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Anyway the wind blows…

東京會舘のディナーショーを見てきた。

しかし自分がこんなにディナーショーを見る人生になるとは……。「一生ディナーショーなんか見る予定はない」「日本のどこにディナーショー見るやつがいるのかと思ってた」と人に言われる。自分だって十年前ならそう言ってたと思います。私はディナーショーに行く世界には住まないし住みたくないと思っていたはずなのに。といっても見るのはOSKがらみのものだけですが、歌劇のディナーショーか……男役か……歌謡曲や演歌のディナーショーより何か濃い泥沼のような気が。

本題に入るのが難しくていらぬ前フリをつけてしまった。
今回のディナーショーは作品としてあまり好きではない。好きではない理由にもいろいろあって、使われてる音楽が好みじゃないとか衣装が好きになれんとか構成がたいくつとか出ている出演者に燃えられないとか、ある。今回好きじゃなかった理由はそういうものではない。なら何がイヤだったのか。和倉くさい。これに尽きる。

では和倉くささとはどういうものか。ここでいう和倉ってのは、OSKが解散前、和倉温泉の、日本一と言われる旅館『加賀屋』シアタークラブ花吹雪でやっていたショー(今はOSKのOGを中心にしてやっている)のことで、「和倉っぽさ」と私が言うのは「派手さと水っぽさと安さ」である。「金がありゃいいってもんじゃない」という世界。客筋も悪かった。なんせ酒飲ませるクラブだから。いや、酒飲んだって品のある場所はいっぱいあるけど、箱に合わせて中身も集まるというか、あれはやはり成金の無礼講の世界であろう。舞台の上での技量は確たるものがあり、手抜きはないし一生懸命やっている。そのへんで貶めるようなことはない。ただ、箱と客に合わせた内容だったなと思う。それが私は嫌いだった。

その感じ満載だったんだよなこのディナーショー……。とくにオープニングから半分までの日舞ショーが。鬘が本鬘じゃないのは別にいいし、素頭に着流しは大好きなものの一つだし、衣装は松竹座で着てるようなのだから悪いモノではない。しかし何がどうやっても出てくるものってのがある。音楽のせいなのか構成のせいなのか、構成は原因のひとつかもなあ。途中の着替えタイムのつなぎコーナーで柑奈と妃那が『東京ブギウギ』歌いながら会場回る趣向があって、「げっ……和倉だ」とつぶやいてしまった。そこまでは「うー……でもしかし……」というウメキだったけどそこでダメ押しの単語が出たというか。一緒に見てた人が「武生みたいやなーこのショー」と言ってて、それは「25000円の東京會舘のディナーショーなのに武生でいいのか」っていう意味だったと思うんですが、私としては「武生ならいい」んですよ。武生ならけっこう。だけど、和倉はイヤなんですわ。武生だって客席はたいがいなことが多いけどさ、和倉のソレとは違うわけよ。和倉のほうが成金の無礼講なら、武生は貧乏人の礼儀知らず……と書くとなんか両方とんでもないなあ。世間的にこれ武生のほうが聞こえ悪いか。私は断然、貧乏人の礼儀知らずのほうがマシなんだけど。

和倉っぽさと同様に私が「これは……」と思うのは「近鉄くささ」というやつで、OSKはもともと近鉄じゃんと言われればその通りなんだけど、私は近鉄のOSKが解散してくれて本当によかったと思っている。近鉄じゃなくなったから。歴史というのは連綿とづついているものであって、私がOSKにハマったのは近鉄の時代であったし、その時代がなかったら「近鉄じゃなくなったOSK」もなかったし否定はできない(できるわけがない)。が、好きじゃないものはしょうがない。私が解散後のOSKを、何があっても支持したいと思わされたのは、この近鉄くささを脱しようとしている、ように見えたからです。といって、宝塚方面に進路を変えたわけじゃない。宝塚くさいというなら近鉄の終末期の作品なんかのほうがよっぽどそれっぽくて、そのニセモノ感がまた近鉄っぽいというか、イヤでしょうがなかった。

