天宝輪の四角

東京に住んでてまだ大阪をよく知らなかった頃、何しろ憧れてたのが「天王寺」でした。名前がかっこいい。学校時代、関西寺巡りをしようと思って法隆寺に行って、JRで行ったので(当時は)天王寺で乗り換えて関西線というルートだった。その時も法隆寺そのものよりも通り過ぎる天王寺にドキドキしたもんです。大阪を知るようになってみると、天王寺というのが自分の思っていたような街ではなかったけど現実も嫌いじゃなくひき続いて好きで、その後、こんなに天王寺近辺をうろうろするようになるとは思わなかったがそれもうれしいことです。


天王寺のすぐ北に一心寺があってそこの劇場(なんか四谷にも劇場のある寺があったよなあ)でOSKのショーを見てきた。『バーン・ザ・パッション』。

見ながらずっと思ってたんだけど、古い音源がいっぱい使われている。それは良い。音楽新しくつくってる予算なんかないんだから、劇団の財産である「過去の音源」を使わざるをえないし使っていいに決まっている。素晴らしい曲がいっぱいあるんだから使わない手はない。そのことと別に、まず最初に思ったのが、
「吉峯先生って、過去の音源使う時に、自分の作品の音源を使うなあ」
ということで、それだって何の問題もないんだけど、私にはどうも違和感がある。

違和感の淵源をさぐろうと考えてみたが、はっきりした答えがでない。自己愛を感じる、というのがいちばん近いところか。南座で『ドリームズカムトゥルー』をやってすぐ後の『ドリームアゲイン』で南座の曲をそのまま使うとか、時期が早すぎる、というのはどうでもいいが、そうじゃなくて「……そんなに気に入ってんの」と思わせてしまうあたりの気恥ずかしさというか。しかし自分の作品を気に入っているというのは指弾されるようなことではない。でもそういう出し方は恥ずかしくないか、……という、このあたりについては美学の問題で平行線ですね。

私が今回の過去音源使用問題ですごく気になったのは、たとえば、この公演のオープニングはチョンパで若衆の総踊りなんだけど、そこの音楽は『エンドレ』の(って、この時すでに過去音源だったみたいですが)チョンパ若衆総踊りの音源だ。私ならこの使い方はしない。私ならってアンタ、私は演出家でもなんでもないけど。他にも、洋舞で、『ボンボヤージュ』のライダーの場面の音源が出てくる。ボンボヤージュでは若手男役3人がダークな衣装(ギターウルフみたいなかっこ。これはOSKらしくなくてよかった)で歌い踊り、今回も若手男役3人がダークな衣装(黒タートルに黒パンツに黄色スカーフ。これはOSKらしい安さでナサケなかった)で歌い踊る。けっこう強く印象に残ってたあの場面のあの音楽を、ほぼ同じような場面で使う。……これはいわゆる「場面の再演」なんだろうか? 私なら(またか)この曲使うなら娘役の場面にするとか、日舞のほうに使うとか、前の作品とはまるで違った場面で使う。それでいうと日舞のラストにテンプテーションてのは、音源使い回しがぜんぜん気にならなかった場面のひとつだ。工夫してあったから。でもそういう場面はたいへん少なく、今回の過去音源の使い方って、その音源の使われ方が過去作品とすごくよく似てて、じゃあ再演かといえばそんなんじゃなく、コピーみたい。コピーっていうと、なんかお手軽な印象があるけれど、不思議なことにこの作品にはそれは感じられなくて、ならいいじゃんかといえばそうではない。この作品から感じるのは「自分で描いてよくできたと思ってるオスカル様の似顔絵をまた取り出してうっとりと眺めている」ような……これはお手軽コピーより(私にとっては)受け入れがたい。しかしこれもまた美学の問題だから平行線。

さてその問題から離れて(過去の音源の使い方なんか過去を知らない人には意味がない)作品そのものについて。和倉っぽいと感じた人は私だけではなかったようで、私は「OSK存続運動」というのは思想的には「近鉄っぽさ、和倉っぽさを切り捨てて新しい劇団になる運動」だったと規定しているので、東京會舘といい、今回といい、「カンベンしてくれ」というものでした。これを目指すとすると私には「時計の針を逆戻りさせる」行為のようにしか見えぬ。出演者については、瀬乃ちゃんが、ものすごく!可愛い瞬間があった。そうでもない時もあって、このムラが良い。「可愛い!」時はもう太陽のようである。こういう人は他にいないので(宝塚にもいまい)とってもいい宝物が我が手にあるという気分でいいですね。真麻の化粧の完成度がひーちゃん級に近づく。嗚呼しかし高世さんは痩せすぎではなかろうか。あれでは貧相の域に片足つっこんでいる。そして、「来るべき高世牧名時代」を先取りしてここで見ようと思ったんだけどこの二人、「ああこの二人で次の時代を担うのね」という感じが(この作品では)しなかった。なんでだろ。高世さんがもっと正の方向でも負の方向でもいいから押し出しをはっきりしないといかんのかなあ。桜花ちゃんとタイプが違うのはわかってるし、いいことだ。桜花ちゃんがブルドーザーの破壊力なら高世は日本刀の切れ味だろう。その切れ味がよく見えなかった。今年の武生って誰が行くのかわかんないが(観光大使だし桜花ちゃんぽいが)高世牧名で一ヶ月、武生客を相手にキレを磨いてほしいなと思った。ことりちゃんは、今回は「ボルジア家の毒薬」という感じでよかったです(でもスイングストリートのとこの髪型と衣装はアレでいいのか。他の娘役連より子供みたいに見えちゃったんだが、……あれは幼女っていう設定か! それなら大オッケー!…………ちがうんだろうなー)。

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