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大日貴

みゅーじっくすたじおその後

2003年5月25日(日付あやふや)に近鉄劇場で解散公演があって、近鉄体制下のOSKは解散して、そのまま何もなかった(個々では何らかの活動があったとしてもOSKという団体が継続しなかった)としてもたぶん解散10週年とかあたりに、イベントというか公演みたいなものはあったと思うんですよ。それこそアート館か大丸で。いやもしかすると松竹座で一日ぐらいあったかも。そしたら、週末に見たような、皆さんが絶賛されるところの、OGさんたちのワザが同じように見られたわけですよね。

しかし、それだと、真麻里都は見られない。OSKの劇団員真麻里都は存在してないんだから。

悠浦も楊もいないわけですからね。恋羽も城月も舞美ちゃんも。心から、存続してよかったと思うものであります。

(´-`).。oO(あの時、とってもたくさんのOGの人に、存続など認めないとか言われたのよねー)
(´-`).。oO(存続の時にいろいろリセット……断捨離……初期化……生まれ変わり……さよならエマニエル夫人……できたと思ったんだがなー)

OSKミュージックスタジオ問題

OSKミュージックスタジオなあ……。
OSKの公演にOGが出るってへんだろう。(あ、牧名ことりファイナルコンサートについては別の話です)
出るとしたらイベントとか催しとしてだと思う。あるいはOGの公演に現役がゲストで出るとか。現役とOGが混ざって公演するというからには、何かものすごい大義名分がなかったら納得いかない。その、ものすごい大義名分とは、90週年の松竹座のイベント級のものであって、それだってイベントなわけで。あれで本編にOGが元トップでございますとかいって(たとえ大貴さんであっても)出てきたりしたらとんでもないと思う。

まず、問題を切り分けておく。

・企画としてどうだったか
・脚本や演出としてどうだったか
・出演者のパフォーマンスはどうだったか

企画ってのは、OG呼んできて一緒にコンサートやるってことですね。最初に言ったように、OGを呼んできてまぜて公演するのはおかしいと思う。人間には懐かしさを楽しむという感情があるので、こんなこと言ってる私だって、若木さんがしゃべってるのを聞いてたら、胸の中にお湯が湧くような懐かしさが……若木さんてこう、ふるいつきたくなるような可愛らしさがあったよーー!と叫びたいような気持ちにかられましたが。しかしね。「懐かしさを売りにする」のはイベントにしてくれ、30分ぐらいの。本公演じゃなくて。

これはパフォーマンス問題にも関わってくるのだが、「圧倒的な何かを見せてもらえるのならば出演することもあり」という考え方もあるだろう。そこがなあ。そんな圧倒的なことってなかったもん。皆さんすごいすごいってほめてたけど、別にそんな、言われるほどすごくなかったよ? そりゃ現役の下級生にくらべたら技量は上だろうが(それだって大差というわけでもない)それなら現役生のがんばり見てるほうがいいわ。というか現役の若手のほうがよかったところもあったしさ。

人を圧倒する何かがあったとしたら桜花ちゃんの華であって、年月たって人間は老いたり劣化したりするのが摂理であるにもかかわらず、変わらぬ桜花昇ぼるの光りっぷりはすごかった。華って枯れるかと思ったら熟成発酵の段階に行っててなお光量は減っていないという、だがそれだけに、桜花昇ぼるが真ん中にいない絵面がアンバランスに見えてしまった。それもすごいことだが、だとするとやっぱりいかんと思う。

で、脚本や演出についてですが。
最初に翼と千咲が司会者然として出てきて、それから現役生だけが短めに歌い継いでくんだけど、なんのコントなんだ? でもコントでもないみたいなんだけど、何だったんだろうあれは。と悩んでたら友だちが「あれは『夜のヒットスタジオ』の真似なのでは」と言った。あーあーあーー!それなのか!……って、なぜ夜ヒット。たいして似てないしテンポも良くないし、選曲もよくわからんし。

