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ソーダの泡

南座観劇以来、「私の大好きなOSKに何してくれちゃってるわけ!!」という怒りと「そんな目に遭いながらみんな必死でやってるよすごく」と胸がつまるような気持ちが混ざり合いましてひさびさに新鮮なOSK愛みたいなものが発生していて、桜まつりにも行くやら世界館にも行くやら。桜まつりで私の座ったテーブルに来た虹架さんに「あのカッパの場面てのは、演出の先生的にはどういった意味づけがなされてたんでしょうか」などということをお聞きしたりして(お答えは、「カッパが左義長まつりがあることを聞きつけて、それじゃあオレたちもカッパ左義長をやろう!っていってやってるんです」であった。たいへん納得しました)気分が盛り上がり、見たことないぐらい髪の毛が短い桜花ちゃんに萌え、緋波さんの盆踊り指導にOSKの現況を見たような気分になって思わず笑ってしまった。で、次週には世界館ですよ。広島からだと世界館なんて日帰りできるから。

桜まつりは公演じゃなくてファンイベントだから目くらましされてる部分もあろうが、これが公演となると話は別だ。それもあんまり会場マジックのきかない世界館。それも出演者が若手。渋いぐらいのほうが好きな者としては若手には食指が動かない。メンバーでいったら決して惹きつけられる公演じゃなかったしご贔屓がいるわけでもないし、演目も『タイニーバブルス』の再演で、モトになったタイニーが「そんなに好き−!」っていうわけでもなかったので(といっても嫌いなわけでもない)、南座観劇以前なら「見ない一択」だったが、なんかふつうに見に行っちゃったですよ。

いやー歌えないなー(笑)。妃那さんはミュージカルナンバーぽいのはいいけど「正統歌劇〜〜」っていう歌はまだ苦手なんだなー、とまず思いまして(最初の歌の場面が、恋羽・妃那が二人で歌うとこだった)。あとはフィナーレの『Everything’s Coming Up Roses』(ダンシング・フォーリーズって言っていいんだろうか。歌詞は一徳先生のあの歌詞だったが、アレンジはちがってたし)の歌の、上から下までまあひどいこと。歌えるとおぼしきメンバーもいるのに全員枕を並べて討ち死に。でもまあ、あまりのことに面白かったからいいや。しかしこれが続いたらシャレならんとは言いたい。

で、公演内容について、南座の初日に客席で石橋さんと会ったので「タイニイとどれぐらい内容重なるんですか? 8割ぐらい?」って聞いたら「うーん5割ぐらいやなー」と言ってたのでそのつもりで見てたけど、5割なんてとんでもない、ほとんど新しくつくってありました。こういうのって重要なことですよ。つか、石橋さんの、作者としての志の高さを見た。音源はありものの古いやつが並んでるんだけど、何か新しい場面をやろうという気持ちが見える。こうでなくては。で、不思議だなと思うのが、石橋さんて近鉄で育った人なわけだけど、つくる作品に近鉄くささがないんだな。そこが大きな謎である。謎だけど私としてはたいへんいいことなので、何の問題もない。帰りの新幹線でつらつらと考えたけど、石橋さんの作風って、「明るいファンタジー」で、そのファンタジーには幻想とか耽美はなくて「ふしぎで楽しくてきれい」なものだ。作者って人には誰にでも思い入れが強くて見る者にツライ思いをさせる部分があるけど、石橋さんの場合はそれが「センスがちょっと……」っていう方向じゃなくて「ちょっと長いんじゃ?」という方向に行くのだ。つまり「へんなこと(見ている私にには受け入れられないこと)をやらせる」んじゃなくて「気持ちはわかるが長くやらせすぎる」。今回も、一景が少し長いというかツーマッチな感があった。それでちょっとテンポ悪くなったような気がした。

『バロン』の初演て、石橋さんが演出してて、見終わって「テンポよかったですねー」って申し上げたら「テンポ命の作品やからなー」って言ってて、あの時のことを考えてみると石橋さんて芝居ものやったほうが、内容というかストーリーがはっきりあるだけに一景が長すぎるようなことないんじゃないかなあ。石橋さんの芝居っていうと『クリスマス・キャロル』か、あれなんかいい感じにできてたもんなあ。石橋さんの芝居を世界館とかでやったらいいんではないか。……と思ってるところに『二つの星の物語』を思い出してしまった。あれは……原作が他にいたっていうからノーカウントとしたい。

タイニーと唯一同じ場面、というか再演場面だったのが人魚姫のところで、桜まつりの時に真麻さんに「人魚は恋羽ちゃん?」とお訊ねしたら「そうです」とお答えいただいたので、いろいろ想像をめぐらしていた。きっとすごく可憐で可哀相な人魚姫になるだろうなと思っていた。で、今日それを見たら、想像とは違っていた。
初演は王子様桐生さん、人魚姫平松さんで、今回は王子様真麻、人魚姫恋羽ちゃんというキャスティングで、前回はなんせ桐生さんだし、というようなキャリア問題とは別のところで、今回はミスキャストじゃないかと思った。というのも、前は、人魚姫が、声のない少女となって王子様の前に現れた時、王子様があくまで少女をゆきずりの者として、自分の思いに耽る聞き役にとしてか見ていない、見ている者にもそれがわかってしまう(納得できてしまう)というところがすごく可哀相で人魚の哀しみみたいなのが出ていたわけだけど、今回は、声のない少女がすごくきれいで可愛くて、少女の気持ちがわからない王子様が「見る目もなきゃ感受性もないボンクラ」みたいに見えちゃったし、少女もあんまり可哀相と思えなかった(だいたい少女も自分の不幸を悲しむというよりもなぜ私がダメなのかとボーゼンとしてるように見えてしまった)。これは演出が悪いとか演者がダメな芝居したというんじゃなくて、恋羽ちゃんと平松さんの娘役としてのタイプの違いからきた齟齬とみた。今回の出演者だったら、妃那ちゃんが人魚をやればすごく哀しかっただろう。城月さんでも違うし、舞美ちゃんはもっと違うし。恋羽さんの人魚単体はすごくきれいで可憐でよかったけど、あのストーリーをもっとも活かすキャストじゃなかったと思った。というぐらい、前のあの平松さんの人魚の哀しみみたいなものに私は感動してたってことなんですがが好きだったってことなんですが。そもそもその解釈が違うんだと言われたらすいませんと謝るしかない。

新入団生や舞台実習生で、見ていて「なーんか宝塚の下っ端みたい」と思う男役が何人かいたけど、それを見て「宝塚っぽ!」と腹をたてる気になんかぜんぜんなりませんで、単にまだ男役の型とか身につけきってないだけなんだなーと思わされたし、OSKでやってくうちにOSKの男役になるんだろうと思いました。なんせまだ一年目だし学校生だし。……いやーしかしこう肯定的に舞台が見られるようになろうとは。これもすべて南座の草野先生のおかげかもしれません。それに、その南座も今回も、近鉄くさくなかったのが最大のプラスポイントで、となると九月の三越劇場が試金石だな。ものすごい自分にとってのリトマス試験紙な公演になる。いや、高石、見にいってみようかって気になってきた。


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