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大日貴

指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#3

はるっぴ

んでもう一人、目についたはるっぴね。
むかーしから、この人は目立つ人であった。髪型のせいかと思ってたけど、目に力があるんですね。破綻のないルックスで、きっちりとした楷書のお習字みたいな可愛さ。おまけに華もある。もうちょっと「わかりづらいところ」があったほうがアイドルとして爆発できるんではなかろうか……と思ったりするが余計なお世話か。

このはるっぴが、得意の“滑舌の悪さ”と、決まらない腰つきで殺陣をしてるのが、まあとっても目立った。でもまあ、この『博多の阿国一座』はこういう子たちの集団だと思うと、ハラもたたずに見ていられます。

で、はるっぴの相手役とおぼしき娘役が穴井千尋。これがまた、おバカな娘役っぽくてよかった。バカでもこういうのがトップになったりするんだよそーそー、と言いたくなるような娘役っぷり。はるっぴと「キスシーンの練習」をするところがある。少女歌劇のキスシーンて、自然に後ろを向いたり男役がうまく手で口元を覆ったりしてクチビルがぶちゅっとなるのを隠すわけですが、この「キスシーン」を「練習している」という場面があって、舞台の奥ではるっぴとちーちゃんがキスのまね事っぽいことをする……と、ちーちゃんが「ギャー!」と叫び「ほんとにしたーー!」「舌まで入ったー(TдT)!!」というお約束の騒ぎになる。「兒玉遥と穴井千尋のキス……」って考えてみりゃすごいことで、可憐な女子同士でキスシーン、舌を入れたの出したのと、ナマでやってくださって……しかしまーったくドキドキしないのが可笑しかった。ま、芝居のスジの上でここでドキドキさせても困るとこだけどさ。ただのクスグリの場面だから。でもそんなとこからでも妄想をひっぱりだすのがファンというものですが、このキスシーンでは妄想はちょっと。だけどこの、やる気出して舌まで入れるはるっぴと、いちいちそれに騒いでる現実的なちーちゃん、てのがすごく「現実の、歌劇団の男役と娘役」っぽくてさ。あー、あるあるある、こういうやつ、と思った。そんなもんは狙っちゃいないでしょうが。

で、この「男役はるっぴ」「娘役ちーちゃん」、そしてまわりを固める一座の座員たちがわちゃわちゃやってる、ノンキそうな『博多の阿国一座』が、いざ「阿国が秀吉さまの妾にあがる」となった時に、みんなで立ち上がる! その弱っちいところがかえって彼女たちの絆の強さと、その背後にのしかかっている不幸な境遇を思い知らされる。で、そんな一座の中で、みんなに慕われているけれどさくらたんの阿国は、どこか孤独な立場であることも浮かび上がる仕組みになっていた。

そんな阿国を救済する者として降臨したのがキヌタということになる。

(つづきます)


指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#2

みなぞー

博多の阿国一座は、阿国のさくらたんをセンターに、兒玉遥、今田美奈、本村碧唯、松岡菜摘、穴井千尋、植木南央、熊沢世莉奈、の8人。プログラム(ここは「筋書」と呼ぶところですね、明治座だから)にはこの順番で書いてあったんだけど、これ序列通りでもないしあいうえお順でもない。なおとせりーぬは一座の「研究生」の役なので最後に書かれたんだとして、ということは公演の役としての並びか。ってことは「博多阿国一座」の序列が、さくらたんの阿国をトップとして、以下はるっぴ、みなぞう、あおいたん、なっちゃん、ちーちゃんと続くわけ? でもそれもオカシイ。芝居を見てたらわかるけど、この一座でははるっぴとみなぞうが男役だ。で、はるっぴはたぶん男役トップスターっぽいが、博多阿国一座は娘役の阿国がトップスターでセンターで、はるっぴは男役トップといえども二番手で、そしてそのはるっぴの相手役らしいのがちーちゃんなんだ。てことはちーちゃんが(阿国を除けば)トップ娘役なのに、筋書きには研究生二人の前に位置してるし。それとも学年順>成績順に名前が並ぶ宝塚歌劇団方式なのかと思ってもあおいたんなっちゃんちーちゃん全員一期生で同学年で、HKTにおける成績って総選挙の順位だと思うからやっぱちーちゃんが頭に並ばないと。いやそれならみなぞうの名前の位置もちがうって話になるぞ。こんなこと気にしてんのは私だけか。文句があるとかじゃなくて、プログラムのテキスト情報を読むのが好きなんです。で、そこに何か意味があるのか考えるのも好きなんです。

