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大トビ(その1)

ショーとかレビューがどのようなものか、というのを昔はいろいろ考えてたもんだが、今ははっきりとしたものがわかった。

「美しく、カッコよくて、ドキドキ、ワクワク、ガクガク、ゾワゾワさせてくれる」

これです。これが宝塚歌劇団のショーにはまるでなかった。OSKを見て「こういうヨロコビ楽しみがあるのか」と知った。
音楽のジャンルは問わない。私は民謡なんか大っきらいだったが、民謡のかっこいいショーがあることも知ったし、ジャズはあんまり好きじゃなかったがゾワゾワくるジャズがあることも知った。みんなOSKに教えていただいた。ロックを扱うのがすごく苦手らしいということも思い知らされた。へんな勘違いのロックをやられるのはツライものがある。なんでああなるかな。私は今、すんごいかっこいい、ロックの場面をあっためてます。金の桜花と黒の高世で。曲は……いつか実現するかもしれないから(しねーよ)伏せておきます。振付は中野栄里子先生にお願いします。

そして、これは前から言い続けていること。
「ハッとさせてほしい」
舞台で、表現でも音楽でも振付でも衣装でも、なんでもいいから、うわ、すごい、こんなんあったんや、と思わせてほしい。これがないショーに何の意味があるんだろうと思う。
申し訳ないがOSKのショーにこれがないものが多い。そういうもんだと思ってるのか、引き出しがないのか、やる気がないのか、わからないがとにかく「また見たアレ」「もうコレか」「でもまだソレ」みたいな場面がブチブチと暗転をはさんで並んでいるだけ。一つ一つの場面がかっこいいとしても、そんなんでは私はいやです。……まあだいたい、こういうショーの場合、場面もありきたりの安心場面になっちゃっていることは多い。長く見ているうちにそういうのがどんどん見えてきてしまう。
「はっとさせて」ほしい。そんなことは、当然の要求だと思います。というか、ものをつくろうという人なら、ダメと言われたってそうしたい、そうしてしまうのではないのか。そうでないショーをつくる人たちがすごく不思議だ。

今回の南座のショーは『グラン・ジュテ 〜今、私たちは跳ぶ〜』という、うつむいてしまうほどだっさいタイトルのショーです。跳ぶが翔ぶじゃなくてよかった。そっちだったらもう顔もあげられない。しかし、タイトルはださいですが、作者の「何かをやろう、私が」という気持ちはびんびんと伝わってくる作品で、そういう志が感じられると「ヨシ!」となります。なります、が……

趣味が合わないんよなー……。

「なんでそうなる?」とかは思わない。気持ちはよくわかる。「ああ、北林先生だ」と微笑ましい気持ちになるところと「げ。勘弁して」となるところと両方取り揃えてある。北林先生のショーというと『Dance for Tomorrow』と『re-BIRTH』、それにもやっぱり「微笑ましいダサさ」と「勘弁してくれのダサさ」が入っていた。合わないんです。

今回のショーだと、『蝶の場面』と『インターネット』は微笑ましいところで、勘弁してほしいのが『ジャポネーゼ』と『キャラバン』です。

蝶の場面の衣装がとんでもない、というのは見る前に聞いていて、どんなすごいのが、と思ったら想像を超えるダサダサの蝶、腕に棒いれて蝶々の翅がひらひらする、ジュディオングみたいな、蝶の役で学芸会で出る時にどんな衣装にしようかっていって小学生が考えるような、そういう衣装なのであった。おまけに色が……。ここでいう蝶は、台詞の中で「アサギマダラ」と言われている。アサギマダラって、黒い翅に浅黄色のポイントが入ってるんだけど、黒に浅黄なんてかっこいいじゃん! そのままやればいいじゃん!……と思うんだけどどういうわけか……浅黄色(というか安い水色)に蛍光黄色、蛍光ピンク、蛍光黄緑の大きなマルが点々とくっついていた……なぜ……。それで、頭にはへんな、こぶとりじいさんの帽子みたいののっけて、そこから触角が突き出ていた。はは……ははははは。これ、出てきた時から笑いが止まらなくて。

