繰り言

かっこよすぎて胸がどきどきすることがあるといろいろ楽しいんだけどなかなかない。OSKのショーを見ているとそういう気持ちになることがけっこうあった。しかしあったということは過去形でして、なくなってみると「けっこうあった」という頻度は「すごいこと」なんだということを思い知らされた。なかなかすごい団体だったのだなあOSK日本歌劇団。その割にはファンも増えなかったが。

あるブログを読んでいたら、OSKが解散してNewOSKになって素晴らしい作品を生み出していたのに大貴さんが退団して桜花トップ体制になってからタカラヅカもどきな作品をやるようになり残念、というようなことが書いてあり、ヅカもどきの例として中村一徳作品やってたから、みたいなことも書いてあった。その記事のコメントに、同感です私は解散前のOSKが好きでしたみたいなのがついていて、記事もコメント何かいろいろと解釈が違うと思った。

そもそも大貴さんの時代だって一徳先生の作品はやったし(最初はさんざんヅカっぽいとか言われたですけども結局は評判よかった)、ブログ主さんがほめてる世界館定期公演だって男泣きしたいぐらいひどい作品だってやってたりしたし。まあそれはいいとして、私は何度も言っているように、解散後のNewOSKは近鉄時代のOSKをやめて新しいOSKになろうとしたと思っている。その最大の成果が、松竹座の春のおどり秋のおどり(とくに山村若日舞作品)だろう。大貴さんがそれ(脱近鉄)を目指していただろうということだ。桜花ちゃんは大貴さんの後にトップになって、一種の揺り戻しとでもいうか、近鉄OSKに帰ろうとしたんではないか。だから、件の記事のコメントに「解散前のOSKがよかった」と書いた人は、桜花ちゃん時代のOSKのほうが大貴時代よりはいいんじゃないの? そういうこととはちがうのかなー?

南座のOG公演を見て思ったんですが、存続に関わりを持たなかったOGの人って、大貴さんが存続活動をしたからOSKが存続したなんてひとつも思っていなくて、もちろん大貴さんに感謝なんかしてなくて(牧香織さんだけは感謝してくれていると感じましたが)、「大貴じゃなくて私らがやってればもっとうまく存続した」ぐらいのことを思ってそうだ。別に何を思ったっていいし、「実際の苦労もしなかったくせに」とか、そういうことも言いたいと思いません。そういうケチな話ではなく、私は、存続に加わらなかったOGのおかげで、OSKは存続できる劇団になったと思ってるが。 ←どうもうまく書けないので何回もこの部分を書きなおしている。身も蓋もない言い方をすれば「抜けてくれたおかげでスッキリした」ってことなのですが、どうも聞こえがよくないなー。って、どう取り繕って書いたところで聞こえは悪い話を私はしてるな。

と、何が正しかったかそうじゃないかとか話をいくらしたところでOSKのファンは増えない。これから、かっこよすぎてどきどきするような公演を積み重ねていくしかない。

PAGE TOP