指原莉乃座長公演@明治座 結

キヌタ

指原さん総選挙一位おめでとうございます。

というところで、中絶しておりました『博多の阿国の狸御殿』について思ったことの続き。いつまでやってんだと言われそうですが、選挙結果が出ないと書きづらかったんだ。

この芝居、後半近くになってやっとこの作品の弱点がわかった。キヌタが狸でないことだ。

らぶたんは狸チームであり、メス狸のお黒役。
狸御殿における「決まり役」といえば「きぬた姫」とともに「お黒」もいるので、いい役をもらっている。狸チームは、キヌタの指原を筆頭に、なこ、らぶたん、森ぽ、めるたん、りこぴ、村重、みおたす、というメンツ。これもパンフの掲載順なんだけど、この並びの意味考えるのはもうめんどくさいんでやめた。たぶんそれほど(今後に影響するような)意味は無い。たぶん。ただ、狸軍団をやらせるにあたって、考えて選んだメンバーだなと思う。とくに田島芽瑠を狸チームに入れたのは鋭い。朝長美桜が狸なのは誰でも納得だけど、めるたんは阿国チームにしちゃうよな、安易なキャスティングなら。今回の「キャスティングがうまかった」のは阿国チームの松岡菜摘と、狸チームのめるたんであろう。今田美奈はたぶん、狸チームでもうまいことやったと思うので、キャスティングの妙というよりもその前段階の「みなぞーを出演者に選んだ」というセレクションの妙ですね。

メス狸は、人間相手に夜鷹に化けて枕ドロするって設定なので、まあヨゴレ役といってもいい。とくにらぶたんは、メス組リーダーで、気が強くて情に篤くて修羅場に強い。そうなると必然、ヤンキーぽい役作りになっちゃう。私も見終わってからけっこう考えてるんだけど、ここの「お黒」という役を、ヤンキーぽくないキャラクターとして演じるとしたらどうしたらいいのか。どうにも思いつかない。抑えた演技にしたら「単にクール気取りのヤンキー」になりそうだし、ヤンキー成分をせいいっぱい抜いたとして「熱血明朗リーダー」ぐらいしか思い浮かばず、そうなると話も変わっちゃうしな!
今回、らぶたんの演技も「デキる」という評価を受けたけど、私は正直なところ「またこの手の役か〜〜」と思った。らぶたんは器用なんでヤンキー系も器用にこなすけど、イロモノだったら白雪姫のサルとか、正攻法だったら『タイムリープな少女』みたいなほうが、心にしみる演技をできるし、泣かせるんだって。ただ、この芝居でのらぶたんのポジで、そうそう「全客席が泣いた!」とかやっちゃうとバランス崩れるか……。うむ、らぶたんのあの演技は、芝居の中で正しいんだ。うむ、そう考えて納得しよう。

なら誰が泣かすのか。それは主人公だろう。あるいはその相手役。

この『博多の阿国の狸御殿』って、見終わってほんとに「明治座というハコにふさわしいストーリーだ」と思った。わかりやすい登場人物、わかりやすい行動、そして笑わせて、泣かせて、わあっと驚かせる。ザ・商業演劇!って感じ。それでも見終わって「これ、もっと泣けたのに」と思った。で、その理由は見ているうちにわかった。さくらたんの阿国は、阿国の哀しさを静かに表現して(というか、あれは身についたものでたぶん演技としてはやってない)見ているだけで胸がつまった。問題はキヌタだ。

キヌタがぜんぜん狸じゃなかったんだもん。

狸チームは、ぬいぐるみのしっぽ程度であとは人間のカッコで、言われなきゃ狸であるなんてわからない。でもみんな、成分の多寡はあるものの、芝居の中で狸なのよ。らぶたんはもちろんのこと、見た目的にもっとも狸からかけ離れているめるたんも狸だし、森保がどうかなと思ったけど「テクノボー狸」でリアリティあった。それを狙ってたかどうかはともかく。最後まで狸に見えなかったのがさしこちゃんです。

