり、悪政に加担
・親をなくした桜花、恋羽の兄妹は山に入って山男山女になる
・山で桜花ちゃんは紙漉き娘の櫻子ちゃんとデキる。櫻子ちゃん妊娠
・山の中で桜花ちゃんは愛瀬(断髪。あの時代に髪を結ってないというのは深い意味が)と城月(女だけど刀振り回す)の二人の手下がいる。非農耕民的というかマージナルな存在

などというものが詰め込まれていて、なんかこう、どこをつまんでもオイシイ話ができあがりそうではないですか。しかし、それが「なぜこうなる……」というところに転がっていくのです。何よりも、「鬼ヶ岳の鼓太郎」って人が何を目指してんのかさっぱりわからない怪人物なのであった。別に親の仇を取りたいとも思ってなさそうだし、武生を守る、らしいが、どちらかといえば神社に祀られる系の守り方のような……。なにしろワケがわからないので、一周回って快人物にまで桜花ちゃんなら成長させるだろうけど。……でもそれはちがうだろう(泣)。なんでまた桜花ちゃんにはこういう試練が降ってくるのか。

今年の武生の芝居は、大真面目である。
面白がるしかない。

あーそれから、紙漉きで模様入りって、へんだと思うの……。
あーそれから、殺陣って、いつもこの程度の殺陣はやってると思います、OSKは……。

技癢

日曜月曜と三越劇場行ってOSKのショー二本立て見てきたんだけど、出演者はきれいであった。高世麻央が「まあキレイ」と思えた(今までが汚かったっていうんじゃないですが)。というか高世麻央以下出演者がみんなキレイでよかった。OSKって確実に劇団員の見た目は(スタイルや動きを含めて、全体の平均が)上がってます。

で。

あんなにいろいろな種類のキレイカッコイイを取り揃えてるんなら、もっとやれることあるだろう(泣)。

OSKのファンがぜんぜん増えないことに私は目の前がくらくらしております。これはやっぱり公演の内容が間違ってんだと思います。公演重なったら宝塚のほう見にいっちゃうような人にアピールしててもしょうがないと思うの。

孤独ではない

美味

少年のナイフ

疲れた。

今年の南座公演は疲れた。すげえ暑かったってのもあるが、内容で疲れたというほうが大きい。それにしても暑い。今までの南座史上でいちばん暑かったのは2011年の虹のおどりの時で、体感としてはあっちのほうが暑いというか熱いぐらいだけど、今年の南座は40度とかいうことで、きっとこっちのほうが熱いんだよな。熱いとかいうとまるで「HOT!」みたい。いいことみたい。よくないんだぜんぜん。2011のよくなさと2013のよくなさは理由がちがう。

ジワジワとくる衝撃は、今年の春の洋舞より南座の二部のほうがいいという人がいることだ。何人もいる。その理由は人によりけりなのだろうが、「ショーのつくり」を問題にする人がいて、これについて考えた。

ショーって何。場面を並べるとショーなのか。テーマがあるとショーなのか。歌って踊ればショーなのか。空間の使い方がいいとショーなのか。

私の考える「ショーというもの」にいちばん近いのは、「宝塚の一本物ミュージカルのお尻にくっつくショー部分」。ええと宝塚というのはこの際関係なくて、たまたまたOSKでそういうタイプのを見てないのと、他を知らないから例に出しただけです。たとえば『エリザベート』で、本編のラスト、トートとエリザベートが昇天したら、さっきどっかに消えたフランツ役の男が、フランツとは似ても似つかぬカッコでせり上がり、トートの持ち歌『愛と死のロンド』を歌ってショー部分スタート、という。このフランツ役の男が何者なのかわからないし、フランツは愛と死のロンドには無関係なのにもかかわらず歌う、そこで客はいろいろな感情が喚起されるわけです。そのあとも本編の音楽で群舞やラインダンスやデュエットダンス。場面場面につながりはないし、出てくる人は本編と無関係な顔で無関係な衣装で、しかし見ている人は曲の意味合いを勝手に忖度し、大きなうねりを勝手に感じ、その曲を誰が歌うかということでも勝手に思うところがある。そしてパレード、うわー、大団円。

