幸せをはこぶ目

こうのとり

武生に行ってきたんです。武生の菊人形会場には『こうのとりコーナー』みたいのができてて、こうのとり人形が頭をガクガクさせていた。どうせなら菊こうのとりにすればいいのに、そうはなくっていなくて、羽でつくってあった。とにかく目がコワイことになってるんだけど、異様に惹かれる風貌のコウノトリだった。トキはちょっとつまらないトリだけどコウノトリは良い。

大劇場でOSKの『グランドレビュー2011 戦国の絆/パッショーネ』を見た。菊人形開催時期前半戦はあんまり客がいないもんだが、私が見た日はまだ一週間ぐらいしかたってないのにずいぶんお客さんが入ってた。まあ、舞台上で何をやってるのか理解しない人もけっこう多いんだろうけど、客席がガラすきなのよりはいいことです。
で、この演目については事前に見た人からいろいろな情報が入ってたわけです。

・織田信長の相手役は森蘭丸らしい。
・明智光秀が緋波亜紀。
・江が……
・洋舞のほうで居酒屋コントみたいな場面がある。そこが長い。しょうもないことやるないい加減にしろ。

他にもあるけど主なものはこんなこと。それで、このような情報から、いろいろな想像をめぐらしていたわけです。信長様と蘭丸のBL度はどのぐらいかとか、ひーちゃんが『もう遅い! こぼれた水は元にもどらないのだ!」と絶叫するなんてどーまでかっこいいんでしょうとか、江は……とか、ここんとこ武生で続いたコント場面はほんまにいい加減にしろいったい何やってんだ会社は、とか。

このような想像はおおかたひっくり返された。ちゃんと見てみないといかんものです。

まず、見て思ったのが「明智光秀が存外よくない」ということで、去年の桂小五郎のようなかっこよさが今年の光秀になかったのはなぜだ、と考えてみたが、どうも衣装と髪型がイマイチだったような気がする。とくに髪型。もうちょっと渋くてもよかったんじゃないか。他が「OSKお得意の洋舞ガツラ日本物」なので、せめて光秀様ぐらいはトラディショナルに(って、本鬘は借りてこられないだろうから、前髪なしのオールバックで髪色は真っ黒、とか)やってくれればよかったのに。

そして、信長様のそばに千宗易と蘭丸がいて、いかに信長が素晴らしいかってことを縷々述べ立てるのだが、それがゴマすってるとかしか思えないんだ。阿諛追従の茶坊主と小姓。蘭丸と信長様も別にラブラブってんでもないし。蘭丸は信長を慕ってる感じがしないのと、信長が蘭丸を「ういやつ」と思ってなさそうなので、たんなる野合っぽい(ある意味、それはエロだからいいんだけど)。信長様は武将として明智光秀をもっとも買ってるようなのだが(これはそういう説明台詞があって、それはいかにも信用できないダメな、言わずもがなの説明になってしまっている。しかしこの不必要な説明を聞いて「ウソつけー」と思いながら、同時に「もしかしたら信長って光秀しか信頼できると思えなかったのでは」という気にもさせられるという、不思議なことになっていた。ここなど、桜花信長のパワーだろう)、光秀はあきらかにそこまでの器ではない。この『戦国の絆』見て浮かび上がってくるのは、ただただ「勝者の孤独」。織田信長はまわりにしょーもないやつばっか&自分に怯えてるやつばっかでどんどん狂気の世界に陥っていったのか……そうか信長様……信長さまああああ! って、そういう話のつもりはないんだろうけど、作者は。

とにかく桜花昇ぼる演ずるところの信長がすごいんです。私は今まで、高橋幸司の信長(大河『黄金の日々』)とか役所広司の信長(大河の何だったか忘れた)とかを「カッコイイ」と思ってきましたが、そんなのを軽くぶっとばす「最高にかっこいい信長」だった。何がいいって、茶坊主と小姓におだてられても、暗い目でかすかに苦く笑うだけ。「私のまわりにはこのような者どもしかおらぬのだな」的な自嘲の笑いですわ。たまらん。武田勝頼の首桶を扇でバシッと打つときなんか目が飛んでるし。ところでここで首のことを「首級(みしるし)」って言ってるのに、武田との戦勝の宴の「幹事」ってのはないんじゃないの。「わ、私が幹事をやるんですか……」って光秀がショック受けてたけどさ、確かに幹事はイヤだ。せめて「饗応役」ぐらいに……ってそういう問題じゃないですな。ただ、こういうとこでしょうもない現代語が入り込んでくるとガックリくるので(あえて言う、ってのはいいんだけど、ここはちがうでしょ)もうちょっと考えてほしいです。その、光秀が幹事やった戦勝の宴でも、鯛の尾頭付きに箸つけた信長様が一口食べて「なんじゃこれは、腐っておる! おまけに味つけも悪い!」って魚ぶっとばしたり、ふつうなら「ひでえことするなあ、いくら光秀が嫌いか知らんけどこんなしょうもないイジメなんかしてるんじゃねーよ」となるところが、そうじゃないんだ。いちいち信長様のお言葉の端々を聞いて心の中でムッとしたりガックリしたりしている光秀の姿も、茶坊主と小姓と同様に小者感にあふれており、「光秀は確かにいろいろ手抜かりあって鯛も腐ってたかもなあ。料理も下手そうだし(別に調理はせんだろうけど、でも)」とか思えちゃうんですわ。

本能寺の変で、屋台崩し(といっては屋台崩しが怒るぐらいの程度のものではあるけれども、それでもいちおう屋台崩し)にガンガン音楽が高まる中で、白い寝巻で「人間ごじゅうねん〜〜〜」と舞ってる姿もすごい、というよりも「すげえ」。孤独で狂気の持ち主がこれほどはまるとは。アカンだろうけどアドルフ・ヒトラーとかもすごい演じ方しそうだよなあ桜花ちゃん。孤独で狂気でも、オーラは黄金だからヒトラーはだめか。

江は……。江は思った通りだったかも。浅井三姉妹が出てきて、当然お茶々も出てくるわけですが、お茶々といえば描かれ方は決まったようなもんですが、この作品におけるお茶々ってのは今まで見たことないものでした。いや、ただのつまらん脇役、なだけなんだけど。江をああいうふうに描くためにはああしなきゃどうしようもないか……。それなら思いきってお初とお茶々のキャストを入れ替えるべきだったよなー。宴で信長様が共に舞うからおびえて扇を落としてしまう、ってけっこう重要なエピソードだし、それは折ちゃんぐらいの人の演技で見たかった。ただ、今回、信長様以外の人がみんなボンクラみたいになっちゃってたから誰がやっても同じだったかも。で、江は……江のキャストを決めた時点で、ああいう話にしちゃどうしようもないよなあ。もう別空間にして語り手にするぐらいのことしか思いつかないが。於市でよかったじゃん。

洋舞は、スパニッシュとパリメドレーがどうもネジを締めきっていないようなゆるさを感じて不満でしたが、問題の居酒屋場面が、思ってたような「しょうもないコントご披露場面」ではなくて「中詰めの総踊りのための舞台が居酒屋」ってだけだったのでよかった。私は歌劇の人がへんな役をやることにはなんの抵抗もないのでいいです。へんな役が目的じゃなくて手段ならいいです。

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