この阿国一座のヘナチョコぶりには笑った。イメージとしては「安土桃山時代の宝塚歌劇団」的なものとして設定されている。でも娘役がトップとして君臨してる(出雲の阿国は男装して人気出たわけだが博多の阿国は男装なしの純娘役のようである)という点では男役至上主義の宝塚じゃなくて女役が君臨できる松竹歌劇的かも。このあたりも明治座公演にふさわしい。できればこれ、松竹座でやってほしいんよねー(博多座はもちろんですが)。

で、その「安土桃山の歌劇団ぶり」がヘナチョコ。少女歌劇って“ある程度の型ができてないと成立しない”ことを、この『博多の阿国一座』見て思い知らされた。でもヘナチョコで別にいいんですよこのお芝居の中では。「博多の阿国一座」は「故郷の窮乏を救うために出てきた少女たち」なのがわかっているから、キャッキャキャッキャとノーテンキにいろいろ「舞い踊ったり」している彼女たちが、ヘナチョコであればあるほど可哀想でぐっとくるですよ。少女歌舞伎なんて「芸を売り身を売る」商売であることが、このヘナチョコ少女たちの背景にふっと浮かび上がってくるのだ。まさかそこまで計算して脚本書いてるとは思えないが……計算づくなのか?

(ただし、さくらたんの阿国だけは、ヘナチョコを感じさせない存在感がある。動きは別に他とたいして変わらないのに)

というわけで、この『博多の阿国一座』の面々の、学芸会のような少女歌舞伎っぷりをほのぼのと見ることになるわけですが、知らずに目につくというメンバーが当然出てくる。それが兒玉遥と今田美奈。なんだよ結局男役かよ(男役ズキなもんで)。いやちがう。男役っていってもそんなバリバリに男役なわけじゃなくて、着物を男帯で着て刀振り回すだけ、というぐらいの女の子。でもやっぱり異性装っていうのは目立つんだな。いや、それもちがう。

今田美奈。今回の明治座で“最大の発見”が「みなぞう芝居うめーーΣ(@@!!!」ってことのようだ。それをさんざん聞かされてから実見したところ、芝居がうまいかどうかについては正直言われすぎかもって気がしたが、とにかく「目立つ」。薄暗い舞台の上で何人もの似たような衣装つけた女の子たちがわらわらと動いている中に、一人だけ目につく子がいて、見ればそれは必ずみなぞうである。ま、背が高いからってのもあるんだけど、髪型(男役だが、ワンレン風のロングを後ろで結んで、ルパンの石川五エ門風にしている)、身のこなし(着物で動き回る、ましてアクションつけるってのはとーっても難しい。シロートがやっていちばんボロが出るのがここ)(着物で動くなんてドシロートに近いと思われる今回のメンバーが、全員それほど破綻なくやってたのは驚きであったが。その中でもみなぞうの着こなし身のこなしがいちばんきれいだったということ)、そして声。声が、声質なのか発声のせいなのかその両方なのか、語りで仕事をする人のようなクロウトっぽい声で、叫ぶんじゃないところでもぱーんと聞こえる。その3つによって、知らぬ間に目を惹かれる。それが決して悪目立ちではなく、うるさくなく、でも気になる。