別の例を思い出した。マンガ『覚悟のススメ』のラストシーン。これはとんでもない殺戮ばんばんの肉体戦闘マンガでありますが、ラストシーンが、……ダメだ私では到底説明ができない。肉体戦闘マンガだけどラストシーンはいきなり「エレクトリカルパレードのような」と作者がいうような世界に変貌して、登場人物たちが花びらが舞い散るようにソーダの泡がはじけるように泉が湧き出るように色とりどりの光が降りそそぐように、画面いっぱいになるという、これも私にとっては理想的な「ショー」です。

こういうのを、本編なしの単独ショーで表現できないものか。

と考えるぐらいなので私は「ショーには、そこに一つのテーマなり物語があったほうがいい」と思っています。ただ、上記みたいな理想のショーは、本編がないとたぶんムリ。本編がなくても、誰もが知ってる話やニュースや音楽で……としてもぜったいムリ。そこでひらめいた。庵野秀明が学生時代、課題でコマーシャルフィルムをつくる、ってのがあって、コマーシャル本編のための「番組」もつくったという。あくまで「コマーシャルを見るための、番組」。ショーを本編としてみるためにミュージカルをつくって前モノとしてくっつける。でも、まあ、こういうのってたいがいつまらんものになると相場は決まってますが。

ええ、そんな小細工しようがしまいが、テーマのあるショーってだいたいつまらんのですよ。テーマを設定するとそれに縛られてつまらない整合性を追ったりしちゃう(『びーおんざろーど』とかー)。縛られずにやったとすると統一感の欠けるのが目立つ。今まで見たことあるショーでテーマがあってうまいことできてたのって『桜舞橋』ですかね。テーマががっちりあるのに縛られず自由にショーが展開してた。『なにわ祭り抄 躍る道頓堀』と『ハッピーゲーム』は好きな作品だけど少し強引なとこがあった。強引だっていいと思うこともあって、横澤先生はテーマ決めてテーマからはずれてもまったく意に介さないというそのへんの器の大きさが、作品も大きなものにしていた。テーマショーをつくるときの秘訣かも。でもその天然な器の大きさ持ってる人ってめったにいない。今回の二部って、悠浦が見えないハコにはまりこんだマイムみたいなもんで、「気持ちはわかるけど……アタマがぶつかったとこと、手でさぐってる場所が明らかに違ってんだけど」というものでした。あ、オープニングにあのマイム持ってきたって、これはこういうショーですよ、って意味だったのか!(違)

一徳先生のショーは、テーマじゃなくて型。アミューズ、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート、チーズ、コーヒーとプチフール。材料変えるけど「必ずコースの順番は決まっています」。へたにテーマ決めてグダグダになるならそれで行って、と思う。でもこのスタイルを変えないのって、容易なことじゃないよな。何かやってみせたい、という娑婆っ気が抜けませんもの、作り手って。で、それがなくてもどうしようないわけで。

春の洋舞は、コースでもないし、テーマがあったとしたら「OSKによる、OSKの最大限発揮」で、それを実現するために与えられる、一種の療養食みたいなものだったかも。ダンス発表会的だという意見も聞きましたが、OSK最大限発揮発表会とすると、確かにそうかもしれぬ。私はカールのカレー味、亀田のカレーせんをはじめとするあくどい食べ物も愛しますけど、春の洋舞は、まあ、食べたら血が綺麗になって、目が冴えてしまったような感じがしました。今回の二部をほめる人で、春の洋舞よりよかった、という人はきっとそのへんが物足りなかったんでしょう。私はあくどい食べ物を愛す者として、今回の二部みたいのじゃ物足りないです、といいたい。

真夏乃京都ニ桜花炸裂

きのう南座に行ってきた。
土曜(初日)に昼夜と見て、月曜の一回公演を見て、木曜の一回公演を見たわけです。今回は暑いせいか京都が遠くて、一日二回見るのも帰りが遅くなるのも体にコタエるので、正午開演の一回公演でアフターイベントつき、ということで月曜木曜と選んでみたところ、これが正解でした。

