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大日貴

だめなあたし 2012-12-22

だめなあたし 2012-12-21

  • 風、でいつも思うのは宝塚の芸名。初風春風涼風とか「●風」って芸名はださいんじゃないかと思うが絶えませんね。RT @kingbiscuitSIU: 「「風」という表象、をめぐるあれこれ」をトゥギャりました。 http://t.co/kzUxhND3 13:10:15
  • 谷沢永一は開高健の妻になりたかったんだ。 14:49:29
  • これ映像より音が壊滅的なことになってます。ブートのS/Aなら8点ぐらいつきそうだけど。ZEPのデストロイヤーみたいな音。 15:21:18
  • なので皆さんこれ隠し撮りと思えば「うわーすごいあっぷー、音もよく録れてるー」と思えますよ!<『JUJU』のDVD。 15:22:46
  • JUJUのDVDなんて、SIOUXSIE AND THE BANSHEESみたいだわ。 15:23:30
  • デストロイヤーはS/Sだけど。往々にしてオーディエンス録音のほうが音のひろがりがあってきれいだったりします。 15:32:47
  • しかしそれにしてもひどいなこれ…… 15:33:42
  • あら?デストロイヤーってサウンドボートじゃなかったのか? 私が持ってんのは確かサウンドボードだったと思ったが。つか、デストロイヤーっていっぱい出てるから両方あるのか。 15:36:38
  • そういうのはゴールドワックスの「女ZEPコレクター沼田育美の限りなき戦い」デストロイヤー総まくりの回を見ればすぐに解決するのだ。が、見つからない。 15:38:43
  • 去年つくった青梅ジャムを開栓して食べてみたら、桃屋の『梅ごのみ』の味になっている……梅は梅だけど(泣)。 16:11:13
  • 『回転木馬』をはじめて最後まで読んだんだが、こ、こんなにご都合主義的悲劇だったとは……。でも絵はうまい。 18:47:45
  • 良かった探しでもしないとやっとれん……RT @samsontakahashi: 良かった探しでもしよう…キャンドゥで購入した105円のあいほんケースが意外と良かった… http://t.co/ZhBrLVNL 20:32:48
  • RT @nishida3336: 思い通りにならないことはすべて否定せよ。 20:33:05

A型は日本人に多い

(承前)
2003年の武生公演て、私が大ちゃんに大ハマリするきっかけの公演なので、
(それまでもファンと思ってたしそう言ってたけど、5回公演があったら2回か3回行くぐらいだった。1ヶ月公演だったら週末に通う、程度。その証拠に、この武生公演、初日も最初の土日も観にいっていない。最初の土日は京都の晴明神社で歌劇奉納『安倍晴明』があってそっち観にいった。桜花ちゃんが安倍晴明。&若木葛の葉、萌ちゃんがナントカいう式神。吉津さんが蘆屋道満。ところで、この時の振付が、山村若有子先生のOSK初振付だそうですよ。そうかー若有子先生の初振付を観てたのねー。それで、この武生の初見が2週目の土曜日。「がーん!」となって、それ以降は「大ちゃんの出てるあらゆる公演すべての回、何があっても行く」となった。武生だからそうもいかなかったけど、こっからエンジンかかったな)
忘れられない公演で、大好きー!……と言いたいところだけど、これ、ショーとしては「なーんにも考えてない。アリモノの曲をつかってありがちな場面を武生仕様に並べただけ」だと思う。新味があるとしたら幕間トークが大貴誠! 公演座長自ら! だったことぐらいで、それは「とにかくこの次の春、松竹座公演を実現する!」という気合いだったのであろう。

その気合いは出演者みんなにみなぎっていたし、何より解散後にまたOSKの名前で武生で長期公演やっているという喜びも満ちあふれていたし、あの公演の大ちゃんはすげえキレイでカッコ良くて可愛かったし、着流しのソーラン節ではクスリでもヤラレたごとく体が中から震えましたもん。オープニングがチョンパでやんしき総踊りで、阿波vsリオのひょっとこ踊りがあり、民謡メドレーでガンガンくる。洋舞は白燕尾の総踊りに、スパニッシュがあり、若手男役のサティスファクションがあり(こんな時からやってんだ。ということはこの十年前ぐらいからやり続けてんだろうな、若手男役の場面として)、ラテンがあり、高世がロケット前の歌手で、ロケットには櫻子ちゃんもことりちゃんも入っている。
こう書いてると名作みたい。で、も、やはり、これはちゃうよな……。