みなぞう、いわゆるわかりやすいアイドル系ルックスじゃないんだけど、そういう人のほうが爆発した時のパワーはとんでもないことになる。にじみ出てくるモード系の趣味といい、ガチッと腰の決まった声や歌唱や立ち居といい、愛犬可愛がってるとこといい、(HKTのファンにはまったくわかんないでしょうが)OSKの桐生麻耶をふと思い出すのであった。こういう人が「次の総選挙ではアップカミングガールズの65位を狙います!(生誕祭時のアンコール前の口上)」というHKTはすごいな。いや、私とてこの明治座見るまで気づかなかったのである。今回オーディションでみなぞうを選んで、なおかつ阿国一座にキャスティングした人はえらい。

(つづきます)(いったいいつまで……)(まだまだ)


指原莉乃座長公演@明治座 その4・にくの話#1

さくらたん

今まで出演者のパフォーマンスについて書かなかった(あ、松岡菜摘の名前だけ出したか)。いやー最後に満を持して書こうと思ってたんですよ♪(舌なめずり)

この『博多の阿国の狸御殿』は、出演者であるHKT48のメンバーに「巧みな芝居」は期待されてないと思われた。今までやった演技なんてマジすか学園とか、グダグダのコントだもん、所謂「舞台におけるお芝居。とくに明治座にかかるようなお芝居」がうまくできるわきゃない、キミらに求められているのはもっと別のことだ、と。そのために、芝居巧者の本職の役者が要に配されてる。秀吉さまとか狸の親分とか狸の用心棒とか一座の座頭とか、そういう役は本職が担当する。ではHKTメンバーは「お芝居の花」としての役割なのかといえばそうは行かない。芝居としてすごくちゃんとしている(&トラディショナル)脚本だからだ。出演者は誰も賑やかしじゃなく、役割を与えられている。セリフが飛んだりすると話の流れに即影響を及ぼす。

なんか、「ムリだよね。 だ か ら やってね!」という、不思議な使われ方をしてた。
で、それがなんか面白くしてたのよね、芝居を。

でも不思議な使われ方をして不思議な演技で面白かった、ではすまない、重要な役もあるわけで、いちばんキモになる役は博多の阿国だ。主人公のキヌタが動き、ドラマが転がりだすのはすべてこの阿国ちゃんの存在があったから。ということは、見ている客に「阿国という子が特別な子である」ということを納得させなければならない。阿国をやったのは宮脇咲良で、さくらたんのファンならただちに納得するだろうが、こちとららぶたんのファンであり、さくらたんは嫌いじゃない(というか好きだ)けど別にドキドキしない。そういう人間を納得させられるか。

納得してしまった。

阿国が特別な子である、ということはセリフとかではまったくなんの説明もないし、阿国が特別に持ち上げられてるような描写もない(こういうところも、横内さんの脚本のかっこいいところ)。なのに、博多の阿国一座の中にいて、真ん中にいる事が当然の華を持ち、誰よりやさしく、賢い、という人物であることを、なんのひっかかりもなく納得させちゃう。うわー……。

これって、さくらたんが劇団四季にもいて芝居経験があるということとは関係ない……いや関係ないとまでいうと言い過ぎか、でもほとんど関係ないと思う。さくらたんの「アイドル性」によるものだろう。私が考えるアイドル性って、「ワケがわからないところ」「完璧じゃないところ」「寂しげなところ」が不可欠で、阿国ちゃんにはすべてが備わっていた。さくらたんって、顔が完璧な美形というわけじゃないし、頭がいいんだかぼけてるんだかわからなくなる時があるし、そしてこの阿国をやってわかったのが「寂しげ……というかある種の諦念」のようなものを漂わせているということ。秀吉様の妾に上がる、という時の微笑み。あそこは「みんなのためにすべてを、あんなに憧れていた“恋すること”も、諦める」ということを見せる場面で、へたにやったらドッチラケ、うまくやってもベタになりすぎるという難しいところなのだ。そこをさらっと、すっごい美しくやった。

阿国は、台本の上では二番目に重要な役で、今回の出演メンバーの中で序列2番のさくらたんがそこに入るのは自動的に決まったのかもしれないが、いやこれはさくらたんの資質に合わせて作者がここにこういう役を置いたんじゃないだろうか、というぐらい、よかったです。