今のOSKに、たまに近鉄回帰というか、そういうものを感じる時がある。それは単純に「当時の音源」とか「当時の衣装」とか「当時の振り付け」とか、似たものがあるからそう感じるのかもしれない。でもニューの時だって(と書いて今気づいたけど、「ニューの」って言い方はOSKファン言葉で他では通用せんよなー。しかしニューなんて言葉を使わなくなってこんな文章そのものがOSKファン以外にどれだけ希求力があるんだか。まあ、ない)当時の音源当時の衣装当時の振り付けは連発してたわけで、こうなると単に「お前がニューとそれ以降を勝手に区別してるだけだろうと言われそうだ。「ちーがーうー!」違う。ぜったい違う。しかしはっきりと「この点が違う」と指摘できなかったら違うことにならない。で、今の私にはそれができんのです。荷宮和子のブログを読んで、あのゆえなき自信の素をわけてもらいたいと思う。それはともかく、私にとって「近鉄じゃなくなり、和倉を捨てた、私の考える理想のOSK」は「松竹座における、山村若演出の日本物ショー」で、こういうのは近鉄にはなかったし、現在の宝塚にもない。新しい歌劇のスタイルだと思う。これを獲得できたということが、NewOSK日本歌劇団の最大の功績だろう(ちなみに、小さいことだけど「日舞ショー」でも「和物ショー」でもなくて「日本物ショー」です。「日舞ショー」や「和モノショー」という言い方には和倉くささと近鉄っぽさがある。って、そんなの私が言ってるだけで、ビミョーすぎるけど)。今年の春のおどりがひさしぶりに若先生演出の日舞なのでたいへんに楽しみだ。この、ひさしぶり、というところに私の大きな不満があって、「昔に針を戻す気かよ」と不安に陥っていたのだった。考えすぎかもしれない。でも若先生が演出して、今のOSKがどういうふうに演じて、どんな舞台になるのか、ものすごく興味がある。

個々の場面については、「桜花昇ぼると朝香櫻子による深川マンボ」がとにかくすごいことになっていた。『歓喜』で吉津さんと森野木乃香がやってた深川マンボがただちに脳裏に浮かび、頭の中のそれと現実に繰り広げられるそれを見比べながら、感慨が深まりそうになり、そして体はゆるやかな衝撃にのけぞるのであった。それからリベルタンゴの悠浦。忘れられん。あと、私は「歌劇にスパニッシュとラテンはいらねえ。どっちか残すならラテン」なのですが、この公演どっちもあって、だんぜんスパニッシュがよかった。これは桜花ちゃんが何しろきれいに見えた。それってとても重要なことです。

それから、全体を見てて、桜花トップというより桜花高世両輪体制ぽいつくりだった。これはあんまりいいと思えなくて、というのは、高世が伸してきて両輪になったっていうんならいいが、そういうんでもなくて、なんかお互い譲り合ってるみたいだったからだ。そんなものは見たくない。こんなふうに感じたのは初めてのことだったので、私の見間違いであってくれ。あと娘役も櫻子ちゃんとことりちゃんをどう使うのか、よくわかんないことになっていた。別にどっちをトップ娘役と決めろとは思いませんしそんなもんが必要ないのがOSKですが、双方が互いに真似のできない輝きを放つようにしてもらいたいものです。あとなー、こないだのweb番組で武生の舞台練習で着付けがボロボロで怒られまくってた場面あったけど、今回もひどいのがあった。武生は総踊りの後列だったからまだいいとして(よくはない)、今回のはソロでスポット浴びる人でマズイよ〜。早替りの場面とはいえあれはない。

大貴さんが来てた。いや、だから行ったわけだけど。私のいた席からは遠く離れたテーブルだったんで反応なんかはよく見えなかった。というか、舞台を見るべきで客席なんか見るもんではない。アンコールが『虹色の彼方へ』だった。この時に客席降りをする。他にも客席降りはなんべんもあったがステージングの一環で自由に動く感じじゃない。『虹色〜』の時ははじけたように自由に動きまわっていた。桜花ちゃんが客席の間を歩きまわりながら、大貴さんの座っているテーブルに近づきそうになっては離れ、また近づき、そして大貴さんを後ろから抱きしめていた。なんだかその仕草がとてもぎこちなくて、桜花ちゃんは正直だなあと思った。私は桜花ちゃんのそういうところが好きだ。OSKもまた新しい劇団になっていくのだ。

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