月曜のイベントは「朝香櫻子、牧名ことり、折原有佐」の娘役3人に「恋羽みう、白藤麗華、和紗くるみ」が「リスナーメンバー」という名の賑やかしに登場。この月曜の15分ばかりのイベントが、こんな短時間なのに身も細るというか背筋が冷えるようなイベントになりまして、というのは、この手のトークというのは「素の魅力が見えてステキ」となることが目的です。この「素」ってのは、ほんとうの素じゃなくて演出された素であることがほとんどなのに、この日の娘役トークにはほんとに素が出てた。というかハミ出ていた。「わぁ、見えちゃった〜♪」というよりも「うわっ……見えちゃったよ……」的なものが充満していたのです。もちろん、そっちのほうがファンとしては面白いに決まってますが、でも背筋は凍りました。猛暑の折から、ありがたいことです

なにしろメインの3人が対照的なキャラクターで、

★朝香:どうでもいい質問にはどうでもいい答えを返し、ちょっとつっこんだ質問になると(ってたいしたこともないようなことですよ!)「にこっ?」「うふっ?」「ぽかーん(微笑み)」。昭和アイドル歌手のインタビューをホウフツとさせる。まさにidol。でもその正体は黄金の雌ライオンなのでぐわっときたら一発で倒され食われます。
★牧名:何か一発、変わったことを言ってやろうと狙い続けて目を光らす、美しき猛禽。
★折原:場をなんとか穏当に盛り上げ、かつ無事におさめようと奔走。銀のコヨーテのように。しかし不安と心配と焦りが、時折、表情の中に稲妻のように走る。

いやこの3人の組み合わせの恐ろしさ。舞台上のトークですよ。雑誌やテレビならいかようにも編集できるが(それでも行間からにじみ出てきたりするのだが)、ナマですよナマ! 目の前で! 背筋は凍りますが、手に汗握る(冷や汗握る)すごいイベントだ、と前のめりになりますよ! 娘役のOSK、の名に恥じない現トップ3人娘。

リスナーメンバーってのがどうして投入されたのかよくわかりませんでしたが、入れた気持ちはよくわかる。トップ3人娘だけだったら、私がその場の責任者でも「だ、だれか……何人か呼んでこい若手でもなんでも!」と口走るだろう。でもこの鋼鉄の如き3人を前にして、若手がいったい何をできるであろうか。恋羽さんが「これはイベントなの、なんとか穏当に(ココ重要)盛り上げてお客様に喜んでいただかなくては」と必死に微笑みながらがんばる(が力弱い)ウサギさん、白藤さん和紗さんは「口は災いのもとなのよ……」と貝のように口を閉じようとするヒツジさんヒヨコさん。が、司会者に何か振られると答えないわけにいかず、当たり障りのないことをニコニコと答えるところ、牧名ハンターにすかさず狙われつっこまれ、それ聞いて朝香アイドルは「うふっ?」と笑っているが目は笑っておらず、折原嬢は一生懸命に回収に走る。ああなんという美しき荒きサバンナ。私が今回の南座で、折ちゃんがまた「恋に敗れる美しき年増女」のような役を、大丸劇場に続いてやらされているのに腹をたてるのは、
「折ちゃんは野球でいえば名ショート、ラグビーでいえば名SHみたいな人なんだ! こんなしょうもない役じゃなくて、ちゃんと光る場所で光る役割を当ててやってくれー!」
と思うからです。宝の持ち腐れなんだよー!