では、他の、不思議な使われ方をして不思議な演技で面白かった面々については……続きます。


指原莉乃座長公演@明治座 その3・すじの話

明治座3

『博多の阿国の狸御殿』のあらすじはこんなん。


舞台は京都。太閤秀吉の治世。
狸チームがいる。狸の親分(極道)、用心棒、メス組。メス組はみなしごの狸たちで、親分が拾って育ててくれたのである。メス組のみんなは、ガラは悪いが侠気に篤く、親分を親と慕っていて、親分のために稼業に精を出す。街道筋で遊女に化けて人間をたぶらかし、枕ドロするのだ。狸にとって人間は敵。メス組のタヌ娘たちがみなしごになったのだって、親が人間の仕掛けたワナにかかったとか、猟師に狩られたりとか、車にひき逃げにあったからとかしたからだ。人間を騙して金品巻き上げるのは、とーぜんの仕返しである。

『博多の阿国一座』チームがいる。これは人間の、娘歌舞伎の一座と、座頭に番頭。故郷が戦乱や飢饉で食えなくなったので、一座を組んで全国を巡業して回っている。そこで稼いで故郷に仕送りしている。

この阿国一座が、京都にやってくる。人間に化けて見に行ったメス組のキヌタ。葉っぱを金に変えて売店の土産物をごっそりだまし取ったりしながら、ついでに見た一座の舞台に心を奪われてしまう。メス組の中でもお祭りが大好きでお祭りといえばいつでも真ん中で大騒ぎしていたキヌタ。「こんなきれいなものオラ見たことねえダ……!」(こんな方言は使わないが)もう、阿国一座のことしか考えられない。とくにセンターで歌い踊る“博多の阿国”がきれいで可愛くて……「オラもあんなふうになりてえダ!」(だからこんな方言じゃないが)

売店でせしめた戦利品を仲間たちのお土産に帰る。帰るんだけどどうしてもあのステージが忘れられない。博多の阿国ちゃんが忘れられない。人間に化けて阿国一座に入団する!と宣言。メス組の仲間たちは「人間なんて敵だろ!」「父ちゃん母ちゃんをワナにかけたのは誰だよ!」「裏切るのかよキヌタ!」って大騒ぎ。でもどうしても行く!と駆け出すキヌタ。「あんなやつほっとけよ!」みんなキヌタがいなくなるのがイヤなのに、強がって平気なフリをする。

人間に化けて一座の入団試験を受ける。祭りは好きだがダンスも歌もやったことないので一次試験の課題(ラインダンス!)にもまったくついていけない。けど狸の化け力でなんとか合格を果たす……んだけど狸だということがバレて捕まってタヌキ汁にされそうに……! 人間は人間で狸に恨みがあったのだ。「うちの畑はいつも狸に荒らされてたんだ! こんなやつはさっさとタヌキ汁にしちゃえばいいんだ!」(←ココ、松岡菜摘渾身の演技)

そこにやってきた阿国。「可哀想に、狸のしたことじゃないか。逃がしておやり」。えーっ阿国どうして! でも阿国ちゃんという人は、美しくてスターで、さらにそういうやさしい子なのである。キヌタを逃がしてやりに外に出て、しばし語り合う二人。実は阿国も岐路に立たされていた。一座の芝居を見た太閤秀吉に気に入られて、お城へ妾(そばめ)として上がれと言われているのだ。相手は日本で一番の権力者。断ったりしたらどんなことになるかわからない。

阿国ちゃんは、みんなのために妾に上がるという。そんなことなんて、今までの苦労にくらべたらなんでもない。でも、
「いちどでいいから、恋をしてみたかったなあ」
月に照らされて、阿国ちゃんは笑いながら言うのだ。今まで恋をしたことがなくて、恋ってどんなものか知らなくて、恋をすることに憧れていたけれど……もう恋をすることも許されないんだね、と。

