哉走りその2

承前)
やっぱりこんな悩みはありふれてる….. _| ̄|●
宝塚ファンの人のやってるサイトを読んでたら、退団した男役スターのファンがまるっきり同じようなことを書いているのを発見した。「お前の悩みなどありふれている」。ほんとうにそうだ。福田恆存のおっしゃる通り。いや、福田恆存じゃなくたってこんなことは誰でも言うよな。元男役の性別問題などごくありふれている。

しかし違うんだよ大貴誠は。

その「ちがう」がすでにもう多くの人が等しく陥っている悩みだ、と福田恆存は言うか。いやもうそこはいいや。めんどくさい。人類の悩みじゃなくて個別の悩みの話をしてると割り切る。大ちゃんの問題は、性別問題じゃなくて性格の問題かもしれない。田舎の家の床の間とかに、水晶の生えた岩の塊を紫のフトンにのっけて飾ってあったりするが、大貴さんもああなのだ。常識と非常識の混在。水晶だけ取りだそうとしてもムリ。何しろ常識も非常識も目立つ。常識と非常識もそうだし、美しさと醜さ、頭の良さと頭の悪さ、柔軟と頑迷、やさしさとつめたさ、どれもはっきり見える、すごくハデな状態で両方装備しているのだ。こういう人とつきあうとどうなるか。

やってられなくなる、のである。ふつうは。
コップに蜜と毒薬入れて飲んだらおいしかったですまず死ぬ。死にたくなければ蜜を諦めるしかないんだが、混ざり合ってるんじゃなくてきっぱりわかれていて、しかしそれはくっついていてとれない。人間とは弱いもので、自分の都合のいいことだけを、自分の都合のいい方向からしか見ないところがあり、「これはきっと蜜のほうだ」と自分を騙すのだ。しかし蜜はきちんと甘いけれど毒は毒だからそっちはそっちで七転八倒の苦しみをすることになる。けれど蜜が信じられないぐらい甘いので七転八倒してもそれをやめられない。わかりやすく毒薬の看板を出しているから、それに当たって苦しんでいても誰からも同情を得られない。バカにされて終わりだ。

しかし本人もいろいろたいへんだろうとは思う。さすがに体のあちこちに、宝石が埋まっていたり、核廃棄物が埋まっていたりして、それが中和もしないというような状況では、どうしたらいいかわからないだろう。大貴さんが「ああいうふう」なのはしょうがないよと思う。ああいうふうだから、ああいう舞台人になるしかないだろう。男役、ってもののある世界にやってきてよかったと思う。ただし、男役というもののある世界、では世間の常識とまた少しずれていて、そのズレ方と、大貴さんの「中の悪いもの」の方向は違っていて、それはよくなかった。だから良かったのか悪かったのかどっちなんだ。(つづく)

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