哉走りその3

承前)
とにかく、とんでもないやつである、というのが大貴誠に対する最大のホメ言葉であり、(当然ながら)批判でもある。芸能人にふつうの常識を求めてはいけないとかよく言うけれど、そして実際、ふつうの常識のない人が山ほどいて「魅力はないが人間としてクズ」なんてのも河原の石みたいにごろごろしてるのだ。あいつら人間のクズだ、なんて小説の中の絵空事のセリフかと思ってたもんですが今はごくふつうに暮らしつつそんなことは息をするように言う。人間のクズの多さは、空気中の窒素の如し。しかしそのクズの度合いのスケールが小さい。あ、いや、クズってのはそもそも小さいもんか。だからクズか。ほんと、クズ性の発露が私利私欲だけ、ってのがクズたるゆえんというか。

大ちゃんはいろいろな面においてとんでもない人だけどクズではない。もっと大きい。
とんでもないことを主張する時に、それが必ずしも自分の得にならない、というか逆に自分を追い込む。でもその追い込みっぷりというのが、正義の道を行くためには泥をかぶること辞さず、というようなキレイゴトではなくて一見メチャクチャなので、周囲の者は逃げ出すか巻き込まれて暴風に叩きのめされるかどっちかで、さらにご本人も暴風に叩きのめされたうえに雷が落ちたような有様になったりするのである。いったい誰が得をするのだ。何のための正義。巻き込まれるのがバカなのだ、と簡単に言う人は幸せだ。幸せだけど甘いねー。世の中そんな甘かないんです。あなたはすべてにおいて合理的に生きているのか。まあそういう人は「合理的に生きている」と言い切るのかもしれない。ああ、うらやましい。(つづく)

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