ここでキヌタに火がつく。仲間のもとに取って返して、阿国のために太閤秀吉と戦おう!と言う。言うけどそんなもん取り合ってもらえない。ふつーに考えてムリだろそれは。おまけに、間の悪いことにちょうど狸極道界の抗争が勃発して、阿波の国の全面戦争に参加しなきゃいけない、みんなでそっちに行くぞー!って時なのに。
「だって阿国はいい人なんだよ、私を逃がしてくれた人なんだよ、人間にだっていい人がいるんだ、そんな阿国が今困ってるんだから助けにいかなきゃいけないんだ」
私ひとりでも行く! と駆けていくキヌタ。みんなほんとは行きたいんだけど、親分も阿波に行かなきゃいかんし、どうしたらいいの。でも親分も同じ気持だったんだ。「キヌタと阿国を助けに行くぞ!」の大音声を発し、狸たちも阿国たちのもとに向かうのだ。

最初は秀吉&阿国一座に化けて家来を騙すんだけど、バレて逆に取り囲まれちゃう。一座もメス組もみんな捕まっちゃう。本物の秀吉はカサにかかって「女の子はみんなワシが囲っちゃるでよ〜」。「私は秀吉さまのもとへ参ります……」と言わされてしまう阿国ちゃん。

そこへ一条の光とともにやってきた、白馬にのり白い軍服のキヌタ。ここで太閤勢と狸&阿国一座の戦いの火ぶたが切って落とされる。激しい立ち回りの中、キヌタは阿国を白馬に乗せて、天空へと飛んでいく。チャンバラの中でメス狸の一匹が斬られ、囲まれて絶体絶命のピンチになった時、メス組のリーダー狸が進み出て、「まず私を殺しな! 自分のやりたいことだけやってるんじゃない、金があるならみんなにわけろ。それが天下人ってもんだろ!」

次々と狸たちが、「私を殺せ」「いや私から!」と立ち上がり、「ええいまとめて始末してくれるわ!」とサムライが刀を振り上げた時…………

「待て、刀を納めろ!」
秀吉様がいきなり改心。狸たちの言葉で目が覚めたのです。自分のやってることがアカンことだと気づいて、みんなを許してやります。そして阿国を妾にする代わりに一座にやろうとしていた千両は、そのまま迷惑料としてあげると言います。斬られた狸も、キズは浅くて、けろっと治っちゃうのでした。

阿国は、自分を救ってくれたキヌタに礼を言います。それは救ってくれたからではなく、「ほんとうの恋をしてみたい」という夢を叶えてくれたから。そう、二人の間には恋情が芽生えていました。でも、別れなければならない。阿国はこれからも一座で国を巡り続けなければならないし、キヌタは狸だし。でもいつか狸まつりで会おう、と指切りをして再会を約すのでした。阿国はキヌタを一座の舞台にあげて、一緒に歌って踊りましょうと言う。阿国一座に憧れていたキヌタへの、それが最後で最高のプレゼントなのでした。


と、私の目から見た『博多の阿国の狸御殿』の、すごくざっくりしたあらすじまとめ。もちろんここに書いた以外に枝葉がくっついてるのだが、今思い出してみても枝葉はどうでもいいというぐらい、キヌタと阿国、この二人のラブストーリーなのですよ、この話は。それもごくふつうに、自然にやってる。……それってけっこうスゴイことなんではないでしょうか。大多数の男性ファンはどう見るんだろう。ジャニーズネタで薄い本つくる女子的な喜びをそこに見出したりするんですかね? それはないか。女の私から見て、美しい純愛に見えました。(そう見えたのにはちゃんと理由がある。また後日書きます)

