try agein believe in you

アフターイベント3回目。三度目の正直で(やる側がじゃなくて見る側が)ついに振り切れた。何に。いろいろなものに。

ってとこまで書いて眠くて寝てしまいました、ゆうべは。
今日は松竹座『春のおどり』の千秋楽でした。今回の『春のおどり』は日生劇場2回、松竹座15回見ました。こんなに見たのは久しぶりですわ。やはりそれはいい作品だったんですよ。それから、いろいろ考えることが楽しい作品だった。それ以外にも「宵待草の場面は連獅子と密接に関連している」ということの考察を友人間で深め合ったり。ある意味今回の春のおどりの「裏主役」は高世かもしれん。楽しませていただきました。

それはいいとして。
今回の『春のおどり』の、洋舞の話です。
今回の洋舞って、スパニッシュもラテンもないし、振付の先生もふだんOSKをやってくださる方がほとんどいない……というか1人もいない(ふだん、というのは松竹公演以外の、武生とか、小規模な自主公演などの話です)。それなのに、「これがOSKのダンスだ」と思わせるものを繰り出してくる、というのは、どういうことなんでしょうか。

私に言わせれば、「これが(大貴さんが近鉄の解散を期にその芸風からも脱出して、目指した)OSKのダンス」なのだけれど、そう思わない人も当然いるようで、近鉄時代のOSKのショーを愛してた人は「やっとあの時代のダンスが帰ってきた」と言う。私には近鉄時代のダンスってのはこんなんじゃなかったですが。OGの人が「今までの松竹座でいちばん良かった」と何人も言っていて、そこのところの詳しいところを聞きたい。それは「自分が現役時代には到達しえなかった」ものなのか「自分たちのやっていた素晴らしいものが再び!」なのか。私は後者なのかなあと思って読んでたんだけど、どうなんだろう。

どっちにしても、この洋舞はものすごく盛り上がるし、お客さんも喜んでいた。それでさっき書いたことに戻るけど、すべての振付は、ふだんそんなにOSKの振付をしない方々で、「それなのに、いい」わけです。あまつさえ「OSKらしい」とまで言われる。別に「OSKらしさを勉強して、それ風にした」んじゃないと思う。なのにどうして「OSKらし」くなるのか。それをここ数日考えてたんだけど、今日出した結論としましては「能力が高い」。結局そういうことなんではないか。場面を考えて音楽を決める名倉先生と、その音楽と、出演者の技量(長所も短所も)を見て、最高にかっこよく見えるような振付を考える、ということはつまり「作者と振付師がともに優秀」だったってこと。身も蓋もない結論ですが、そういうこと。

OSKは今後。最低でも今回レベルのダンスをやってもらわなきゃ困るよ、と思う。それ最低のセンの話で、今回レベルでずーっと続いたらぜったい粗が目についてきそうだし。でも、次の南座はたいへんだろうな。今回、フィナーレでシャンシャンがないということが事前に知らされて「それはすごい!」ってことになってたけど実際見てみるとシャンシャンあったらマヌケ極まる感じだった。シャンシャンてものが発する「ゆったりした優雅さ」みたいなもんが、今回のスピードの中に入るといきなりマヌケに転化。では次回、シャンシャン入りでも美しいテンポのフィナーレになったとして、その時はシャンシャンの安さが目につくし。安いのは前から気がついてても「なくちゃならんもんだし」で目をつぶってたのが、今回「ナシでいいじゃん」てことがわかってしまったので、もうあの安さには耐えられない。でも、これを先途と「ナシで続ける」のも「なんかマネしてるみたいだし……」とか思っちゃったりしないもんでしょうか。とにかく、今回のフィナーレの清潔さと爽快さと同じぐらいの、感情を良い方向に動かすフィナーレをつくってくださいよろしくお願いします。

そして、きのうのアフターイベント終了後、そして今日の千秋楽終了後、私は「1000000回生きた猫」の猫が死んだ時の気持ちとなりましたが、……また生き返りそうな気もする。そのあたりはまた明日。

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