そこからもうグダグダな進行で、総合司会に吉津さんを起用って、自爆テロみたいなもんじゃなかろうか。そして構成っていうのか演出というのか、工夫もなきゃハッとさせるとこもないという、けっこう唖然たるものがあった。照明でなんとか救われてた。私の、OSKショーにおける最低最悪ランクが『JUJU』で次が『熱烈歌劇2013』であるが、これは熱烈に並ぶものである。
(OGが出なかった牧名ことりコンサートのほうで、牧名が思い出の語りとともに歌う『見上げてごらん夜の星を』と、OGが別の口上とともに『見上げてごらん夜の星を』を歌うってのも「ぽかーん( ゚д゚)」だったな。それから牧名の小芝居コーナーの『竹取物語』も、選曲がてんであってない、振付がさえない、真麻が出てくるんだけどなんかバカみたいで。いやこれは真麻が悪いんじゃない。真麻はひたすら気の毒。黒蜥蜴の替え歌もなんなんだそりゃ、で、このショーがつまらんのはOGが出るとか出ないとかの問題じゃないということがわかったので、こっちのバージョンの意味はあった。いやな意味だけどさ)

ということで、こんなことはもうゴメンである。OGと現役を一緒に出すのはもうやめてほしい。もし出すというんだったらもっとちゃんとつくりこんだ作品にしてほしい。……まあつくりこんだとしてもOGが本公演に出てくることの意義はなかなか見いだせるもんじゃないと思う。だから、周年記念の、イベントだけにしてくれ、OGが出てくるのは。

牧名ことりファイナルコンサートは、なんか笑っちゃったな。高世と牧名のデュエットダンスがあって、それが、ものすごくバッサバサしてて、あんなにぽーっとさせないデュエットダンスというのも珍しい。いやそう書くと悪口みたいに聞こえるか、いやちょっとは「どーなんそれ(笑)」とは思うけど、でもそのバサバサで最後までってのが牧名さんらしくて笑っちゃって、笑いながらじわっときた。

指原莉乃座長公演@明治座 結

キヌタ

指原さん総選挙一位おめでとうございます。

というところで、中絶しておりました『博多の阿国の狸御殿』について思ったことの続き。いつまでやってんだと言われそうですが、選挙結果が出ないと書きづらかったんだ。

この芝居、後半近くになってやっとこの作品の弱点がわかった。キヌタが狸でないことだ。

らぶたんは狸チームであり、メス狸のお黒役。
狸御殿における「決まり役」といえば「きぬた姫」とともに「お黒」もいるので、いい役をもらっている。狸チームは、キヌタの指原を筆頭に、なこ、らぶたん、森ぽ、めるたん、りこぴ、村重、みおたす、というメンツ。これもパンフの掲載順なんだけど、この並びの意味考えるのはもうめんどくさいんでやめた。たぶんそれほど(今後に影響するような)意味は無い。たぶん。ただ、狸軍団をやらせるにあたって、考えて選んだメンバーだなと思う。とくに田島芽瑠を狸チームに入れたのは鋭い。朝長美桜が狸なのは誰でも納得だけど、めるたんは阿国チームにしちゃうよな、安易なキャスティングなら。今回の「キャスティングがうまかった」のは阿国チームの松岡菜摘と、狸チームのめるたんであろう。今田美奈はたぶん、狸チームでもうまいことやったと思うので、キャスティングの妙というよりもその前段階の「みなぞーを出演者に選んだ」というセレクションの妙ですね。

メス狸は、人間相手に夜鷹に化けて枕ドロするって設定なので、まあヨゴレ役といってもいい。とくにらぶたんは、メス組リーダーで、気が強くて情に篤くて修羅場に強い。そうなると必然、ヤンキーぽい役作りになっちゃう。私も見終わってからけっこう考えてるんだけど、ここの「お黒」という役を、ヤンキーぽくないキャラクターとして演じるとしたらどうしたらいいのか。どうにも思いつかない。抑えた演技にしたら「単にクール気取りのヤンキー」になりそうだし、ヤンキー成分をせいいっぱい抜いたとして「熱血明朗リーダー」ぐらいしか思い浮かばず、そうなると話も変わっちゃうしな!
今回、らぶたんの演技も「デキる」という評価を受けたけど、私は正直なところ「またこの手の役か〜〜」と思った。らぶたんは器用なんでヤンキー系も器用にこなすけど、イロモノだったら白雪姫のサルとか、正攻法だったら『タイムリープな少女』みたいなほうが、心にしみる演技をできるし、泣かせるんだって。ただ、この芝居でのらぶたんのポジで、そうそう「全客席が泣いた!」とかやっちゃうとバランス崩れるか……。うむ、らぶたんのあの演技は、芝居の中で正しいんだ。うむ、そう考えて納得しよう。