いくら振付がかっこよくても、出演者がかっこよくても、音楽がかっこよくても、それだけじゃただの「場面集」です。

たとえば今年の武生の洋舞。
最初から評判も良くて、これを日生に持っていってもいいのでは、なんて声も聞いた。それで見てみたところ、確かにかっこいい振付で、あんまりださくない衣装で、音楽もあか抜けたのを使ってたが……これは個々の場面をかっこよくすることしか考えてないと思わされた。結果かっこいい場面ができたが、それだけ。典型的場面集ショーなのであった。これを日生に持っていったら(ボリュームからいって持っていくわけがないが)(でもこれのボリュームをアップしてもこういう場面のつくりかた並べ方をしていたら)劇場全体にスッカスカな空気が流れるだろう。それでも難易度高い振付でかっこよく踊るならオッケー、という考えもあるが、それを言うなら今のOSKのダンス力はそれで魅せるほどはない。残念ながら。

別に場面が気に入ってんだからいいだろう、というご意見もおありでしょう。私も以前、OSKを守らねばと思う余り「そんなら場面すら気に入らないショーのほうがエエんかアンタは、エ?」とか言ったりしたもんですが、ひどい論理です。そこで出してくるなら「場面は気に入らないが一場面一場面が重なって大きく密度濃くなっていきクライマックスには瀑布のごときパワーが降り注ぐショー」とくらべなきゃ。演出って、つまり、そういうことなんです。それができるかどうかが、演出の力。そういう例を出したら場面集が負けるってわかるから、出せないわけですよ。ずるいねー。当時の私に今の私が「これ作品としてイマイチ」と言ったら血を見るケンカになったことであろう。

今やってるオセイリュウのショー、私を色と欲の旅に連れていってくれる劇団員は出ていないし、使ってる曲もそれほど「だいすきー!」なもんでもない、場面だけ切り取って見れば65点ぐらいなのに、オープニングからフィナーレまでの流れの渦が美しくかつダイナミック。ショー全体が「生きた人間」みたいに息づいてなければ「付属の養成所を卒業した未婚の女子のみの劇団が演じるショー」がやる意味ないんじゃないの。

2003の武生や今年の武生みたいなのは場面がいいからまだマシだともいえる……ってのが哀しいが、ほんとに、「なああーーーーんにも考えてない」「場面もぼんやり」「すかすか」なショーってあるんですよ。というかふつうに多い。ここ最近のOSKでいうと『ADDIO』と併演のショー『Dance of Joy』なんかそれ。劇場で『ADDIO』でぽかーんとなった後はこのショーで力抜けた。いちおうショーとして独立したものをつくるからには手間もヒマも金もかかってるはずだが、手間もヒマも金もまるでかかってないようにしか見えない、甲斐のないショーでした。あんまり潤沢な資金もないんだろうからそういうムダ使いはやめてもらいたい。でもこれぐらいダメなやつだと、わかりやすいからかえっていい。

ということで、私がショーにおいて主に問題にしているのは演出およびその演出によって何が実現されたか、ということだということがおわかりいただけたかと思います。ここを基本として、松竹座南座公演について考えていた時のことだ。(つづきます)

だめなあたし 2012-12-20

  • RT @qusumi: お昼に中華そばみたか(元・江ぐち)でラーメン食べていたら、菅直人元総理が同じようなスース姿の人と二人で入ってきて、黙ってチャーシューメンを食べていた。帰りに店員に額は大丈夫ですかと言われ、初めてニッコリして「今日抜糸してきた」と答えていたよ。 14:08:30
  • あー江ぐち(現・みたか)食べたい… 14:09:47
  • 携帯の動画撮影とか(´Д`) 23:50:42
  • 映像ひどくて内容のヒドサ忘れられるとか… 23:52:14