本筋、事件が起こってそれが収束する流れは単純で、登場人物も小難しい理屈は何も語らないでまっすぐ行動するだけ、なのに幹が太いというか構図に奥行きがあるというか、「ドラマを見せてもらいました」と思わせる。前半(キヌタが阿国一座にもぐりこもうといろいろやってるあたりまで)睡魔が来たけど、それは「この芝居の世界をお客さんに周知させよう」という説明の場面、ドラマが始まる前、だったからではないでしょうか、今思い返すと。“物語世界をわからせる”のにいちばん安易な方法は、役者に説明セリフを言わせる、であるが、この芝居には説明ゼリフや回想シーンなんかなくて、現在進行形の芝居で“彼らをとりまく環境”を客にわからせてましたからね。どーでもいい場面、というのがないんだ。横内謙介って人の芝居を私はひとつも見たことがなかったんだが、これはスゲエなあと思った。ただそこがちょっとテンポゆるめだったのと、メンバーのセリフのメリハリがはっきりしなかったのが相まって眠気が来たんだろう。

後半からはテンポアップして、狸は斬られて死にそうになってるし、阿国はエロ親父の秀吉に「私を抱いてください」とか言わされるし、狸も一座もみんなまとめてお手打ちされそうだし、どどどどーなるのこれから、どうやって話が収まるの、とドキドキするような展開になって、そしていきなり秀吉さまがコロッと改心して、いきなりハッピーエンドになるというこの流れ。いやー、これはすごくプロっぽい終わり方だと思ったなー。古き良き時代劇!って感じした。「いきなり、んなバカな(゚Д゚)」で大団円という(『若様隠密道中』もソレに近いもんがあった)。何も新しいやり方なわけじゃないけど、私はこのラストでいちばん「うわ、明治座らしいいいラストだー」と感心したのだった。

(つづきます)


指原莉乃座長公演@明治座 その2・骨格の話

明治座の狸

「明治座でいかにアイドルのショーを成功させてくれるか、まず絵面から」ということをこれほど気にしてる人ってのはあんまりいなかったのかもしれない。とにかくHKTならば「明治座をはじめとする歌舞伎興行用の劇場を洋風に使うにあたっての正解」を見せてくれると期待していた、そして期待通りにいかなかった。そんな私は少数派かもしれません。HKTのファンの人とすれば、明治座という舞台が今まで乗ってた劇場やホールやスタジアムとあまりにも違って、「劇場の力」が(歴史とか風格とか、良きにつけ悪しきにつけ)強いので、そこにいるだけで「すごい」と思うのかも。思えば私も最初はそうだった……松竹座の『春のおどり』とか、感動しちゃったもんなー(遠い目)。HKTや他のグループが明治座や松竹座で公演をするようになった時、あの「劇場の、子泣きじじいのようにからみついてくるパワー」を、いかにふりほどくのかうまくあしらうのか、逆にそれを味方にしてパワーの上乗せをするのか。それを見るためにも、明治座公演は続けてほしいものである。

私がもっぱらそのことばかりに気を取られていたのは、
「芝居も、ショーも、骨組み=作・演出は大丈夫だろう」
と勝手に安心していたからです(ほんとは装置や照明も演出のうちですけど)。
そして、初日あいてから、お芝居『博多の阿国の狸御殿』の評判がえらい良いのである。笑って泣ける芝居らしい。HKTすげー!とか、出演者もがんばってるとか、とにかく評判がいい。ダメといえば朝長美桜が「えーん」と泣く芝居のところがあまりにも棒泣きなんで笑いが出る、っていうとこぐらい。
たまーに、あんなの芝居になってねー、とか寝た、とか、そういう感想もあったりしたけど、ほとんどは絶賛感動の嵐。こう来ると「……ホントなのか」と疑り深くなる私。

で、やっと生で見た『博多の阿国の狸御殿』。一部の途中までは「言われてるほどではない……」というのが正直なところ。ふと気の遠くなる時もあったし(´`;) 。なんで気が遠くなったのか思い出してみると、前半は展開がわりかし平坦だったからかなあ。あと、芝居のセリフっていうものになっていないメンバーがいっぱいいて、セリフで緩急がつくとかセリフで場を動かす、というのがうまくいってないように見えた。ポーズつけて見得を切る、というのもポイントポイントで出てくるのに、そのポーズと見得が……。極端なこといえば「そこさえキメればいい」んだから。他んとこでセリフ忘れようが噛もうがそこが決まれば拍手喝采という場面。そこのお稽古をもうちょっとやってほしかったな。

