海神別荘の釣り針

『海神別荘』読んでると海の公子ってのは明らかに「若さま」で「王子」で、だからまだ王様ではない。キングでもエンペラーでもなくてプリンス。気の強い姉ちゃんもいるようだ。……弟かよ! そうです海を統べてるお父さんはどっか別の宮殿にいるのか。

サクラ大戦歌謡ショウの海の公子は、セリフや行動は王子だけど、見てるとすげえ人間くさい。それも大人の。……オヤジというか。サクラナイトでマリア・タチバナと真宮寺さくらの『すべては海へ』を聞いた時にも、桐生麻耶と城月れいの『すべては海へ』よりずっと人間的というか体温というか血のなまぐささとかいうか、そういうものを感じた。そういう王子だから、からんでくるソーズもスキンヘッドオヤジだしそこへ赤鮫クンゲヒゲヒゲヒだし。それが違和感ない。その割に不思議と下品じゃないのは泉鏡花の才能なのか広井王子の力量なのか。まあ両方だろう。

『海神別荘』の海の公子は王子で弟なんだけど、読んでいると「(陸の上の常識にかからない)天真爛漫」が、「エエとこのボンボンにつきものの無邪気なバカ」ではなくて、もっと不気味なものとして描かれている(と思う)。王子で弟なのに、じつは父はすでに殺してあって、そのへんに死体は放置してあり、「父ちゃんはまだ腐りきってない(or雑魚につっつき尽くされて骨になってない)からまだ王様」みたいな意識で、でも父ちゃんなかなか腐らないから年月もひたすら経って公子はただいま329歳、とか。桐生麻耶が海の公子ならその美しいブキミさをじゅーぶん出せたと思うんですよ。

と、言ってるということは、そのへんがちょっと不満だったわけです。あ、演出の話ね。

前半の公子、美女待ってるよーワクワク♪ のあたりって「桐生麻耶で公子をいかに表現するか」に迷いがあったんではないか。サクラ大戦版の海神別荘が元になってるから、ああいう演技プランで、ってことだったのかもしれないけど、あちらは「セリフは若者」でも行動は大人(オヤジ)だったわけで、それならこっちは「セリフは若者」だけど行動は「不気味な生物」でよかったんじゃないの。「こーこはーうみのそこー♪」や「ノーエ節」みたいなノーテンキな音楽をバックに、桐生公子が若者言葉を発しつつ異様な老成を見せる……とか想像しただけでカッコイイじゃないですか。

桐生さんが明るい若者役をやると「基本、いい人」の方向に深化していくので、海の公子とは食い違っていたような気がした。
(桐生さんの「いい人」役というと、『桜彦』の瀬戸な。あれは「明るい、いい人」の役だったから、そりゃ絶品だった。桜彦でいちばんわかりやすい役で、だからこそ簡単に見えてじつはすげー難しい役だよあれ。なおかつ芝居を締める役でもあったので、あれができるのは桐生さんぐらいだろう)
公子の存在を、もっと「理解できない異物として、存在の大きさを表現する」演出のほうが、すっきりわかりやすくなったと思う。私がそういうのを見たかっただけか? でも「…ずいぶん勝手を言う」なんていうセリフ(と表情)はすげえかっこよくて海と陸の断絶をサラッと表現してたわけで。
「死ぬまで泣かれてたまるものか」
のセリフもよかったですなあ。主に後半、陸の美女が自分の想像のラチ外の物体であることにイライラしはじめてから、やっと「公子の言動」がすんなり見られたので、………ということはあれか、陸の美女も「イライラしはじめた公子さまおステキ♥」で相思相愛になれたっていうことなのか?(そんなわけはない)

しかし、この『海神別荘、脚本というかとにかくセリフは素晴らしかった。バカだったり浅はかだったりださかったりするセリフを聞くとほんとにイヤになるんだけど(悲しいかなほとんどそんなんばっかである)、この『海神別荘』には見事にそれがなかった。もとが泉鏡花だとはいえ、別のコトバに言い換えてる部分もあるわけで、それも泉鏡花が書き換えたみたいにまるで違和感ない。それはサクラ大戦版にしてもそうで、「美しいコトバで下品な仕草で下品にならない」と、芝居というのはこうあってほしい。原作のカットの仕方も大胆かつ適切なので短くまとまってたし素晴らしい。私は芝居でも映画でもすべて一時間前後にしてほしいと思っている。海神別荘、55分であれほどの美がつまっていたではないか。

それにしてもしろへびさんすごかったですね。

しろへびさん

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