イニシャルAA

(承前)
A群の「構成演出に問題」というのはわかりやすい。
脚本が破綻しているとか設定がデタラメとか。『桜彦2』や『総司恋歌』や『ブルーアンバー』や『レディレインの肖像(今年のやつ)』ですね。
書き込みが「浅い!浅すぎる!(絶叫)」みたいなのも困ったものだ。いわゆる「人様にお見せするようなお話になっていない」というもの。『心斎橋らぷそでぃ』『ドリームアゲイン』『今年の武生の清盛』はそれでしょう。
ただ、破綻やデタラメやカンチガイの作品がすべてダメかというとそうでもない。そんなキズなんぞぶっ飛ばしてしまうような熱気に溢れた作品というのもあるわけで、きのう書いた『遙かなる空の果て』などまさにそれ(きのう書き忘れましたが2005年8月アピオ大阪公演でした。『SUNRISE』ってタイトルでDVDになってるはず。画質が不思議な粗さですが)。OSKにおける『2番もあるんだぜ』ですよ。akihitoさんの最高傑作だろう。これに大ちゃんが出てカッコつけまくったマヌケ台詞を言わされて(おまけに上手くて)……ってもう、たまりません(身もだえ)。それで最後はいちおうホロリとさせるんだから脚本家すげえ手腕かもと思わせましたが今後このパワーが爆発することはありませんでした。ただ、小粒になっていっただけでした。
『ADDIO』は私はA群と見ているが、上記の作品ほどの大破綻はない。書き込みの浅さもほどほど。なら上記作品よりマシかというとそうはならない、というかこの「全方向に向かってマイナス40点」みたいなところがドラマをヘナヘナにしてしまった。初回見終わった時は「ぽかーん( ゚д゚)」でしたもん。登場人物、どいつもこいつもアホですか。アホでもいいがアホならではの哀しみもないしなー。『女帝を愛した男』(これは脚本が単にヘタだったと思う)ではポチョムキンの頭の悪さが哀しみに直結してたからまだマシだった。そこをトリガーに感動できる。女帝は初見でひでえなあこりゃと思ったけどまだ見どころはあったんだ。それが、アッディーオになって、ドラマが平板なところはきちんと継承して、登場人物の魅力だけ薄まるってどういうことだ。上演時間が短くなったのぐらいか、よくなったことは。
打率0割4厘だが逆転スリーランを打てるバッターが『遙かなる〜』。打率2割3分でチャンスに凡退する『アッディーオ』。

と、書いてきてわかるように、Aの欠点が露見しやすいのは「芝居」だ。
矛盾とか間延びとかがすぐ「おかしなこと」として認知できる。
それにくらべると、ショー作品がAなのかそうでないのかを判別するのは案外難しいのかもしれない。
そもそも、歌劇のショーってもんが、なんだか意味がよくわからないものだ。
(何回も書いてるけど)宝塚を見てた時代、ショーはほんとに退屈であった。スジもないからどこに力を入れたらいいのかわからんし、宝塚のショーで使われる音楽に興味はないし(今思えば悪くない曲もあったけど。でも何せ当時は割礼とか花電車のファンでしたので。いい曲があっても歌謡曲アレンジというか、あの生演奏はNHKのど自慢の伴奏に通じるものがある)、ダンスは見ててもつまんないし。
そんな私をショーに目覚めさせてくれたのがOSK日本歌劇団であったのです。2003年3月、あやめ池春季公演。解散直前のラストあやめ池公演ですな。そこで『ザ・フェニックス』という、目も眩むばかりの駄作が上演されまして(でも楽しくつっこみながら私はほぼ毎日通いましたけどもね。40回見たというフレコミだったが今考えると30回ぐらいかもしれなかった。でも30回でもたいへんなことだ)、子供だましといったら子供が怒るようなSFミュージカルが約45分、そこにあと15分、ショーがつく。この15分のショーで、ショーってかっこいいんだ、ということを知りました。知ったどころか、見ていて体がガクガクしましたからね、あまりのかっこよさに。
正確にいうとそこで知ったのは「ショーを見る快感」ではなく「ダンスを見る快感」だった。その後にふたたびガクガクしたショーというと、2003年10月、NewOSK日本歌劇団武生公演『愛……そして美しき旅立ち』(ひでえタイトル)。そして2004年秋のおどり『愛抱きしめてジャンピング』(これもひでえな)と続く。
で、その『フェニックスのショー』と『2003武生』と、『2004秋のおどり』には大きな違いがある。
『フェニックス』&『2003武生』は場面にガクガクしていた。『2004秋のおどり』はショーそのものにガクガクした。

