田舎者について

テレビを見ていたら、「猫がすきまに入って出てこられなくなり救出」というニュースをやっていた。よくあるタイプのローカルニュースである。「猫が木に登っておりられなくなって」「猫が壁と壁のすきまにはさまって」とか、よくやっている。今回の猫は松山の大街道(というメインストリートアーケード)にある自転車駐輪場のすきまに入り込んだ黒い子猫である。そして消防署が出動。子猫は無事救出されました、となるのだと思って見ていたら「救出できませんでした」でニュースは終わった。画面で見るとそのすきまというのは、人間すらラクに入れるようなすきまであり、何がどうなって失敗できるんだかよくわからない。猫が出てこられるように軒下部分をこじあけておきました、ということでニュースは終わっていた。

ふつう、消防隊が出動したら問題は解決する。しかし解決しない。田舎消防隊、という言葉が頭をよぎる。

気がもめる、と思っていたら翌日、同じニュース番組で「きのうの子猫はぶじ救出されました」という続報があった。箱に入った黒い子猫がぴーぴーと鳴いている。そしてどうなったのかというと、駐輪場の管理人のおっさんが「水はよう飲むんですが物を食べない」と言って笑っている。「いずれ親猫が迎えに来るでしょう」と言ってあまり考える気はなさそうである。獣医に連れてくとか、飼い主を捜すという気はないらしい。こういうふうになったら親猫はもう出てこないよ。それからエサって、映像で見るかぎりニボシを丸のままだったが、猫缶とか子猫用ミルクとかそういうものを用意する気はないのか。

ここでまた、田舎者、という言葉が頭をよぎる。

とはいうものの、都会でだって猫に興味のない人というのはいるから、田舎や都会の問題ではないかもしれない。ただし、このように、動物について無関心で生き物はテキトーに放っておいて生きるか死ぬか、という考えは「田舎者の考え」だと思っているので「松山は田舎だなあ」とナサケナイ気持ちになった。これが都会だと「私が飼います」という人が殺到するだろう。
という私も、きのうその駐輪場に行ってみたのだ。たとえば入口に「可愛い子猫の飼い主募集」とか「子猫はやさしい飼い主のおかあさんがきまりました」とか手書きのポスターでも貼ってないかと思ったからだ。あるいは、若い子や猫好き男女が大量に駐輪場に押し寄せて、猫の今後について鳩首会談してるのではないかと。
そんなことは何ひとつありませんでした。猫のねの字もない。これだから田舎者は、と思ったが、管理のおっさんに「あの猫どうなりましたか?」と声をかけることができなかった私も腰抜けの田舎者なのである。家を出る時にはクダちゃんに「黒い小さなお友達が来るかも」とか言って出かけたというのに。
(ただ言い訳をすると、うちは「来た猫を飼う」「目の前で困っている猫を飼う」のが主義であり、「貰う」「貰いにいく」のはポリシーに反するのだ)

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