なら誰が泣かすのか。それは主人公だろう。あるいはその相手役。

この『博多の阿国の狸御殿』って、見終わってほんとに「明治座というハコにふさわしいストーリーだ」と思った。わかりやすい登場人物、わかりやすい行動、そして笑わせて、泣かせて、わあっと驚かせる。ザ・商業演劇!って感じ。それでも見終わって「これ、もっと泣けたのに」と思った。で、その理由は見ているうちにわかった。さくらたんの阿国は、阿国の哀しさを静かに表現して(というか、あれは身についたものでたぶん演技としてはやってない)見ているだけで胸がつまった。問題はキヌタだ。

キヌタがぜんぜん狸じゃなかったんだもん。

狸チームは、ぬいぐるみのしっぽ程度であとは人間のカッコで、言われなきゃ狸であるなんてわからない。でもみんな、成分の多寡はあるものの、芝居の中で狸なのよ。らぶたんはもちろんのこと、見た目的にもっとも狸からかけ離れているめるたんも狸だし、森保がどうかなと思ったけど「テクノボー狸」でリアリティあった。それを狙ってたかどうかはともかく。最後まで狸に見えなかったのがさしこちゃんです。

最後まで指原莉乃だったなあ。あのキヌタっていう役は、指原莉乃の人生をなぞったような役だから指原莉乃でいい、かといえばそんなことはない。『明治座特別公演・指原莉乃物語』があるとしたら三十年後に、今はまだ生まれてないアイドルが演じるのを待つべきものである。今回の『博多の阿国の狸御殿』は、指原莉乃の人生が下敷きになってるってのは、知っていれば楽しめるけど知らなくてもじゅうぶんに楽しめるようなあらすじで、でも客は「知っている」人がほとんどなので、ある意味「ネタバレ」しちゃっている。そこに「芝居ならではの感動」を上積みにするための装置が「指原莉乃が狸であること」だ。今、指原莉乃を見たって、スターのさっしーでしかなく、『逆転力』での“選ばれていない者の努力”とか総選挙のコメントで「落ちこぼれの星」と言うことだって、「一位のやつに言われたってよ」としか思えない人は必ずいる(私がそうです)。さっしーがきちんと狸であることが重要なのは、「指原莉乃の人生がすけて見える感動」が「指原莉乃の人生がすけて見えるシラケ」を上回らなくちゃいけないからです。

あの主人公のキヌタが、……って今思い出したけど、狸御殿のきぬたってふつうは「きぬた姫」で、お姫様で、やんちゃで可愛いワガママ姫のずっこけ物語みたいなもんで、ふつうに考えたらこの役はさくらたんにしたいとこですよね。あるいははるっぴか。さっしーは相手役でかつダブル主役みたいな。「男役は娘役よりもヒエラルキーが上」の宝塚歌劇の文化を持ってきて、座長としての格は保つ、みたいな。そういうやり方もあったと思うけど、あくまで「狸御殿の主役はきぬた(姫)」で、それを指原莉乃にやらせるためには、ああいうストーリーしかなかったと思わされる。横内先生すごい。いやだからさ、それだからこそ、さっしーが狸だったらもっと泣けたと思うわけよ。

