鳥の声がきこえない
先に『僕の小規模な生活』を読んでからこっちの『僕の小規模な失敗』を読んだ。
最初に『〜生活』を読んでいる時には「もしかしたら『〜失敗』は読まないほうがいいかもしれない」と思い、でもアマゾンで『〜失敗』と『うちの妻ってどうでしょう』がいちどに来てしまったので
(それはそうと、私はなるべくアマゾンではマーケットプレイスで買いたい。というのも、値段のことよりも、マーケットプレイスはメール便で送ってきてくれていちいち「佐川急便でーす」とピンポンされてサインしたり(うちはすぐハンコがどこかにいくので)しないですむし、梱包も封筒とかだからそっちのほうがいいのだ。アマゾンの段ボール箱はカサがはる。段ボール箱好きの私でも、あの箱はあけると次に使えないし、ゴミにするしかないので好きになりようがない。でもマーケットプレイスでも「メール便で封筒で申し訳ない」と思うのか、やたらガッチリとプチプチでくるんでさらにビニール袋に入れてびっちりセロテープ留めとかしてあってむくのが面倒だ。ただ封筒にそのままつっこんでくれればいいのにと思う)
きっと『うちの妻って〜』のほうが好きなんじゃないかと思い、美味しいものを後に残す気持ちで『〜失敗』を読み始めたら、なんだかすごく面白く、でも読んでる途中から「これをこんなに面白く思えるということは、今後『〜生活』のほうは面白く思えなくなるんではないか」と不安になった。そして読み終わって、『うちの妻って〜』を読むとやはりとても面白く、また『〜生活』を読むとやはり面白くて、でもその途中で「これは『〜失敗』が面白くなくなるかも」と感じ、でも『〜失敗』を読むと依然として面白く、やはり『〜生活』を面白くないんじゃないかと不安になってくるということがずっと続いていて不思議だ。
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