そのような状況だったため、トークの内容はほとんど覚えてません。なんか、司会者の話の振りが、トップ3人の微妙に答えづらいような、微妙に地雷に接近するようなものだった記憶があり、ある意味それも「いい仕事」だったのかもしれない。は~、恐ろしかった。

変わりまして木曜日。こちらのアフターイベントは桐生麻耶、リスナーメンバーは桜花昇ぼる(とっぷすたー!)。これがねー、ほんと、見てよかったです。この日に行くことにしてよかった、というか一日公演の時にこの二人にしてくれてよかった、ありがとう。最近いつも座る三階の好きな席ってのがあるんですが、三階だから遠いんだけど、ぜんぜん気にならないぐらい、二人の話がよかった。内容がというより(内容もよかったですが)雰囲気。そして二人そのものが。

桐生さんて人は、案外、フリートーク(出待ちとかサイン会の素のしゃべりじゃなくて、聴衆ありでセリフじゃないことをしゃべること)が苦手っぽい人で、というのも我々としてもきりゅーさんには面白い話を期待してしまい、しかしトークの桐生さんは生真面目で、直球をきちんと真芯で打とう、はみ出さないようにしよう、という人なので、ちょっと期待はずれな感じになるわけです。

しかし! ここに「史上最強のボケ」である桜花昇ぼるが相方で存在することによって、ガ然、桐生さんが自由になれる!のであります。

きのう、桐生さんと組んでる桜花ちゃんは、横山やすしをほうふつさせる「愛嬌たっぷりのボケ」っぷりで(天才を感じた。作為であれはできない)桐生さんをイキイキと光らせ、そして自らも輝いた。桐生さんはフィナーレの黒エンビ、桜花ちゃんはショーのラストは銀の総スパンエンビなのを、その前のシーンの、桐生さんとお揃いの黒エンビに着替えて出てきて、黒燕尾二人組で、桜花ちゃんがどっちかというと、「腰をかがめ」「身振り手振り」「その手振りがふと、揉み手ふうになる」「関西弁」のため、ほんとに漫才コンビみたい。やすきよの時代って、漫才師は青とか赤の背広着てたじゃないですか、そのフォーマル感を、ブラックフォーマルによって再現したというか。

アフターイベントで桜花ちゃんがメインで高世がリスナーだった時というのが、私は聞いてないがけっこうヘビーな話(2008年の民事再生の時の話)を淡々として、高世も淡々と聞いていた、というものだったそうだ。もちろんファンとしては興味深い話であり、それを淡々と話す桜花ちゃんには底なし沼の深さを感じたものですが、行きずりの観客には飲み込めない大きさと重さだったかもしれない(ような気がする。見てないでナンですけど)。

桐生さんの聞き手に登場した桜花ちゃんは、こんどは2003年の解散の時のことを話し始めた。解散する時、劇団を存続させたいと思う派と劇団はこのまま終わらすべきだと思う派があって、桐生さんはどちらかといえば終わらすべき派の側で、存続派は、劇団が最終公演を終えて解散してからも、存続に与しない劇団員たちに「帰ってきてほしい」と言い続けていた。それで何人かの人が還ってきて、最後の最後に(存続の会でやっていきたいと)電話がかかってきたのが桐生さんで、その電話を切ったあと、みんなで涙を流して喜んだ、という話で、これがぜんぜんしめっぽくない、思わず笑うような、しかし「ああよかったねえ」と思えるような話ぶりなんですよ。で、桐生さんも、桜花ちゃんが出てくるまでとは、あきらかにしゃべりの調子も楽しそうで口もなめらかになってるし、思い切ったことも言い始めるし、二人ともかっこよかったなあ。

ここで文句を言いたい。今回の南座公演について。

桐生さんの相方に出てきた桜花ちゃん、ほんとにかっこよくて可愛くて素敵だったんだ。終わって緞帳下がる時、三階で見えやしないだろうに手とかぶんぶん振っちゃったし。そして緞帳がしまりきって思った。一部、二部通しても、このアフターイベントの桜花ちゃんほど桜花ちゃんらしい素敵な場面はなかった。

