宙から雪
『翼ある人びと』をシアタードラマシティに見にいってきた。一にも二にも、作・演出の上田久美子作品をこの目で見たかったからです。だってすごい評判高いんだもん上田先生。バウデビュー作が異様に評判よくて、これが2作目。でもって、好きな(会いたいだっけ)アーティストが会田誠ですって。え! 『犬』とか、ああいう世界を「好き」だと公言する、という、これは宣戦布告された気がして(いや、されてません……)「ぜったいこの目で見て批評するぞ!」と思ったんです。
で、オープニング見てすでに「うっ」となってしまった。主がいなくなったらしき家で引っ越しが行われている場面で、一人の老嬢がピアノをぽつんぽつんと弾きながら、引っ越しの指図をし、そして「彼がやってきたのはこんな秋の日のことだった……」とかなんとか、そんなセリフから、時間がわっと舞い戻って舞台が動き出す、という、よくあるといえばある始まり方。それはいいんです。私が「うっ」となったのは、その老嬢のセリフ回しですよ。
「これだよ!」
私が思い出してたのが『アッディーオ』の、オープニングに出てきた、修道院の老修道女。芝居の構造のカギになってる役で、ヒロインのリーダの、年老いた姿でのセリフから時間が戻って……と、これまったく『翼ある…』と同じですが、その老修道女、ヒロインですから牧名さんがやっていた、あの老修道女の演技が私は気に入らなかった。老婆の演じ方(声とか、仕草とか)が受けつけなくて、その後なかなか物語に入っていけなくて、見終わってからも「あの“婆さんコント”みたいな演技はないよ(泣)」と嘆いていたのである。もっとさらっとふつうにやればいいじゃん!と言ってたのだ。
このオープニングの老嬢の演技! これだよこれ! こうやってくれればよかったんですよ! 演者はすみれ乃麗さん……2006年入団ですか……真麻と同期か……まだ若いよなあ……いや演出や演技指導の問題か……。
ここでけっこう「がーん」となって、そこから幻想のダンスシーンになって、ここはまあよくある場面で、でもそこからの流れが「流れるようにきれい」(場面の絵ヅラはもちろん、セリフの美しさややりとりが流麗)で、「これはできのいい芝居」と思ってひきこまれた。主役の朝夏まなとは、まゆゆが大ファン、ということで知ってたが写真で見てもあんまり好みとちゃうなあ、銀英伝でも記憶に残ってないなあ、という人だったのにドラマシティは箱が大劇場より小さいせいか間近に見えてキレイである。2番手の緒月遠麻は、これは紛うことなく私の趣味じゃないルックスの人なのに銀英伝で見たらこの人ばかり記憶に残ったという人で、それも「舞台上のこの人(が演じる役)は“いい人”に見えて素敵」という、役者としてはすごい魅力を持った人です。って、銀英伝とこれの二つしか見ないでの感想ですが。そしてヒロインのクララ・シューマンが、文句つけようのないキレイさで圧倒された。怜美うららさん。え、2007年入団……。えっ……。でも歌い出したら「あららら」でした。まあ一つぐらいは弱点も見せてもらわないとこちらとしては立つ瀬がないですわ。まあ見た目と芝居は素晴らしかったですから。宝塚見て思うのは、ヒロインが、学年若い割に落ち着いた発声で落ち着いた芝居するってことです。OSKってこれが案外ないよな。
音楽が、なにしろクラシックの名曲をモチーフにしてるのでモトがいい上に、アレンジがいい。音がいい。衣装も美しい。舞台装置も簡素ながらセンスいい。
敗北感にしおれそうになりながら見ていたが、やがて「これ……長くない?」と思い始める。いや長い。これ2幕って言ってたよな? なのにまだ1幕で、それも終わる気配がないのだ。1幕の途中ぐらいで「これ、一時間モノの芝居だったらすごく素晴らしいんじゃないか」と言いたくなった。最後まで見てもその思いは変わらず。
そして、「これ、セリフは美しいし、流れはいいし、破綻はないし、全体にキレイだけど、芝居の構造として平坦すぎやしないか」という思いも募ってくる。
『女帝を愛した男』のあの長さを思い出す。長所も、短所も似ている。とはいえ、あれらよりは確実に『翼ある……』のほうがデキはいいけど。美しいし泣けるし、しょうもない場面も(なくはないが)少ない。作者の、読書量の豊富さみたいなものが感じられるのだ『翼ある人びと』は。人を感動させるポイントを、さりげなく、的確に仕込んであるのが、「教養の発露」によるもの、みたいなの。そして、趣味の良さがあふれ出ている。さらに、(この作品では隠し気味なんだろうけど)ちゃんと悪趣味も心得ている。けれどダサくはならない。素晴らしいじゃないですか。でもストーリーとしては平坦で、芝居の構造はありきたりで、演出も、場面転換がけっこう凡庸で、拍子抜け。この脚本と演出でOSKでやったとしても文句は言っただろう。とはいえこれデビュー2作目ですよ。OSKの、いいトシした作演出陣よりマシなことされてしまうというのは……(泪)。
それとは別に、これを見て私は、宝塚歌劇を受けつけない、ということを再認識した。宝塚には宝塚特有の香りというか匂いというか体臭というかスパイスというか、そういうものがある。それが私は嫌いなのだ、ということがわかった。たとえば、歌劇の芝居で大好きな(OSKも大好きな)酒場の場面、酒場の女主人の描き方が、宝塚とOSKでは違っている。宝塚が娼館のマダム風になり、OSKはジプシー(今はロマですね)風になる。宝塚の、脇にいる男役の芝居(台詞回し)のクセの強さ。OSKの脇の男役の芝居はけっこう自然風味。こういうのは、どっちで育ったかで受けつけるか拒否反応が出るか決まるんだろう。
場面でもそうで、酒場の群衆場面、貴族の館の場面、そういうのって、宝塚は「当然やるべきもの」として常に配備されていて、必要なくても場面つくってるんじゃないかと思わされることがある。いや、今日の公演見てはじめてそう思ったんですけどね。今日の芝居のストーリーだったら、別にいらないであろう群衆場面がむりやりくっついてるように見えたので。そうだ、エリザベートの場面を持ってきてくっつけたような唐突感があったんだよなあ。
そこで私が思ったのが、「上田先生、OSKの少人数芝居をやってみたらどうなんだろう」ってことで、「宝塚だからやらなければいけないとむりやりやった場面」がOSKなら必要なくて、それに芝居は一時間ちょっとだから、上田先生がやりたいことの粋が表現できるのでは? と思ったりした。なんか、今日の芝居見てたら、大劇場の芝居になったらもっとありきたりのたいらなもんになっちゃうんじゃないかなーという気がしたので、それなら大丸心斎橋劇場のOSKはどうですか、ってことなんですけど、まあ引き受けてはくれないでしょうね。
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