さっしーの狸に欠けていたものはなにか。

狸であることの哀れさだな。さくらたんは「阿国であることの哀れさ」を非常に巧みに(ある種バケモノのごとく)舞台に立ち昇らせていた。セリフとか別にうまいわけでもないのに。狸の哀れさがそこにからんだらどんなに素晴らしかったか。人間を化かしてだまして金品盗んでくるけど、結局は狸で、ほんとはみっともなくて、人間からはケモノ扱いされ狩られ始末される。そんな狸が、阿国を見て憧れて、あんなふうになりたいと思う。……考えただけで涙が。なんて泣かせるんだ。…………うーん、今思い出してたら、記憶が美化されたのか(もう一ヶ月以上たってるもんなあ)、さっしーのキヌタでもじゅーぶん泣けるような気がしてきた。気のせいだ。明治座の客席で「うーーー、さっしー、あまりにも指原すぎるーーー」とはがゆくてしょうがなかった。

どうしたら狸っぽさが出たのか、というのがわからないので(方法を思いつかない)、難癖と言われたらそれまでなんだけど。ただ、今回、この座長公演の話を指原は最初断ったと報道されてた。芝居は見ないし自分でも演技は経験ないし、と言ってるのもテレビで見た。最初に舞台の上のキヌタを見た時は、それらが公演前の逆フカシじゃないかと思ったぐらい、ちゃんと演技していた。発声からしてなってないのが山ほどいた(というかほとんどそうだった)のに、さっしーの声はぱん!と出てるし、セリフ回しがおぼつかないこともない。噛んだりしない。でも「そこにいるのはあくまで指原莉乃」だったんだよなあ。

明治座の成功(ですよね?)を受けて、次なる公演も用意されてるかもしれないんだけど、これだけちゃんとした脚本と演出とハコが用意されるんだったら、さっしーをいかに魅力的なキャラとして出すか、ってのが最初の関門かもなあ。さっしーが、うまく役(役柄とか設定とか)にハマったらすげー泣けそうな気がするんだけど、それがどういう役なのかがわからん(苦)。その点、さくらたんて、天性の女優というか、舞台でその役になってまわりを巻き込むパワーがすごい。舞台荒らし、ってやつかも。主役かその相手役しかやらせちゃいかん。……多少言いすぎてますが。そしてらぶたんですが、HKTというグループの中にあっては、今回のような役付になるのは当たり前でして、そこでは充分な仕事をしていた。……けど、らぶたんは「真面目な、白い、女の子の役」で見てみたい。「少女の何気ない心の動き」「少女の、自分でもよくわからない気持ちのゆれうごき」を表現するのがすごくうまいんです。単館上映の文芸作品とか、いけると思うんだけどなあ。『ソフテン』があまりにもあんまりで泣けたので(あれは主役じゃないですけど、それにしても)、二度とああいうことにならないように、映画プロデューサーの方、よろしくお願いします!

お黒

狸の前に

明治座終わって何日経つんだ。まだ肝心の狸軍団についてのとこまで行き着いていない。
が、ちょっと思ったことを。狸の話じゃありません。

総選挙のスピーチが各候補出揃った。のですが……
なかなかこれというのがない。
(誰が、というのを具体的に言っているんではありません。全体を見ての話です)
マジメにやれとか言葉遣いちゃんとしろとか、スピーチの内容がないようとかそういう細かいことではなくて、その子の魅力を全開にしてほしいと思うわけですやはり。スピーチの途中で噛もうが口ごもろうがギャグがすべろうが、そういうのもコミでその子で、それで魅力的ならいいんです。そうじゃなくて、演出部分が、その子の魅力とは別方向に向いてるんではないかと思うスピーチが散見される。選挙ポスターもそう。すべるとこまで計算してのネタ、というのはあったとしても、そのネタで演じる姿が「そこじゃないだろう」というのがある。
じゃあ、可愛らしさや美しさを極める!……というのならいいかといえば、彼女が志向する美が彼女の魅力と噛み合ってないってのが多いんだよなあ。

ぐぐたすの、地鶏……じゃない自撮りの写真も「こういう顔が気に入ってるんだろうなあ……きみの可愛いのはこういう顔じゃない時なのに……」としょんぼりすることは多い。
もっと可愛いんだよおおおおお君はーーー!!!!(だから、誰かっていうんじゃないです。何十人の顔を思い浮かべて叫んでいる)