南座の感想にもちらっと触れたけれども、今回の公演の桜花昇ぼるの使い方に私は納得がいかない。とくに二部。桜花昇ぼるの魅力を、南座という、きっと初めて観る人も多いであろうハコで、全開に見せようという気持ちを感じない。演出家や会社がどう思っているかは知らないしどうでもいい。客は舞台の上だけを見て言わせてもらう。桜花ちゃんの見せ場ってどこよ。そもそも私は二部は全体として好きじゃないし欠陥も多いと思うが、せめてスターが「うわっ、くやしいけどここはカッコエエ……」「うわ……可愛いい……」「きゅーん」とさせてくれたら「歌劇の舞台」として「それもありか……趣味じゃないけどそれもありか……趣味じゃないけど」と歯ぎしりしつつ認めざるをえない(たとえば去年の南座の、レディー・ガガの場面。触るのもイヤなぐらい嫌いな世界だが、あそこの真麻はくやしいけどかっこよかった。あ、でも高世はダメだったな。場面の芯の男役がダメなら、ダメかやっぱり)。

一部も、桜花ちゃん、出てるけど出てるだけというか、去年のシンパリは、娘役はどうしようもない描かれ方だったけど男役は桜花、高世の『至宝コンビ』(この言い方も好きじゃないですが)は、「ま、しょーがねえかこれで。こういうのもアリか」と笑って思えるキャラだった。翻って今年はどうだ。桜花高世桐生、おまけに朝香牧名、どれも「うわ素敵」「きゃー可愛い」とか思えない役させてどうすんだ。

南座を初日に二回見て「誰も美味しくねー」と思ったけどその時は、今の劇団に、私がなりふり構わずおっかけるような贔屓がいないもんで「いいのかねこんなので」とぬるいモヤモヤで済んでいたのが、アフターイベントで桜花ちゃんの魅力を見てその光を思い出して、ほんとだったら本公演でこれ見ないといけないのになんで、とむらむら腹が立ったのであった。オリジナル(一部だって原作があるとはいってもまあ、オリジナルみたいなもんだ)で、スターシステムの劇団で、なぜこうなる。トップスターを素敵に見せてくださいよろしくお願いします。

ふうー(深呼吸)。
このアフターイベント、趣旨としては「過去の南座公演を映像で振り返って、思い出を語っていただく」というもので、その時のメインゲストの劇団員が映像を選ぶらしい。恐怖の娘役デー(違)の時は、2008年レビューinKYOTO2 第二部『ミレニアムドリーム』から『God Blessing』。桐生(&桜花)デーは、2009年レビューinKYOTO3 第一部『桜颱風(さくらたいふーん)』から『燃える夏B』『燃える夏C』。この『燃える夏BC』が。見てたらちょっと冷や汗が出た。私は「映像を見て現実より落ちるなあ、と感じる時は、映像のほうが真実」と思っておりますのですが、……冷や汗一斗とはこのことかと思った。

夏にはソーダ水が必要なのに2

きょう南座に行き、帰りに鶴橋で焼肉食べてきました。
行こうと思ってた店が、営業中のフダかかってんのに入っても誰もおらず呼んでも出てこないので、しょうがないから知らない店に入った。店の外観だけで選んだ店だったが、ここが良かった。肉の盛り合わせ(ロース、カルビ、ハラミ、タン)とキムチ盛り合わせ、ナムル、チシャ、冷麺。最初にキムチ盛り合わせが出てきて、白菜のを一つサクッと噛んだ時に「はっ」とした。これは旨い。辛くない。辛いものがキライってんじゃなくて、『美味しんぼ』で、日本でキムチ食った韓国の新聞社の社長が「ぬう、このキムチは辛すぎる」と言いましたように、日本のキムチはガリガリに辛すぎる、ことが多い。この店のは、辛いが辛すぎず、きちんとした旨味があり、それでいて白菜はサクリとフレッシュな感じがあって、とっても美味しかったのです。

キムチが美味しかったので期待したらきっちり応えてくれました、肉! タレにまみれたやつが銀皿に載ってきて、こういうのは往々にしてやたら甘ったるく、『美味しんぼ』で海原雄山が「ぬうう、なんという鈍重な味だ」と言いましたような、園田競馬場門前の激臭ホルモン焼きのタレみたいなことになったりしますが、ここのは甘いのが「うまい」とルビを振りたくなるような。甘さがぜんぜんくどくない。甘さ、しょっぱさ、しっかり味はついているけど肉の味を消してしまうようなことはない。つけダレも丁度いい。

