桐生濤濤

OSKのブルックリンパーラー配信公演、桐生麻耶ライブ、楊琳ライブを見た。配信ファンミーティング、楊チーム、桐生チームも見た。

たははのふたり
(なぜこの画像……)

この配信公演、見終わって思うのは「時間というものの力」。

何かが生まれて成長するのも劣化するのも腐敗するのも熟成するのも、みーんな時間によってもたらされる。この配信公演一発目が桐生麻耶ライブで、なにしろ最初なのでこっちもつい前のめりになって見てしまったが、見終わって思ったのは、「いやーこれは……だいじょうぶか」なのだった。内容についてもパフォーマンスについても。

しかし桐生麻耶ライブは、内容はまだぜんぜんマシだったんです(°_°)。楊琳ライブは驚いた。「こういうご時世で配信公演となるとそう手間も暇もかけてられない」のはわかるとしても、ちょっとどうにかしてくれと言いたいぐらいの、「構成というものが存在しない」ショーだった。「盛り上がらないショーをつくれ」という指令でも来てたんだろうか。楊に課せられた大リーグボール養成ギプスなのかこのショーは。ここで苦労しとけば来年のお披露目で花開くのだ!的な。衣装も後半へんなコート着っぱなしで、私は「衣装は(かっこいいのを一着)着たきりでいい」という考えだけど、コートを大事に着込んだ楊ちゃん見ながら「早く脱げ! そのコートを!」「今だ! 今脱げ!」「暗転だ! 今脱ぐ時だ!」とかストリップ劇場の客みたいなこと叫びながら見てて、それでも最後まで脱がないから笑ってしまった。頑固者か。それとも大リーグボール養成コートか。トークの時間もムダに長くて、これも「OSKのトークは地雷原」ということをただの客でもちょっと見りゃわかるのにどうして多用するのか。それは「トークには仕込みの金がかからない」からだそーです。ホントかよ。

しかし最初に私を不安に突き落としたこの配信公演も、回を重ねると見てるこっちも見慣れて、気になってたとこも流せるし、やってるほうもやり慣れて、余裕持ってできるからうまくなっていくとかいう変化があった。内容が悪くなければ時とともにパフォーマンスも熟成されていくのだなあ。なので、内容がスカタンだとパフォーマンスの熟成もあんまり望めないというわけです。
 

じきるとはいど
(なぜこの画像……)

ここから桐生麻耶ライブの話になる。内容が悪くない、といっても楊琳ライブよりは悪くないということであって、曲の力に頼ってるというか頼りすぎてるというか、楊琳ライブとは別の意味で構成が弱いなあと思いながら見ていた。いい曲で、桐生麻耶の歌も申し分なくうまい、でもそれは桐生麻耶の魅力を十全に発揮していないという不満があった。それでも後半、「ジキルとハイド」から間髪入れず「マイウエイ」に行く(マイウエイ、といってもシナトラや布施明みたいなんじゃなくて、軽くてリズミックで粋なアレンジ)、その時桐生さんと城月さんが微笑いながら見交わす視線の、その小さなドラマひとつあるだけで他に不満あっても「これでいいや」と思う、それだけで「悪くない」ショーだった。その、マイウエイが、千秋楽のマイウエイが…………、
 

うまく文章にならない……!

どう表現したらいいのか、「幸福というものはある」という気持ちが胸の中で滝のごとく流れた。同時に「幸福というものは潰える」という気持ちも滝になって流れた。要するに「ものすごく心が動いた」のです。桐生麻耶は「歌がうまい」ことよりも「人の気持ちを動かす歌を歌う」ことのほうが重要だと思っていて、しかしなかなかそういう場面に出会わないという不満があった。千秋楽の『マイウエイ』でそれに出会った。一緒に歌っていた城月さんもまた、この千秋楽のマイウエイは神がかっていた。なんとなく今思いついたけど、桐生さんが幸福はある部門、城月さんが幸福は潰える部門を担当していたのかもしれない。太陽と月みたいでした。とにかく、いろんな感情が、どーっと、あふれた。これだよ、桐生麻耶がやることは。

誰でもできることではないんだ…

いろいろあるけど配信ででもそれが見られてよかった。でもこれ桐生麻耶の力からすれば線香花火だからなー三尺玉の炸裂をはやく見たい。
 

タイのはずれた桐生麻耶

 
あとオマケですが、桐生ライブのあとに城月さんと仲良しな( ・∇・)華月奏ショートライブがあって、撮ったスクショ見返してたら「まあ、なんというトラディショナルな男役っぷり」と思ったのでその写真を貼っつけておきます。

華の月が奏でる

布施明版のマイウエイ歌ってほしいね! あー、あと、ファンミーティングの配信見て、このブルックリンパーラーというハコの特性みたいなもんもつかんだ、と思ったんだけどそのこと書くの忘れた。いつか書きますその頃まで考えが変わってなかったら。