そんな中でみおたすはある意味盤石ではあるな。

指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#3

はるっぴ

んでもう一人、目についたはるっぴね。
むかーしから、この人は目立つ人であった。髪型のせいかと思ってたけど、目に力があるんですね。破綻のないルックスで、きっちりとした楷書のお習字みたいな可愛さ。おまけに華もある。もうちょっと「わかりづらいところ」があったほうがアイドルとして爆発できるんではなかろうか……と思ったりするが余計なお世話か。

このはるっぴが、得意の“滑舌の悪さ”と、決まらない腰つきで殺陣をしてるのが、まあとっても目立った。でもまあ、この『博多の阿国一座』はこういう子たちの集団だと思うと、ハラもたたずに見ていられます。

で、はるっぴの相手役とおぼしき娘役が穴井千尋。これがまた、おバカな娘役っぽくてよかった。バカでもこういうのがトップになったりするんだよそーそー、と言いたくなるような娘役っぷり。はるっぴと「キスシーンの練習」をするところがある。少女歌劇のキスシーンて、自然に後ろを向いたり男役がうまく手で口元を覆ったりしてクチビルがぶちゅっとなるのを隠すわけですが、この「キスシーン」を「練習している」という場面があって、舞台の奥ではるっぴとちーちゃんがキスのまね事っぽいことをする……と、ちーちゃんが「ギャー!」と叫び「ほんとにしたーー!」「舌まで入ったー(TдT)!!」というお約束の騒ぎになる。「兒玉遥と穴井千尋のキス……」って考えてみりゃすごいことで、可憐な女子同士でキスシーン、舌を入れたの出したのと、ナマでやってくださって……しかしまーったくドキドキしないのが可笑しかった。ま、芝居のスジの上でここでドキドキさせても困るとこだけどさ。ただのクスグリの場面だから。でもそんなとこからでも妄想をひっぱりだすのがファンというものですが、このキスシーンでは妄想はちょっと。だけどこの、やる気出して舌まで入れるはるっぴと、いちいちそれに騒いでる現実的なちーちゃん、てのがすごく「現実の、歌劇団の男役と娘役」っぽくてさ。あー、あるあるある、こういうやつ、と思った。そんなもんは狙っちゃいないでしょうが。

で、この「男役はるっぴ」「娘役ちーちゃん」、そしてまわりを固める一座の座員たちがわちゃわちゃやってる、ノンキそうな『博多の阿国一座』が、いざ「阿国が秀吉さまの妾にあがる」となった時に、みんなで立ち上がる! その弱っちいところがかえって彼女たちの絆の強さと、その背後にのしかかっている不幸な境遇を思い知らされる。で、そんな一座の中で、みんなに慕われているけれどさくらたんの阿国は、どこか孤独な立場であることも浮かび上がる仕組みになっていた。

そんな阿国を救済する者として降臨したのがキヌタということになる。

(つづきます)

指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#2

みなぞー

博多の阿国一座は、阿国のさくらたんをセンターに、兒玉遥、今田美奈、本村碧唯、松岡菜摘、穴井千尋、植木南央、熊沢世莉奈、の8人。プログラム(ここは「筋書」と呼ぶところですね、明治座だから)にはこの順番で書いてあったんだけど、これ序列通りでもないしあいうえお順でもない。なおとせりーぬは一座の「研究生」の役なので最後に書かれたんだとして、ということは公演の役としての並びか。ってことは「博多阿国一座」の序列が、さくらたんの阿国をトップとして、以下はるっぴ、みなぞう、あおいたん、なっちゃん、ちーちゃんと続くわけ? でもそれもオカシイ。芝居を見てたらわかるけど、この一座でははるっぴとみなぞうが男役だ。で、はるっぴはたぶん男役トップスターっぽいが、博多阿国一座は娘役の阿国がトップスターでセンターで、はるっぴは男役トップといえども二番手で、そしてそのはるっぴの相手役らしいのがちーちゃんなんだ。てことはちーちゃんが(阿国を除けば)トップ娘役なのに、筋書きには研究生二人の前に位置してるし。それとも学年順>成績順に名前が並ぶ宝塚歌劇団方式なのかと思ってもあおいたんなっちゃんちーちゃん全員一期生で同学年で、HKTにおける成績って総選挙の順位だと思うからやっぱちーちゃんが頭に並ばないと。いやそれならみなぞうの名前の位置もちがうって話になるぞ。こんなこと気にしてんのは私だけか。文句があるとかじゃなくて、プログラムのテキスト情報を読むのが好きなんです。で、そこに何か意味があるのか考えるのも好きなんです。