これは「アイドルは技術が低いのでダメ」っていう話ではなくて、私は、技術の高さということに関しては割りとどうでもよくて、それよりも技術の低さも楽しむべきだし楽しめる、という自信がある。見得のところには「ヘタの良さ」があんまりなかったのよねー。

(逆に言えば、HKTのメンバーは、ものすごくマジメに正攻法にこの芝居に取り組んだ=取り組まされた、ってことかもしれない。キメるとこだけキメたらいいから、っていう、ある意味効率のいい、ある意味不マジメなやり方ではなく、台本を1ページ目からきちんとこなしていく、というような芝居の仕方。はじめての、ちゃんとした劇場でのお芝居というのがどういうものかを、メンバーに知ってもらう、という意思が制作側にあったのかも)

…………が。
途中からガ然、テンポがあがりドラマがうねり出したのである。
(つづきます)


指原莉乃座長公演@明治座 その1・ガワの話

明治座のガワ

明治座は初めて行きました。
が、入ってみるといつも見てる劇場とほぼ同じである。私がふだん行くのは大阪松竹座と京都四條南座、たまーに新橋演舞場。そのどれも本来の歌舞伎興行じゃなくてOSKのレビュー公演を見にいってるので、「アイドルが明治座に出る」という時に比較がしやすい、というかOSKが松竹座や南座でやってることと、HKTが明治座でやることにどれぐらいの違いが(あるいは差が)あるのか、にすごく興味があり、おまけに、今月アタマにOSKは(会場はドーンセンターっていう500人規模のホールだけど)『狸御殿』をやってたという「どうかくらべてください」状態。まあ比べて見るような人はほとんどいないだろうし、比較にニーズもないと思うが、両方見た者としてはいろいろ面白かったし思うところも多かったのでいくつか書いてみます。

私が見たのは千穐楽だったので、初日明けてからネットに出た舞台写真を先にいっぱい見ることになった。芝居のほうはストレートプレイらしいのでひとまず措くとして、二部のショーの舞台写真。それを見た時正直、

「 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 ?」…………と思ったのだった。

このあたりの画像を見てもらうとわかりますが(電飾で飾られた「HKT48」の吊り物。OSKもまったくおんなじような吊り物を使うんよねー)、絵面が……しょぼい……。私がOSKを見ていつも「なんで舞台がこういう絵面にしかならねえんだ!」と不満に思っていた、その不満な絵面と似たようなものがそこに。えええーどうして。歌舞伎をやるための劇場を洋風に使うのがそんなに難しいのか。私は、OSKの舞台の絵面がダメなのは、「1.予算がない」「2.センスがない」だと思ってたから、きっと予算もセンスもあるであろうHKTの興行ならそのへんは軽くクリアしてくれるもんだとばかり思っていたので、ショックを受けてしまったんでした。

で、実際に客席で見てみたら。
やっぱりしょぼかったでした……(´Д`)
(って、こう書いたからといってこの公演がダメだ、ってんじゃないですからね!)
(っていちおう断っとかないとなー)

見ながらその理由を考えてたんですけども、たとえば九州7県ツアーの舞台セットなんかは、置きセットで舞台を狭くすることを逆手に取ったというか、ガチャガチャしてるけど賑やかでHKTの若さとうまくマッチさせている。それにこの高い置きセットの上下動で動きが出るし。

九州7県

明治座でも私はこの感じを出してくると思ってたのだ。あの和風の劇場で和風の良さを活かしてこの感じを出してくるなんてスゴイ! 見たい! ぜったいカッコイイ!と激しく期待してたんです。ああそれなのに。

でも、見てたらわかった。明治座でそれはできんわ。なぜなら盆とセリがあるから。盆が回って一号二号三号とセリが上がり下がりするから、可動域はあけておくか、すぐにどけられるセットしかムリ。こんなデカイのを置いておけないではないか。いや、フィナーレだけでもこれ級のセットをドーンと出してくるぐらいは……ってのは明治座の道具収納力がわからないけど、たぶんムリ。

