新旧桜彦

『桜彦1』のほうが「走れメロス」をモチーフにしてると聞いた時に「えー、なんでそんなわかりやすい道徳の本みたいなものを」と思ったけど、北林佐和子が道徳ミュージカルをやるわけもないので、メロスをモチーフにしても、太い幹の杉の木をいろいろ飾りたてて杉の木とは到底思えないような異形の花に変えた、という感じの出来上がりだった。やっぱたいしたもんだなあと思った。

で、『桜彦2』。エピソード2ってなんなんだ、というと「黄泉の国」に行くという。あーイザナギイザナミね、ゼノビアが黄泉の悪者に捕らえられて黄泉戸喫してしまい、その姿を見てしまった桜彦を、悪鬼のようになっておっかけてくるわけね、それを黄泉の国(ここは私なら根の国としたいところだ)でやさぐれてたラバーナとアリアンローザが桜彦助けてくれて、黄泉の悪者は壊滅、ついでにゼノビアに取り憑いていた死穢も雲散霧消して、2人は新生するわけね、とか思っていたのだった。……できあがったのを見てみると、それに近いようなぜんぜん違うような、とにかくとっちらかっていて、ストーリーは破綻していた。異形の花やら金属片やら布きれやらガラスやら泥やらがぶちまけられてる感じ。1つ1つはきれい。まとめて見てもなんかよくわからないけどなんだか確固とした趣味はあり、わけのわからない怪しい雰囲気はある。あー、あれに似てる、合田佐和子の初期のオブジェ(佐和子つながりだ。私が金のあるプロデューサーだったら、北林さんの演出で、舞台装置を合田さんに頼んでみたいものだ)。しかしいかにも雑然。それならハチャメチャにしてくれたほうがいいのに、へんに辻褄を合わそうとしたその残骸が落っこちてたりして、全体のトーンがところどころで壊れる。これやっぱり「失敗」だろう。

しかし「失敗」でも私は1より2のほうが好きです。完成度という点では2は1の足元にも寄らないが、それは1に「太い幹の杉」があったからで、私はその「太い幹の杉」なんか別に好きじゃない。もっとどろどろしたやつがいいのだ。どろどろをくれ。その点では2はやたらどろどろのメがある。しかし破綻して失敗してるのでどろどろのメはどろどろに半ば埋まった状態で、それはこちらが想像ふくらませる余地があるということで、自分好みの「お話」を仕立てられるという利点になっている。でもそれはこっちの都合で、そんな利点は「失敗」の証拠にしかならない。正しいか正しくないかという観点に立てば1は正しくて2は間違っている。

2でいいなと思ったのは、ゼノビアが結局は死んだこと。これは私には思いつかない展開であった。あとグリッソムが母子とも父親からうとまれて黄泉の国にやられた、というのがすごく「神話っぽい」。そうそう神話ってそういう不条理なことが当然のように出てきて、それについて何の説明もない。その感じがまさに出ていて、あか抜けていて良い。

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