哉走りその5

zaza

承前)
なんだかんだと言いながらずるずるとひきずられていくのは、それは「基本的なところで信頼している」からです。「保守反動的な思想に走る」とか「ヤンキー趣味」とか、いろいろと「これをやられたらアウト」というものが広範囲に埋められている地面をなーんにも考えずに歩いていて「ソレ」を踏まない、というのことについてはなんとなく信頼しているのだ。たまに「塀の上を歩いていて内側によろけてる」時もないではないが、あやういところで踏みとどまってくださる。

大貴さんはロックファンだったことはないみたいだけれども、ライブハウスでとんちんかんはしない。しないだろう。根拠もなくそのへんは安心していた。しかし油断してはいけない。方丈記か徒然草にも「最後まで気を抜くでない」という教訓随筆が載っているぐらいである。この日は二回公演で、1回目と2回目では内容が違って、1回目が「ライブ」である。2回目が「サロン」でこっちはお茶とお菓子が出る。こう聞けば、やるのが元歌劇の男役スターなので「スター様ライブ」と「スター様おサロン」みたいなもんになると思う。しかし見終わって見れば想像とは逆をいかれた。ライブと思っていたほうがサロンでサロンがライブだった。

会場は黒くていかにもライブハウスである。さすがにスタンディングというわけにはいかなくて、イスが並べられていた。ポストカード大のプログラムが配られて曲目が書いてある。先にやる曲がわかるってのはいいのか悪いのか。私ならなるべく隠しときたいと思うが、知らない曲をやられると最後まで知らないままなのでいいなと思っても終わったあとに話題にもしづらいから、できれば終わった時に「今日はこのようなプログラムでした」と紙でも配ってもらうのがいちばんいいがいかにも間が抜けている。ライブハウスに通ってた頃、終わってからステージの地べたやマイクスタンドに貼りつけてある曲順表をサッともらって帰ったもんであるが、あれがいちばん程のいい「曲目の知り方」かもしれない。あれはバンド男が直筆で書いてたから「サイン」という側面もあるのだった。

でもやはり大貴誠はバンドマンではなく、ライブハウスでライブハウスに似合ったことをやるとはいっても、ロックをやる人ではないので、きちんと4色で印刷されたプログラムのほうがいいのだった。これが折ってあってパンフみたいになってるんじゃなくてただのハガキ大の厚紙だったのがライブっぽいと思った(が、そんなどうでもいいことに気をとられてた客は私ぐらいか)。(つづく)

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