ソコが合わなきゃ結婚できん

僧正の指

戸川純が好きな男とは結婚できない。って、今は前ほど戸川純を嫌っていないが(いろいろたいへんだろうなという気持ちになっている。しかしそれは自ら呼び寄せた結果じゃないかという気もある)、わかりやすくするために言っている。でもかえってわかりづらいか。自分が「これは私には合わない」と思ったものを、「いい」といわれたらそのいいと言った人間とはぜったいにうまくやっていかれない、という意味。自分の好きなものをキライと言われるより自分の嫌いなものをスキと言われるほうが致命的。当時の私にとって戸川純の許せなさ(主に「あんなことでモテはやされるんなら世の中チョロいもんだよな、けっ」というような感情)を理解しない人など戸川純以上に許せんのだった。だって戸川純はそれやって商売にしてるわけで、商売になるならやるだろうよ。しかし戸川純をイイという人間はその詐欺商売に荷担して、しかし胴元にはならずカネだけ取られる、ヤラレ損だけではないか。こういうのはかえってハラがたつ。他人の勝手だとは思えん。

三越劇場の公演、見てよかったです。一心寺の公演見て「勘弁してくれよ」と思ったんだけど、その改訂版である三越公演でもきっちり「勘弁してくれ」と思い、しかしその「勘弁してくれ」の内容は違う。違いがわかってよかった。私は一心寺が和倉くさいからいやだと思ってたんだけど、三越では和倉くささはけっこう払拭されていて、しかしそれで問題はまったく解決していないということがわかりました。日舞の退屈さに目がくらみそうになり、洋舞の退屈さに頭がぼんやりしました。前は演者にも責任ありかと思ったけど、今は「ちゃんと面白いものやればかっこよくやる」んじゃないかと、南座以降思うようになっています。悠浦くんは相変わらずのダンスぶりで、悠浦のダンスの時だけ面白さに目が冴えて、これは一種の華というものでしょう。でもトゥワイス・リーダブルであるかというとちょっと心許ないかな。

というのは前段で、そこを理解しない人とは結婚はできないわ、って話でした。

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