D’の純情

ラストショーとジャストダンスは違う。そのことがはっきりわかった。目指すものが違う。って、そんなことあたりまえじゃ、と言われそうだが、どう違うのかがわかんなかったのでずっともやもやしていた。この松竹座、初日から日曜まで5回見て(うわーひさしぶりだなーそんなのは)、ジャストダンスの場面を見るたびに泣けたり笑ったりいらいらしたり、平常心じゃなく、その不安定な感情がどこからくるのか突き止めたかったんですよ。

きのう、2007春のDVDをテレビで見てみてハッとした(それまでは手軽なんでパソコンのモニタと携帯端末に入れたのばかり見てたんです)。
えらい違う。もうはっきり違うんですよ。こりゃ別モノだ。で、見せたいものが違ってる。
とくにわかりやすい違いを列挙しますと、

★出てる人数。2007年の時のほうが少ない。小群がつぎつぎと出てきては入れ替わり融合して大群になり拡散して、というつくりとしては同じだけどその小群の人数が少ない。最後に最後列にばばばーと下級生が走り込んでくるのも同じだけど、それを入れても少ない。あの頃は人数も少なかったから……っていうんじゃなくて、少数精鋭。そういうメンツにしていた(と記憶する)。

★黙っている。無言で、表情で見せる。

★振り付け、というよりもニュアンス、みたいな動き多し(とくに大貴さんに)。

あー、これは、大貴さんのための場面だわ。前に、このダンスにおけるセンターの人間は「小粋で瀟洒で大人でエロ」が必要だと書いたけど、それはその真ん中にいる人の魅力(=小粋で瀟洒で大人でエロ)を最大限に発揮するための場面だったんだからそりゃそうなるわ。小粋で瀟洒で大人でエロなんていう、ともすればまったりしたような場面にしちゃいそうなところを、あのスピーディーな振り付けと音楽と群舞で際立たせたという名倉先生はすごい。だからの場面は私にとって、かけがえのない名場面なのであった。

で、今やってるジャストダンスは、「力一杯のかっこいい群舞」。ラストショーから、小粋と瀟洒と大人とエロを抜いて快活な元気を注入したらどうなるかという実験をしてみたらこうも変わった、ってこと。だから学校生を除く全劇団員が出て、雄叫びもあげてガンガン行く。
(OSKはこういうのをやる時に、ヤンキー方面大衆演劇方面に行っちゃうことがあるけれど、そんな方向に行くとはちらっとも思わせない出来上がりなのは、やっぱりさすが名倉先生である)
そして、真ん中というか、白三人は個性を出さない。突き進む群れのボス3頭。野生動物の群れのボスが粋を追求とかしてたらあっという間に食われますわ。ボスが草原を駆ける。全力で。3頭それぞれ走り方がちょっとちがう。それぐらいの違い。

この、健康的で美しく極限まで張りつめてスピーディなダンスで客をなぎ倒す、それこそが「ダンスのOSK」における「ダンス」だ。そして、そういうダンスは、どんな客にも通じるのである。2005年の武生のブラック&ホワイトで、半分寝てるようなじいさんばあさんがほとんどの時の客席でも感嘆のため息がゴオオオと渦をまくようだった、あんなふうに。Hiroshiさんもブログで書いてられますが、客席降りとか花道を使うんじゃなくて、本舞台の上だけで完結する、他者の侵入を拒むほどのダンス。なのに他者を巻き込んでひきずり倒すダンス。ダンスのOSKっていう割にはそういうダンスって、最近とんとなかったからなー。ほんと、ブラック&ホワイト(2005武生&2007南座バージョン)以来だと思う。あの、ラストショーは、ジャストンダンスでそういうふうに生まれ変わった。

だからもういい。
でも私は、松竹座でこの場面が終わると地鳴りのようにわきあがる歓声の中で、少し泣きそうになっている。「2007のも、えらいかっこよかったんだよ」と。その時に、真ん中にいた人が、それはそれは魅力的な場面だったんですよ。そしてその人がいたから、今この場面があるんですよ。

それは言うても詮無いことです。

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