希望と実際

本屋に『宝塚グラフ』(2012年3月号)があったので立ち読み。なんで立ち読みしようとしたのかよくわからない。たまに見たくなるんです。見て、「ああ、いいなあ」とうらやましくなるのと、「あ、気持ちはわかる」と共感するのと、「なんでこんなことに。これならこっちのほうが」と思うのと、「ああ、そちらも、こちらも……」とナサケナイ気持ちになるのと、毎回混ざった感想がわく。で、今月のは、スターのコスプレみたいなページがあって、『Imagination ~とある孤島に暮らす人々~ 大空祐飛』というよくわからないタイトルの、和服着た大空祐飛が作家であるらしい写真が数ページにわたって、あった。これなんか「気持ちはわかる」の最たるページであって、しばらく見とれてから、『宝塚グラフ』を平台に戻し、エレベーターを降りながら大ちゃんの写真集のことを思いだしていた。飛田の『百番』で撮影することになった時に、座敷に布団を敷き、着流しの半身で盃を傾ける、枕元には水差しとティッシュ……ってティッシュまではいらないか、とにかくそんな写真があるといいなあ、と思ったのでしたがそれは実現しなかった。この大空祐飛の写真には、何かその欠片みたいなものを感じて、見入ってしまったのでしょう。

WIREの誰かがいったっていう「ロックじゃなければなんでもいい」というのの、本義をよくわかってないんだけど、気持ちはわかるような気がする。「歌劇じゃなればなんでもいい」とよく思う。桜花昇ぼるにも高世麻央にも桐生麻耶にもそれは思わないんだけど、大ちゃんにはそれを思っていた。

No.100

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