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イニシャルAA

(承前)
A群の「構成演出に問題」というのはわかりやすい。
脚本が破綻しているとか設定がデタラメとか。『桜彦2』や『総司恋歌』や『ブルーアンバー』や『レディレインの肖像(今年のやつ)』ですね。
書き込みが「浅い!浅すぎる!(絶叫)」みたいなのも困ったものだ。いわゆる「人様にお見せするようなお話になっていない」というもの。『心斎橋らぷそでぃ』『ドリームアゲイン』『今年の武生の清盛』はそれでしょう。
ただ、破綻やデタラメやカンチガイの作品がすべてダメかというとそうでもない。そんなキズなんぞぶっ飛ばしてしまうような熱気に溢れた作品というのもあるわけで、きのう書いた『遙かなる空の果て』などまさにそれ(きのう書き忘れましたが2005年8月アピオ大阪公演でした。『SUNRISE』ってタイトルでDVDになってるはず。画質が不思議な粗さですが)。OSKにおける『2番もあるんだぜ』ですよ。akihitoさんの最高傑作だろう。これに大ちゃんが出てカッコつけまくったマヌケ台詞を言わされて(おまけに上手くて)……ってもう、たまりません(身もだえ)。それで最後はいちおうホロリとさせるんだから脚本家すげえ手腕かもと思わせましたが今後このパワーが爆発することはありませんでした。ただ、小粒になっていっただけでした。
『ADDIO』は私はA群と見ているが、上記の作品ほどの大破綻はない。書き込みの浅さもほどほど。なら上記作品よりマシかというとそうはならない、というかこの「全方向に向かってマイナス40点」みたいなところがドラマをヘナヘナにしてしまった。初回見終わった時は「ぽかーん( ゚д゚)」でしたもん。登場人物、どいつもこいつもアホですか。アホでもいいがアホならではの哀しみもないしなー。『女帝を愛した男』(これは脚本が単にヘタだったと思う)ではポチョムキンの頭の悪さが哀しみに直結してたからまだマシだった。そこをトリガーに感動できる。女帝は初見でひでえなあこりゃと思ったけどまだ見どころはあったんだ。それが、アッディーオになって、ドラマが平板なところはきちんと継承して、登場人物の魅力だけ薄まるってどういうことだ。上演時間が短くなったのぐらいか、よくなったことは。
打率0割4厘だが逆転スリーランを打てるバッターが『遙かなる〜』。打率2割3分でチャンスに凡退する『アッディーオ』。

と、書いてきてわかるように、Aの欠点が露見しやすいのは「芝居」だ。
矛盾とか間延びとかがすぐ「おかしなこと」として認知できる。
それにくらべると、ショー作品がAなのかそうでないのかを判別するのは案外難しいのかもしれない。
そもそも、歌劇のショーってもんが、なんだか意味がよくわからないものだ。
(何回も書いてるけど)宝塚を見てた時代、ショーはほんとに退屈であった。スジもないからどこに力を入れたらいいのかわからんし、宝塚のショーで使われる音楽に興味はないし(今思えば悪くない曲もあったけど。でも何せ当時は割礼とか花電車のファンでしたので。いい曲があっても歌謡曲アレンジというか、あの生演奏はNHKのど自慢の伴奏に通じるものがある)、ダンスは見ててもつまんないし。
そんな私をショーに目覚めさせてくれたのがOSK日本歌劇団であったのです。2003年3月、あやめ池春季公演。解散直前のラストあやめ池公演ですな。そこで『ザ・フェニックス』という、目も眩むばかりの駄作が上演されまして(でも楽しくつっこみながら私はほぼ毎日通いましたけどもね。40回見たというフレコミだったが今考えると30回ぐらいかもしれなかった。でも30回でもたいへんなことだ)、子供だましといったら子供が怒るようなSFミュージカルが約45分、そこにあと15分、ショーがつく。この15分のショーで、ショーってかっこいいんだ、ということを知りました。知ったどころか、見ていて体がガクガクしましたからね、あまりのかっこよさに。
正確にいうとそこで知ったのは「ショーを見る快感」ではなく「ダンスを見る快感」だった。その後にふたたびガクガクしたショーというと、2003年10月、NewOSK日本歌劇団武生公演『愛……そして美しき旅立ち』(ひでえタイトル)。そして2004年秋のおどり『愛抱きしめてジャンピング』(これもひでえな)と続く。
で、その『フェニックスのショー』と『2003武生』と、『2004秋のおどり』には大きな違いがある。
『フェニックス』&『2003武生』は場面にガクガクしていた。『2004秋のおどり』はショーそのものにガクガクした。

最初はカッコイイ振付だけにしか目がいかなかった。→カッコイイ振付がきっかけになってショーを身を入れて見るようになる。→それほど(自分には)イケてない場面もついでに見る→場面と場面のつながりを見るようになる。すると、見えてくるんですね、ショーの全体像が。作者の考えが。目の良さは必要ない。数見てると自然とわかる。
その時に見える「作者の考え」は、私にとってはたいへん重要だ。それは、このショーのテーマはコレでとかこの曲を中心にして、ということもそうだし、この陣容で何をどう表現したいのか、ということもそうだ。そして、時に「何も考えてない」というショーもある。悲しいことに、OSKの場合「何も考えてないショー」はかなりの頻度で登場する。「作者がいないので、作者の考えがないショー」もあるし「作者はいるけど作者に考えがない」のもある。前者も哀しいが後者はもっと哀しい。
…………Aのダメ作品について足元がグラついた体験について書こうと思ったのにそこまで行きつきません。すみません。また長くなったので続きは明日。

コメント:1

くの子 12-12-19 (水) 22:30

今回も興味深く読ませていいただきました。
私事ですがA群の「脚本は破綻してる設定がデタラメ」ショーの「作者の考え」っていうのは宝塚を長く観ていると免疫がつくのか(^0^;)「そんなん大したことない」と寛大なところあるかもしれません(笑)。
「そんなキズなんぞぶっ飛ばしてしまうような熱気の溢れる作品」の方がポイントで自分は少女歌劇を観ているんだと今回のるえかさんの文章で再確認させられたように思います。つづきも楽しみにしています!(^^)

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