冷麺もナムルも同様に美味しく、とてもアタリの店に入れてよかった。
で、じゅーじゅーやりながら考えたが、これは名倉先生だなあと。名倉先生のつくった春のおどりの洋舞。名倉先生の調理法。焼肉でもアジフライでももんじゃ焼きでもコンソメ・ロワイヤルでも桜鯛のお造りでもなんでもいいが、名倉先生の調理はこういうことだろうなと。ちゃんとした素材、素材を生かした味付け、包丁のキレ。

今回の二部を私がどうも好きになれないのは、「なんでもフリカケふりかける」ようなことになってるからです。皿の上のあらゆる料理にフリカケ。いや、フリカケそのものは凝ってんですけどね。のりたまとかじゃなくて。でも化調入り。

ところで今日が初見だという友だちと、幕間にしゃべっていた。一部を見終わって呆然としたような顔をして、
「これってさ、昔やったのの再演なんやろ?」
「うんそうらしい」
「……。なかったんか。他になかったんか。もう少しマシなんが!」
「なかったんちゃう」
「そんなら高世がやってたライターに脚本頼めよ。それでもまだマシなんちゃうか。音楽もついでに頼めよ。著作権もそれで問題ないで!」
「でも蒼音のやってたインド人もびっくり監督にはプロデュースさせたらいかんな」
「脚本料は払わないとみた」
「土屋アンナ事件のプロデューサーを思わせるなかなかタイムリーな役やった」
「しかし……なかったんか。他になかったんか。もう少しマシなんが!」
なかったんちゃう、としか……。

夏にはソーダ水が必要なのに1

OSKの南座公演を見てきました。

見てしみじみ思う、今年の春のおどりの洋舞(名倉加代子先生作・演出・振付の『Catch a Chance Cathch a Dream』)って、それ以降のOSKに影響を及ぼしてるなー。

これは楊ちゃんのオ・セイリュウの時にまず思ったことだけど、振付の先生に「なによ! アタシだってやるわよ! 見てなさいよ!」という対抗心を燃え上がらせた。ショーの途中で力尽きてたが。
(でも書きながら思い出したけど、こないだの大丸のショーは、振付の先生はいつも以上に通常運行というか各駅停車の安全運転だった……)

今回の南座で、春の洋舞の影響をもっとも感じたのはチェリーガールズのところで、これは「春の洋舞においてはじめて“チェリーガールズが正しく使われた”」ことによるものでしょう。それまでの、はんぱなアイドルグループみたいな、上が決めたからやるけど使い方思いつかないシー、みたいな場面ではなく「とにかく娘役5人によるダンスユニット」という原点に立ち戻って作りなおした場面で、「正解はコレ」と見せられてしまったので、今年の南座のチェリーも「そうか答えはコレか」で作られてました。正解なのだから良い。ただ、音楽と振付は良かったけど、パフォーマンスはあと一歩。春もパフォーマンスはあと一歩だったけど、うまいことごまかせるようなつくりになってた。今回のは逃げ場がなかった。……思うに、チェリーガールズはメンバーを見直したほうが。チェリーに向いてない人がいる。ダンスの方向性によって得手不得手ってものもあるだろうし、メンバー固定じゃない「この公演のチェリーガールズ」方式にしたらいいんじゃないでしょうか。いやチェリーガールズという5人のメンバーが固定されることによって営業その他に云々と会社の人などは言うかもしれませんが、だいじょうぶ、誰も知らないからチェリーガールズなんてものを。
(ところで、今回のチェリーガールズは「正解」ではありますけれど、作品の中では唐突感否めないです。答えはわかるが使用方法は解決できずということか)

