学園前何処

なんというか、終わって「終わっちゃったなあ」と思える松竹公演てひさしぶりだ。今日目がさめて「あー、今日は松竹座行かないのか」と思った、というのも何年ぶりだ。
(というのは、ここまでの文を書いたのが千秋楽の2日後だったので。今はもう千秋楽から半月たってしまい、今は目覚めてもふつうの日常です)

今年の松竹座の洋舞って、なんか、あさま山荘のラストで警察がブチこんだ鉄の大玉、みたいな感じがする。例えとして適切でない気もするけど、クラブのシーン、チェリーガールズ、ジャストダンス、大ラスのCatch a chance〜、この四箇所があの鉄球。ズガーン、ズガーン、と、見ている私の感情の何かを崩壊させるのだった。鉄球の威力破壊力はすごい。

ショーって場面が集まって一つになったもので、その一つになり方にはいろいろある。「膳に乗った料理」「額に入った絵」「ネックレス」と私はその三つに大きく分けている(って、今思いついただけだけど)。料理は和でも洋でも中華でもエスニックでもなんでもいい。食器だってどんな種類でもいい。ただし食事として美味しく、膳の上で美しく、料理と料理の食い合わせが悪くないもの(ウナギと梅干しはダメとかそういう決まり切った話じゃなくて)。

額に入った絵、というのは、場面が画材や色であって、それでできあがった「1枚の絵」。それを、さらに映えるような額に入れる。私はこういうショーを見てみたいんだけど見たことないんだよなあ。……うーん、『ノバボサノバ』とかが理念としてはそういうもんに近いんだろうか。

ネックレスは、場面が宝石、それが連なって輪になってる。今年の春の洋舞は、構造としてこれだったと思うんです。で、その宝石が、重量級のものがボン、ボン、ボンとつながっている。間には小粒な宝石もある。でもそれをつないでる糸が細すぎる。きれいな白い木綿糸が、宝石の重みに耐えきれないような気がした。でもあさま山荘の鉄球級宝石を見ているとそのすごさにクラクラして、そんなことはどうでもいい気がしてくる。…………じっさい、どうでもいいのかもしれない。このネックレスはもう箱にしまわれたので。あのすごい宝石を見て、その光を記憶の中にしまったからいいのだ。

まあそのことは措くとして、この春のおどりの何がよかったって、幕間とかにロビーで友だちが寄り合って「公演について」のバカ話が山ほどできたことだ。ここしばらくそういうことがとんとなかったから。良いにつけ悪いにつけ「おもしろおかしく」語る気になる公演がなかったんですもん。この友だちってのは、大貴ファンだけじゃなく桜花ファンも高世ファンも桐生ファンも、貴城ファンもいて、みんなNewOSKの時代に「ご贔屓は全力で応援するが同時にNewOSK日本歌劇団がなんとかなるように全力で見る!」という仲間だった人たちですね。今の人がそうじゃないと言いたいわけじゃなくて、単純に、自分の交友範囲の話で、けっこうちりぢりだったのがこの春の松竹座ではまた“あの頃の楽しさ”が再現されたのがうれしかった。いやー、とにかく「宵待草→連獅子」「タンゴ」「ピエロ」「砂漠」「ジャストダンス」と、それぞれの解釈が開陳されてからというもの、目からウロコおちまくり、もう舞台見るのが面白くて面白くて。みんな自分の大好きなスター様を誰よりも持ち上げるけど誰よりもオトすし。笑える批評。自分を含めて最近はそれがないOSK論壇ではなかろうか。

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