最後まで指原莉乃だったなあ。あのキヌタっていう役は、指原莉乃の人生をなぞったような役だから指原莉乃でいい、かといえばそんなことはない。『明治座特別公演・指原莉乃物語』があるとしたら三十年後に、今はまだ生まれてないアイドルが演じるのを待つべきものである。今回の『博多の阿国の狸御殿』は、指原莉乃の人生が下敷きになってるってのは、知っていれば楽しめるけど知らなくてもじゅうぶんに楽しめるようなあらすじで、でも客は「知っている」人がほとんどなので、ある意味「ネタバレ」しちゃっている。そこに「芝居ならではの感動」を上積みにするための装置が「指原莉乃が狸であること」だ。今、指原莉乃を見たって、スターのさっしーでしかなく、『逆転力』での“選ばれていない者の努力”とか総選挙のコメントで「落ちこぼれの星」と言うことだって、「一位のやつに言われたってよ」としか思えない人は必ずいる(私がそうです)。さっしーがきちんと狸であることが重要なのは、「指原莉乃の人生がすけて見える感動」が「指原莉乃の人生がすけて見えるシラケ」を上回らなくちゃいけないからです。

あの主人公のキヌタが、……って今思い出したけど、狸御殿のきぬたってふつうは「きぬた姫」で、お姫様で、やんちゃで可愛いワガママ姫のずっこけ物語みたいなもんで、ふつうに考えたらこの役はさくらたんにしたいとこですよね。あるいははるっぴか。さっしーは相手役でかつダブル主役みたいな。「男役は娘役よりもヒエラルキーが上」の宝塚歌劇の文化を持ってきて、座長としての格は保つ、みたいな。そういうやり方もあったと思うけど、あくまで「狸御殿の主役はきぬた(姫)」で、それを指原莉乃にやらせるためには、ああいうストーリーしかなかったと思わされる。横内先生すごい。いやだからさ、それだからこそ、さっしーが狸だったらもっと泣けたと思うわけよ。

さっしーの狸に欠けていたものはなにか。

狸であることの哀れさだな。さくらたんは「阿国であることの哀れさ」を非常に巧みに(ある種バケモノのごとく)舞台に立ち昇らせていた。セリフとか別にうまいわけでもないのに。狸の哀れさがそこにからんだらどんなに素晴らしかったか。人間を化かしてだまして金品盗んでくるけど、結局は狸で、ほんとはみっともなくて、人間からはケモノ扱いされ狩られ始末される。そんな狸が、阿国を見て憧れて、あんなふうになりたいと思う。……考えただけで涙が。なんて泣かせるんだ。…………うーん、今思い出してたら、記憶が美化されたのか(もう一ヶ月以上たってるもんなあ)、さっしーのキヌタでもじゅーぶん泣けるような気がしてきた。気のせいだ。明治座の客席で「うーーー、さっしー、あまりにも指原すぎるーーー」とはがゆくてしょうがなかった。

どうしたら狸っぽさが出たのか、というのがわからないので(方法を思いつかない)、難癖と言われたらそれまでなんだけど。ただ、今回、この座長公演の話を指原は最初断ったと報道されてた。芝居は見ないし自分でも演技は経験ないし、と言ってるのもテレビで見た。最初に舞台の上のキヌタを見た時は、それらが公演前の逆フカシじゃないかと思ったぐらい、ちゃんと演技していた。発声からしてなってないのが山ほどいた(というかほとんどそうだった)のに、さっしーの声はぱん!と出てるし、セリフ回しがおぼつかないこともない。噛んだりしない。でも「そこにいるのはあくまで指原莉乃」だったんだよなあ。

明治座の成功(ですよね?)を受けて、次なる公演も用意されてるかもしれないんだけど、これだけちゃんとした脚本と演出とハコが用意されるんだったら、さっしーをいかに魅力的なキャラとして出すか、ってのが最初の関門かもなあ。さっしーが、うまく役(役柄とか設定とか)にハマったらすげー泣けそうな気がするんだけど、それがどういう役なのかがわからん(苦)。その点、さくらたんて、天性の女優というか、舞台でその役になってまわりを巻き込むパワーがすごい。舞台荒らし、ってやつかも。主役かその相手役しかやらせちゃいかん。……多少言いすぎてますが。そしてらぶたんですが、HKTというグループの中にあっては、今回のような役付になるのは当たり前でして、そこでは充分な仕事をしていた。……けど、らぶたんは「真面目な、白い、女の子の役」で見てみたい。「少女の何気ない心の動き」「少女の、自分でもよくわからない気持ちのゆれうごき」を表現するのがすごくうまいんです。単館上映の文芸作品とか、いけると思うんだけどなあ。『ソフテン』があまりにもあんまりで泣けたので(あれは主役じゃないですけど、それにしても)、二度とああいうことにならないように、映画プロデューサーの方、よろしくお願いします!

お黒

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