この阿国一座のヘナチョコぶりには笑った。イメージとしては「安土桃山時代の宝塚歌劇団」的なものとして設定されている。でも娘役がトップとして君臨してる(出雲の阿国は男装して人気出たわけだが博多の阿国は男装なしの純娘役のようである)という点では男役至上主義の宝塚じゃなくて女役が君臨できる松竹歌劇的かも。このあたりも明治座公演にふさわしい。できればこれ、松竹座でやってほしいんよねー(博多座はもちろんですが)。

で、その「安土桃山の歌劇団ぶり」がヘナチョコ。少女歌劇って“ある程度の型ができてないと成立しない”ことを、この『博多の阿国一座』見て思い知らされた。でもヘナチョコで別にいいんですよこのお芝居の中では。「博多の阿国一座」は「故郷の窮乏を救うために出てきた少女たち」なのがわかっているから、キャッキャキャッキャとノーテンキにいろいろ「舞い踊ったり」している彼女たちが、ヘナチョコであればあるほど可哀想でぐっとくるですよ。少女歌舞伎なんて「芸を売り身を売る」商売であることが、このヘナチョコ少女たちの背景にふっと浮かび上がってくるのだ。まさかそこまで計算して脚本書いてるとは思えないが……計算づくなのか?

(ただし、さくらたんの阿国だけは、ヘナチョコを感じさせない存在感がある。動きは別に他とたいして変わらないのに)

というわけで、この『博多の阿国一座』の面々の、学芸会のような少女歌舞伎っぷりをほのぼのと見ることになるわけですが、知らずに目につくというメンバーが当然出てくる。それが兒玉遥と今田美奈。なんだよ結局男役かよ(男役ズキなもんで)。いやちがう。男役っていってもそんなバリバリに男役なわけじゃなくて、着物を男帯で着て刀振り回すだけ、というぐらいの女の子。でもやっぱり異性装っていうのは目立つんだな。いや、それもちがう。

今田美奈。今回の明治座で“最大の発見”が「みなぞう芝居うめーーΣ(@@!!!」ってことのようだ。それをさんざん聞かされてから実見したところ、芝居がうまいかどうかについては正直言われすぎかもって気がしたが、とにかく「目立つ」。薄暗い舞台の上で何人もの似たような衣装つけた女の子たちがわらわらと動いている中に、一人だけ目につく子がいて、見ればそれは必ずみなぞうである。ま、背が高いからってのもあるんだけど、髪型(男役だが、ワンレン風のロングを後ろで結んで、ルパンの石川五エ門風にしている)、身のこなし(着物で動き回る、ましてアクションつけるってのはとーっても難しい。シロートがやっていちばんボロが出るのがここ)(着物で動くなんてドシロートに近いと思われる今回のメンバーが、全員それほど破綻なくやってたのは驚きであったが。その中でもみなぞうの着こなし身のこなしがいちばんきれいだったということ)、そして声。声が、声質なのか発声のせいなのかその両方なのか、語りで仕事をする人のようなクロウトっぽい声で、叫ぶんじゃないところでもぱーんと聞こえる。その3つによって、知らぬ間に目を惹かれる。それが決して悪目立ちではなく、うるさくなく、でも気になる。