しかし、最初に緋波蝶、美砂蝶がそのカッコでヒラヒラやってる時は、身の置き所に困る感じだったのだけど、やがて蝶が増えてばっさばっさと舞い始めたら、あんまり蝶の衣装も気にならなくなってきたというか、まあそこの振付はいつもおなじみ門取ダンスなんですけど(と思ったら広崎うらん先生の振付だった!)、でも上から見てたら、なんというか、一つの世界はできてたというか、衣装のとんでもなさは見ないことにしておけるぐらいの場の空気になっていた。

ので……安心してたんだ。安心した心の隙を衝かれた。盆が回って、戦死した戦士の桜花ちゃんが蝶となってせり上がってくる……んだけど……その衣装が……背中に翅が生えちゃっていた……群蝶たちとぜんぜんちがう……背中の翅の生えっぷりが、これがまたドリフのコントの天使様みたいな……蝶じゃなくて何か別の……デビルマンみたいな……いやそんなかっこいいものじゃなく……安い水色の……頭には近鉄時代のネオジャパネスク風のツノみたいな飾りが……。こらえきれずに吹いてしまったのだが、この衣装の破壊力は場の最後まで支配しきっていて、桜花さんはすごいと思わされた……けどそれは作者の意図とは違うよな……。

この場面は、もっと素直に泣ける場面としてつくれたろうに、どうしてこうなった。力が入りすぎて暴投になったようなもんなのだろうか。アラビアの砂漠に現代男が迷い込んで夢幻の一夜とか、見飽きたようなストーリー場面じゃないのがいいが、しかしこんなことになってしまってはブチ壊しなのでは。出演者は悪くなかったのに。桜花さん、心優しい青年の感じはよく出てたんだから。あ、でも、ちょっと、歌が。OSKって、男役の上三人がいちおう歌える人たちなので(歌のプロの人に言わせると上三人でもなっちゃいないんだそうだが、別に私はあれでじゅーぶんです)、なんだか歌える劇団と思われちゃってるような気がする、んだけど、娘役は壊滅的だ。この蝶の場面も娘役の歌が。いやな汗が背中をつたった。どうか皆さん、声楽というか歌のお稽古はがんばってください。まともに歌える人が1人もいないぐらいですよ娘役。つか、男役だって上三人はいいとしても、その下はもう大変なことに……。誰とはいいません。全員です。とにかくそこはがんばってください! ダンスができない人がダンスができるまで稽古するのと、歌が歌えない人が歌えるまで稽古するのなら、後者のほうがまだ楽な気がするのだけれどちがうのでしょうか。

インターネットの場面というのは、舞台に、モニターを模した四角い枠が出てきて、そこに「OSK100周年に向けてなんとかかんとか」と文字が入っていて、それだけで相当に腰が砕けるものです。その枠も、回りが角マルで、それっていわゆる「昔のテレビのブラウン管?」みたいなことになってるわ、YouTubeとか言うのはいいけど「再生!」ってのはないんじゃないの「再生」は。途中で曲がブレイクするみたいにボボボ、とか止まったり始まったりするんだけど、そりゃCDプレイヤーの故障だよ。YouTubeでそうはならんだろう……。

と、パソコンとかネットを使ったことがちょっとでもあれば「へん」としか思えないようなことが後から後から繰り出されますのです。知らないならやめときゃいいのに。しかしそこで踊りまくってるのが悠浦あやと。この人も、年齢からいってパソコンを見たことがない、わけはないはずなのに、あたかも「マッチ棒を見て首をかしげる原始人」のような有様で「インターネットを体で表現」しています。ここはもう、笑っちゃいけないのに笑いが止まらずで、すみませんでした。この場面、笑いを取ろうとしてるんだと思うけど、ぜんぜん意図したところじゃないところで笑いが止まりませんでした。
(つづきます)

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