阿難陀

何日か前に書いた、『バーンザパッション』についての感想で、音源の使い回しはいいとして、使い回すために出してくる音源が「過去の自分の作品の音源」がすげえ多い、というのが私には到底ついていけない感覚だ、という話。この「自分音源また使い」問題を発見した時は何かの解決をみたような気がしてこれを世に問いたいとか思った…んだけど、そんなことはもう何十年も前から言われてたんだそうです(それを良しとするかそうでないかは別として)。なんだ、私の発見じゃなかったのか。つか、見りゃわかるって話ですね。

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