最初はカッコイイ振付だけにしか目がいかなかった。→カッコイイ振付がきっかけになってショーを身を入れて見るようになる。→それほど(自分には)イケてない場面もついでに見る→場面と場面のつながりを見るようになる。すると、見えてくるんですね、ショーの全体像が。作者の考えが。目の良さは必要ない。数見てると自然とわかる。
その時に見える「作者の考え」は、私にとってはたいへん重要だ。それは、このショーのテーマはコレでとかこの曲を中心にして、ということもそうだし、この陣容で何をどう表現したいのか、ということもそうだ。そして、時に「何も考えてない」というショーもある。悲しいことに、OSKの場合「何も考えてないショー」はかなりの頻度で登場する。「作者がいないので、作者の考えがないショー」もあるし「作者はいるけど作者に考えがない」のもある。前者も哀しいが後者はもっと哀しい。
…………Aのダメ作品について足元がグラついた体験について書こうと思ったのにそこまで行きつきません。すみません。また長くなったので続きは明日。

だめなあたし 2012-12-18

  • アート・リンゼイってジャズの大御所なんですか。No New York の人じゃないの? 11:13:26
  • No New York から成長して大御所になったということなのか。 11:16:12
  • それともNo New York のままだから大御所なのか。 11:19:29
  • エリザベス・フレーザーは今どうしているのか。 11:21:17
  • これはやっぱり、意識してつけた名前だよな……?  http://t.co/u781U1c0 19:08:09
  • エリザベス・フレーザー谷亮子説! わたしゃ戸川純みたいでイヤだと思ってた。RT @fumikitty: //去年ライブしたんちゃう?コクトーツィンズは好きだけどこの女は嫌い。ブスなのに自分の才能を盾にして男や地位をゲットしようとする奴はしたたかすぎてイヤ。谷 亮子も同様。// 19:22:17

だめ、ださい、だいき…らい

昔の日記を読んでたら、2006年の年末に「今年のOSK、いろいろベストスリー」とかいって「ダンスオブザイヤー」とか「衣装オブザイヤー」とか「大ちゃんオブザイヤー」とか嬉しそうに選んでいて、ああ楽しそうだなあと思った。
今年のOSKっていってオマエは何を選ぶんだ、となるとハタと困る。ワーストはただちに決定!『JUJU』一択! これはひどい!
でもこれ、おぼえてるからいいようなもんで、他の作品が「思い出せない」のはまずい。
『アッディーオ』は思い出せる。これには、世間と自分の評価の乖離があまりにもあったので、どっちが正しいのかケリをつけようと、いろいろ考えたからよくおぼえております。でもそこから後が……。
いや、おぼえてますよ。一切記憶が抜け落ちてるなんてことはないです。でも、蘇る記憶がたいがい、「これがダメだ」「これじゃダメだ」「こんなにダメだ」という感情に伴う記憶なのだ。それもいかがなものか。

ここで、これがダメだ、という作品に当たった時に、一口にダメと言っているけれどそこにはいろいろな種類がある。これをごっちゃにして語ると言いたいことが相手にうまく伝わらないということに(今さら。おそすぎるけど)気づいたので、大きく3つにわけてみた。

【A群:作品の構成乃至演出あるいはそのすべてが問題】
【B群:作品の思想(志向)が問題】
【C群:演者のパフォーマンスが問題】

もちろんパッキリとこの3つに分かれるはずがなく、それぞれが入り混じって「ダメ」を成型するわけですが。でもまあ、わかりやすくするために3本の旗を立ててみました。今年の、私が観てダメだなと思った作品(イベントも込み)を、どの旗の下に置くか、ちょっと見てみましょう。あ、わかりやすくするために見た作品ぜんぶ並べます。

A『ADDIO』
C『BLIND』Bも多分にあり。……いや、Bか。CがかったBかな
A『春のおどり/桜舞う九重に』……Cの要素も大きかったけど。
B『春のおどり/リズム・コレクション』 
A『大阪すみれライオンズチャリティコンサート』
?『レビューin Kyoto/シンデレラ・パリ』分類むずかしい……
B『レビューin Kyoto/グラン・ジュテ』
A『レディレインの肖像』
B『JUJU』
A『たけふグランドレビュー2012』
ー『中之島フェスティバルプラザイベント』
ー『フェスティバル inオ・セイリュウ』
☆『京都東急ホテルDS/HEART♥JACK』来週アタマ見に行く