装置についてはそこで理由がわかった。理由はわかったけど納得はいまひとつできない。というのも、盆やセリの動きがそこまで効果的とも思えなかったから。「おおーそう来るか!」って驚かすとか、「きゃーーキタキタキター!」とアゲてくれる動きだったとか、そこまでを期待しますよ、HKTの興行ですもの。でも、ただ上がって下がって回ってただけだった。

(いや、盆回したりセリ上げ下げするののオペレーションがものすごく大変なのはよく存じ上げています。そもそも、舞台であれらのものが動くというのはすごく危険なことだ。今回も二階席だったから大ゼリが真っ黒な大穴をあけてる横で動きまわってるメンバーの皆さんを見てスゴイなーと思った。AKBグループって、割りとふつーに高いとこでガンガン動いてますけど、あれを見るたびに「ゲネの時とかどんだけ注意されてるんだろう。実際落っこちてケガしたって話は聞かないし、そのへんはたいしたもんだなー」と思っている。とにかく、今回の盆やセリはぐるぐる回ってガンガン上下した。ふつう以上に動いていたのは確かです。それでも、そこにもっと新しい使い方はなかったのか、という贅沢な希望を述べているわけです)

それから照明ね。
なんか薄暗かった。うまく暗さが使える劇場なはずなので、薄暗く感じるってのはソンな気がする。もうちょっと明るい時と暗い時のメリハリがあってもよかったかもなあ。それからもう少し電飾が多くてもよかったんでは。明治座の松平健公演なんかはもっと電飾ギラギラだったような。贅沢いえばムービングも多くしてもらっても……と、いってもそのあたりって、増えるためにはお金が必要なわけで。思ったより特効(キンキラテープが飛び出すとか花びらが降りそそぐとか)も少なかった。けっこうタイトな予算だったんだろうか。今回、ペガサスの宙乗りが芝居のラストにあって、宙乗り宙乗りと簡単に言いますがあれってすっごいお金がかかるそうなんですよ。保険もすごい額になるとか聞いたし、一人が身一つで吊られるだけでも金かかるのに今回は白馬のツクリモノに指原莉乃と宮脇咲良の二人が乗るという豪勢な宙乗りで、こりゃここに予算はみんな行っちゃったのか。シロート考えですが。

その、暗さをうまく使っていたのが、さっしーとさくらたんが二人で歌う『君の名は希望』。セットも秀逸で、要するに「セットがまったくない舞台、のセット」。セットがない舞台って、単に「装置が置いてない舞台」ではなくて、すべての幕や吊り物がひきあげられて裏がむきだしで、そのむきだしの壁は黒く塗られてて材木みたいのがゴタゴタあって、そこに黒い鉄材やロープがある。舞台やる人にとってはふつうに見慣れた景色だが、客にとってはものすごく不思議な空間で、それを舞台装置として使ってしまうってのは、(よくある手かもしれませんが)新鮮で、おまけに歌の世界観に合っていた。ところであのセットは、「単に裏を見せただけ」ではなくて「裏を見せたようにつくったセット」かなあと思ったんだけどどうなんだろ。でもあれだけのものをつくるのはそれこそ金かかりすぎるかなあ。でも「ちゃんとそのためにつくった」と思うぐらい、あそこの絵面は美しかった。あの暗くて黒いセットの中でぽつんと二人が歌い、そのあとばらばらっと他のメンバーが加わって『風は吹いている』に続く流れは、これもよくある手なのかもしれないが、見事であった。よくある手だろうがなんだろうが、見る者の気持ちを動かしてくれさえすればいいのである。

(つづきます)


繰り言

かっこよすぎて胸がどきどきすることがあるといろいろ楽しいんだけどなかなかない。OSKのショーを見ているとそういう気持ちになることがけっこうあった。しかしあったということは過去形でして、なくなってみると「けっこうあった」という頻度は「すごいこと」なんだということを思い知らされた。なかなかすごい団体だったのだなあOSK日本歌劇団。その割にはファンも増えなかったが。

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