ミダスの手

桜花昇ぼるはモノが違う、とはつねづね言っていたが、退団公演になる大阪松竹座『春のおどり』を見ていたらさらにワケがわからなくなった。サヨナラショーを見てもっと混乱した。歌劇の人の退団公演千秋楽サヨナラショーみたいなものは私は大貴さんのしか知らないけど、大貴さんのもすごかったが、桜花ちゃんのもすごかった。あっち(大)のすごさとこっち(桜)のすごさは明らかに種類がちがっていた。そして、こっちのほうが確実にスケールが大きく、そして混乱させられた。

OSKが近鉄の傘下を離れてNewOSK日本歌劇団になってから、私の生活はすごくOSKと密着していたので、桜花ちゃんのこともすごくよく見た。私は大貴さんのファンであったが、桜花ちゃんのことも大好きだった。NewOSKが始まった頃って、ファンはみんなそうだったんじゃないか。今は“桜花高世の並びは劇団の至宝”とか“桜花高世桐生鉄壁のトライアングル”とか、そういうことになっているが、NewOSKができた時って、「大貴桜花が並んでいるだけで、きっとOSKは大丈夫だ」と思ったものなのです。美しさと明るさと希望にあふれていた。

大ちゃんが退団した後は、桜花ちゃんを見るしかなかった。見ながらいつも、桜花ちゃんは幸せになるはずの人なのに、と拳を握りしめるような思いだった。どう考えたって、大貴さんは自分で光をつかみ取る人であり、桜花ちゃんはそこに立っているだけで光が天からふりそそぐ人だ。何もしなくても桜花昇ぼるは光に包まれる。でも桜花ちゃんはいつでも、ふりそそいでいるはずの光の中で「もっと光を!」と叫んでいた。桜花ちゃんは、あたりが真っ白になってしまうぐらいの光の輪の中にいるべきなのだ。あれでは、ぜんぜん足りない。他の人には足りても桜花昇ぼるには圧倒的に足りない。

(桜花ちゃんは、ひとりでもがきながらギラギラ光って、その光でOSKを照らしていた)

新橋演舞場『夏のおどり』千穐楽まであと一ヶ月。

輝く闇