今年見たOSKの舞台ってこれだけか……少ない……もうちょっとどうにかしたいところだ。いくら広島住まいで「遠いですしー」という言い訳が可能とはいえ、甲府(東京よりもずっと大阪に行くのに手間と時間がかかる。5時間超)にいた頃はこの5倍ぐらいフツーの顔で行ってたしなあ。しかし、少なくなった観劇のうち、「うわあ〜〜」と胸が躍り背筋がゾワゾワするような感激の公演てのが1つもない。去年は辛うじて武生があったが、今年は無しか……(中之島とオセイリュウのことについては後述します)。
私は最近、OSKの公演を見ちゃ文句ばっか言っているのだが、
「大好きな大貴誠が退団しちゃったからOSKに対する愛と情熱ががたんと落ちた結果だろう。大貴以外の劇団員に興味ないからそんな冷たいんだろう」
と言われそうだよなと思っていた。自分でも不安になり、自分に問うてみた。確かにそういう面が皆無とは言わない。去年の南座までは確実に「劇団員のパフォーマンスがよくないから作品もよくない」と思ってたところがある。冷たい気持ちがあった。でも去年の南座公演を見てその感情はずいぶん払拭されたんですよ。南座公演の『安土ロマネスク』と『ミッドサマーステップ』の2本立てというのは、ずいぶん私にいろいろ見せてくれたし目を開かせてくれたました。私は2009年ぐらいからずっと、
「OSKの劇団員、だらだら惰性で舞台やってる。何様のつもりだ」
と思っていて、去年の春のおどりのあたりでその思いはピークに達していたのだが、南座の日舞で必死に美しく舞い踊ってる姿に、洋舞であんなことをやらされながら必死で全員が1つの目標を目指しているような有様に、「ああ、この人たちは目がさめたのだ」と(ずいぶん上からの物言いで申し訳ないです。でもその時の実感です)目からウロコを落としたのだった。……もしかすると別のウロコをはめちゃったのかもしれないが。
それ以降、劇団員のパフォーマンスについては「もしアタタなことがあってもそれは惰性や手抜きのせいというよりは、がんばってるけど至らなかった結果」と捉えるようになった。あんまり劇団員に対して腹が立つことはない。「あーねえ(苦笑)」ってことはなんべんもありますが。

で、ダメ作品3種類の分類について。
A群のダメが、今年もいちばん多い。で、このAタイプのダメ作品というのは、

大貴さんがいた時代でもOSKは連発していた

のだ。今よりも多かったといってもいいかも。ほぼ毎月世界館で新作をやるというすごい状況だったので、弾が多いからハズレ弾も多かった、ということもありましょうがそれにしてもタイヘンなダメ作品オンパレードでしたよ。
ただ、そのダメ作品に大貴さんが出演していた場合、何しろ色と欲との二人連れですから、いくらダメに腹を立てても大ちゃんはキレイなのでそっちに気を取られるし、どうせ全公演見るんだから楽しまないとソンとばかりに「別の意味で」楽しむ箇所を探し出したり(けっこうすぐ見つかる)、それでもダメなら「なかったことにする」とか、ダメ作品とのつきあい方がうまかった。私が「解散以後から現在に至るまでのOSK作品で最悪認定」しているのは『華麗なるメヌエット/情熱のコンチェルト』(2006年アピオ大阪)なのだが、これには大貴誠が出てない。そのあたりでもう、自分の中での「救いよう」がなくて最悪になっているかもしれない。同様に「解散以後から現在に至るまでのOSK作品でもっとも味わい深い」のは『遙かなる空の果て』だけれどこれは大ちゃん大活躍(かつ、冷静に見ると笑われることになっている)。この差は大きいかも。もし『華麗なる』に大ちゃんが出てて、『遙かなる』に大ちゃんが出てなかったらどうだったろう。いや、ま、『華麗なるメヌエット』はモーツァルトで輪っかのドレスでそれがまた化繊ぺらぺらでテカテカ光る安物で、『遙かなる』はローリングトゥエンティでマフィアのスーツ物だから、見た目だけでもそっちのほうが勝つとは思うけど、色と欲という点では大ちゃん出たほうが「私には」勝ったでしょうきっと……。

私が人に説明しづらい、というか理解してもらいづらいのはB群についてだ。Aのダメさは誰が見たってわかる。……と、思っておりましたのですが、A群についてもちょっと足元がグラグラするようなことがありまして、ちょっとそのことを書いてみたいと思います。でも長くなったんでまた明日。

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