ありがたいことに初日初回、二回目と見ることができ、人様の感想を聞く前に自分の感想がわかったのでよかった。一部は、「吉峯先生はシリアスじゃない原作モノをやったほうがぜったいいい」と言ってきた通りで、でも原作が去年の『シンデレラ・パリ』よりもとっちらかっているせいか、潤色も演出もうまくいかなかったんじゃないでしょうか。話がバカバカしいのは別に構わないから、場面場面の配置をうまくやればもっとバカバカしく楽しめたのに。白い画用紙の上に、原色のクレヨンでぽつんぽつんといろんなモチーフを描いた、みたいな作品です。カンディンスキーみたいな構成力があればそれで充分なんだが、そこまでは到達できず、バカとバカのあいだに深呼吸できる間ができてるもんだから、いちいち我に返ってしまい、気持ちがさめる。バカバカしさで持っていかれたいのに、そうしてくれないのでたいへんもどかしかったです。

あと一部は「いい加減桐生さんをこういう便利づかいにするのはやめろ」と思います。

でも初日の初回に一部を見終わった時には「誰だよこれをやろうって言ったやつは!」と怒りのメールを人に出したりしたのに、二部を見終わったら怒りはなんとなく薄れたのは、二部のほうがいろいろひっかかったからです。
(ひっかかった、というのとはちょっとちがいますが、この二部のフィナーレ前、黒燕尾の男役のダンス場面がある。振付芹まちか。大丸劇場の『ファム・ファタル』がさんざん宝塚っぽいと不評だった芹先生ですが、私はこの黒燕尾の男役ダンスのほうがよっぽど宝塚っぽく感じました。男役が「ハッ!」ていって踊りだすとことか。なんか本家に比べてしょぼい感じがするのでやめてほしいと思った)

オープニングで正ちゃん帽(ちがう)かぶった、町の少年みたいなカッコの悠浦が、歩いているうちに見えないキューブにはまりこんでしまい(だと思う。マイムで表現してるので定かじゃないが)、そこでカギをみつける。それを鍵穴にさしこんでカチッと回す(これもマイム。緞帳に鍵穴を見立ててた。悠浦マイムがんばってくれ……)。すると緞帳が上がっていって開幕。あ、これも春の洋舞の影響下にあるかも。真麻ピエロが中幕あげるところ。でもこれさー、鍵をカチッとあけたら幕が「上がる」ってのが違和感あってさ。あの感じだと「ドアがぎいーっと開く」ような光景を想像させるので、緞帳が上がっていくという動きがどうも生理的にしっくりこない。シャッターガラガラ上げる、ってほうがらしいんじゃないの。悠浦登場のSEが、雑踏とクルマの音、信号機の『とおりゃんせ』の電子音だし。しかしこの『とおりゃんせ』にはあざといものを感じた……って開始5秒ぐらいでもうかよ。すでに色眼鏡。

緞帳あいたら、そこここに、暗いエンジの布を頭からすっぽりかぶった者たちが、いかにも怪しの者ふうにいるわけだな。「デターーー!」。北林先生好きやなーこの絵面。新闇の貴公子でやってただろう。それでそのすっぽりさんたちが一変、マントひるがえして踊るんだけど、その衣装が……エンビなのはいいが……黒基調で赤が差し色。何か安い……、と戸惑っているところに桜花高世桐生と入ってくる、3人はマントも特別。しかしその特別さがさらに安い……。うーん、最初に頭の中にできてた絵はもっと麗しく妖しく、だったんだろうなあ。振付もバサバサやってるだけであんまり妖しくもないなあ……。そういえば町の少年ユーラは、いつの間にかすっぽんにすいこまれて、マントダンスの最後のへんでマント姿になって中に入ってくるんですけど、これは「生きた少年が死んであの世でコンニチハ」なのか「生きた少年がゾンビに襲われて自分もゾンビでコンニチハ」なのか。少年ユーラがマント姿でニッコニコなのがヘンだが、悦びとともに暗黒の世界へ、ってのが北林先生らしいということ……なんですかね?

その他、ひっかかったところをコマコマと書いていたが(折ちゃんの配役とか、桜花ちゃんの使われ方とか、中詰のデキの悪さとか)それはたいした問題じゃない。つづきます。

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