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はらら

こないだの17日のイベントの、大貴さんの歌についてでありますが、いくら大ちゃんが歌で勝負ってスターじゃないとしても、でかい舞台でいきなり一人で歌うんだし、ミスをあげつらってやろうっていう連中が虎視眈々と狙ってんだから、ここはびしっと、東雲さんとまではいかんまでも、なんとかしてほしかった、かもしれません、という考え方がある。こういうのを革命的警戒心に欠けるっていうんだと夫に責められる。うん。革命家としては。ただし大ちゃんは革命家じゃないんですけども。

さて今年の『春のおどり』、最初に見た時にはけっこうぼうぜんとしたのです。「な、なんてつまらない……」と。あ、洋舞の話ね。「きゅ、90周年記念作品が、これ?」

音楽がキャッチーじゃない。振付や構成に目新しいものがない。全員踊りまくってんだけど、それだけではないか。それが重要という考え方もあろうが、でも構成のせいなのか振付のせいなのか、踊りまくってる感じもしない。ムダに動いてるだけみたいに見えた。踊ってる本人たちはシンドイだろうが見てるほうはたいして爽快感もないという。あと、出演者が誰もかっこよく見えない。かっこ悪いってんじゃないが、「うわー●●ちゃんかっこいー」と思う場所がない。2回見たところで「極楽鳥の瀬乃明日華」だけだったな、私の見どころは。あの瀬乃ちゃんはたまらんもんがあった。ただ、極楽鳥はいいのにチェリーガールズはつまんなかった。というか、チェリーガールズの場面でよかったのって、『スナイパー/ラバー』だけでは。あれはいろいろとよく考えてあった場面です。その後は、彼女たちで場面つくる気もないんだか、つくる能力がないんだか、ただ出てきて歌って踊るだけ。別に歌わすこたないのでは。歌えるならともかく。

……などと思ってぶーぶー言ってたんだけど。17日のイベントが終わってから見たら、こっちの気分が変わったのか、見方が変わった。

正攻法というかそれだけを力一杯というか、それをつくってる人はそれしかやる気はないしそれしかできない。オーソドックスを目指すとかも言わない。水に突き落とされたら泳ぐ、というような必死さであの作品はできている。能書きがいっさい無い。その点でこの作品に納得がいったし、何よりも現役生というものの美しさがよかった。劇団員は良いではないか。いろいろヘンなとこも、それはそれで楽しめる方向のヘンさだし。

こないだの『エンドレ』合唱って、あれで「旧来のものをすべて切り落とした儀式」とみれば意味はあったかもしれない。なので、旧来のものと今のものがごっちゃになることだけはやめてほしい。それって、長い目じゃなくて短い目で見ても(そんな言葉はないが)劇団にとって得はひとつもないです。

私はずっと、松竹座や南座でやる公演であるからには、何かハッとさせる、目からうろこが落ちる、ドキドキしていてもたってもいられなくなる、ものすごく驚く、というようなものをしてくれと思っている。格調と気品の上に成り立ったドキドキ。それができるのは松竹の力でいろいろな先生が作品づくりに関わってくださるからであり、その意味でほんとうに松竹にはいくらお礼をいっても言い足りないほどです。今回これを見てて思った。松竹座で公演をはじめて「うわ、こんな表現があるのか!」といちいち感動していた時期というのを、もしかしたら過ぎたのかもしれない。目が肥えたのか目が慣れたのかとにかく、よりすごいものを求めているかもしれない。そしたら、時期が後になればなるほど不利といえば不利です。まあ、でも、そういうアドバンテージをわかった上で、それでも「すごい、新しくてかっこいい表現で舞台をつくるOSK」を追い求める(要求する)つもりです。

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