みなぞう、いわゆるわかりやすいアイドル系ルックスじゃないんだけど、そういう人のほうが爆発した時のパワーはとんでもないことになる。にじみ出てくるモード系の趣味といい、ガチッと腰の決まった声や歌唱や立ち居といい、愛犬可愛がってるとこといい、(HKTのファンにはまったくわかんないでしょうが)OSKの桐生麻耶をふと思い出すのであった。こういう人が「次の総選挙ではアップカミングガールズの65位を狙います!(生誕祭時のアンコール前の口上)」というHKTはすごいな。いや、私とてこの明治座見るまで気づかなかったのである。今回オーディションでみなぞうを選んで、なおかつ阿国一座にキャスティングした人はえらい。

(つづきます)(いったいいつまで……)(まだまだ)

指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#1

さくらたん

今まで出演者のパフォーマンスについて書かなかった(あ、松岡菜摘の名前だけ出したか)。いやー最後に満を持して書こうと思ってたんですよ♪(舌なめずり)

この『博多の阿国の狸御殿』は、出演者であるHKT48のメンバーに「巧みな芝居」は期待されてないと思われた。今までやった演技なんてマジすか学園とか、グダグダのコントだもん、所謂「舞台におけるお芝居。とくに明治座にかかるようなお芝居」がうまくできるわきゃない、キミらに求められているのはもっと別のことだ、と。そのために、芝居巧者の本職の役者が要に配されてる。秀吉さまとか狸の親分とか狸の用心棒とか一座の座頭とか、そういう役は本職が担当する。ではHKTメンバーは「お芝居の花」としての役割なのかといえばそうは行かない。芝居としてすごくちゃんとしている(&トラディショナル)脚本だからだ。出演者は誰も賑やかしじゃなく、役割を与えられている。セリフが飛んだりすると話の流れに即影響を及ぼす。

なんか、「ムリだよね。 だ か ら やってね!」という、不思議な使われ方をしてた。
で、それがなんか面白くしてたのよね、芝居を。

でも不思議な使われ方をして不思議な演技で面白かった、ではすまない、重要な役もあるわけで、いちばんキモになる役は博多の阿国だ。主人公のキヌタが動き、ドラマが転がりだすのはすべてこの阿国ちゃんの存在があったから。ということは、見ている客に「阿国という子が特別な子である」ということを納得させなければならない。阿国をやったのは宮脇咲良で、さくらたんのファンならただちに納得するだろうが、こちとららぶたんのファンであり、さくらたんは嫌いじゃない(というか好きだ)けど別にドキドキしない。そういう人間を納得させられるか。

納得してしまった。

阿国が特別な子である、ということはセリフとかではまったくなんの説明もないし、阿国が特別に持ち上げられてるような描写もない(こういうところも、横内さんの脚本のかっこいいところ)。なのに、博多の阿国一座の中にいて、真ん中にいる事が当然の華を持ち、誰よりやさしく、賢い、という人物であることを、なんのひっかかりもなく納得させちゃう。うわー……。

これって、さくらたんが劇団四季にもいて芝居経験があるということとは関係ない……いや関係ないとまでいうと言い過ぎか、でもほとんど関係ないと思う。さくらたんの「アイドル性」によるものだろう。私が考えるアイドル性って、「ワケがわからないところ」「完璧じゃないところ」「寂しげなところ」が不可欠で、阿国ちゃんにはすべてが備わっていた。さくらたんって、顔が完璧な美形というわけじゃないし、頭がいいんだかぼけてるんだかわからなくなる時があるし、そしてこの阿国をやってわかったのが「寂しげ……というかある種の諦念」のようなものを漂わせているということ。秀吉様の妾に上がる、という時の微笑み。あそこは「みんなのためにすべてを、あんなに憧れていた“恋すること”も、諦める」ということを見せる場面で、へたにやったらドッチラケ、うまくやってもベタになりすぎるという難しいところなのだ。そこをさらっと、すっごい美しくやった。

阿国は、台本の上では二番目に重要な役で、今回の出演メンバーの中で序列2番のさくらたんがそこに入るのは自動的に決まったのかもしれないが、いやこれはさくらたんの資質に合わせて作者がここにこういう役を置いたんじゃないだろうか、というぐらい、よかったです。

では、他の、不思議な使われ方をして不思議な演技で面白かった面々については……続きます。

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