4月17日の少し長い感想

『OSK日本歌劇団創立90周感謝の夕べ〜夢の絆〜』(於大阪松竹座、4月17日)を見ていろいろと疲れ果ててしまった。思うことありすぎるイベントであった。

式次第は、現役劇団員が『虹色の彼方へ』を歌い、舞台上に映し出されるOSK栄光の90年の歴史をたどる映像、今回の『春のおどり』の洋舞のラインダンス、歴代トップ座談会、そして続きます歴代トップスターによる歌のコーナー、そして旧OSKラストステージ『エンドレスドリーム』出演者(現役OG入り混じり)によるふたたびの『エンドレ』熱唱、最後に現役生、学校生、OGすべてによる『桜咲く国』。

このプログラムを見ての最初の心配は「大貴さんはどんなカッコで登場するのか(時々とんでもないカッコで現れることがあるので)」「大貴さんはちゃんと歌えるのか(時々…というかよくぶちかますことがあったので)」で、ファンとしてどうなんだそれ、と思いますが大貴ファンならわかっていただけるでしょうこの心配。この前日、舞監のKさん(あ、3人全員Kさんか)に「だいじょうぶか心配してんですよ〜〜〜」と訴えてたら「そんなん大貴さんなんか、音はずしてナンボやん」と悠然と言われて「ホンマその通りや!」と心底同意いたしましたが、そう思ってくれない人もいるだろうしなー、と当日になってふたたび不安に突き落とされていたわけですよ。

ちゃんと歌いました!
……って言うのも失礼な話ですが。
衣装は、あれはどういうんだろう、黒い半分透ける柔らかい生地の、キャミソールと七分丈のパンツとミニワンピースを重ねたようなドレスに、シルバーと黒のストール。このストールはアレキサンダー・マックイーンで、ってことはドレスもそうなんでしょうか。すげえなあ、ビョークみたい。銅色がかったストッキングに、ボンデージふうの(ちがうのかもしれない)黒のハイヒール。髪は短くてストレートパーマがかかってるけどふわっとしてた。ボブという感じではなくて、モト男役の雰囲気はどこにもない。かといって女の人〜〜でもなく、少年ぽいような女の子のような、すごくちっちゃくて華奢に見えました。あのトシの人が少年呼ばわりってのもすごい話ですが(こういうので大貴ファンはイタイとか言われるんだよ……)、その姿で『橋よ橋』を歌ったわけです。

ちゃんと歌えました!
先に歴代トップスター座談会に出て、話を聞いたりしゃべったりしながら、会場の雰囲気もつかんで落ち着いたんではないでしょうか。しかし見てるほうは、もう心臓バクバク、登場で階段上から降りてくるのを「あ、あ、あんな高い靴で、もし転げ落ちたりしたら」と肝を冷やし、イントロ流れて「こ、こ、声がひゅるり〜〜ひゅるりらら〜〜となったら」と脂汗を流し、固唾をのみましたよ。でも歌いはじめて数秒たって「これは……イケてるか!?」となり、ワンコーラス目がおわったところで、心の中でガッツポーズ!したもん。今日はイケてるぞ! 大貴ファン全員、そこでガッツポーズしてたそうです。心はひとつ。
いや、その、最後のとこでガッツポーズの握りしめたコブシにちょっと汗を握る箇所もあったことはあったが……木川田先生とその話してたら「♪あなたに〜♪のとこ?」とバッチリ当てられた。というかそこしかないですね。「だって大ちゃん、2007年の本番の時もアソコでやっちゃってたじゃない」とは、おっしゃる通りでございます。でもいい。ほぼイケてた。ちゃんと歌いました!

で、大貴さんのあとに、洋さん東雲さん嵯峨さんと歌っていくわけですが、驚いたのが東雲さんです。退団してからはずっとお勤めで舞台に立つことは(たぶんほとんど)なかった……ということはもう二十年ぐらいこんなでかい舞台で歌ったりなんかしてらっしゃらないと思われる。それが、歌い始めたらまあ、あの広い格調高い、しかも初めて立った会場を徐々にまきこんで最後どわーっと歌いきって、もう満場からは自然と大拍手が巻き起こったですよ。なんなんだこれは。そして次に出てきた嵯峨さん。おいくつなんだろう。見た目はまったく年齢不詳で、ど金髪の短髪で目力はすごいし、こんな人が道歩いてたらおまわりさんがやってくるんじゃないかというほどの存在感。嵯峨さんもたぶん東雲さんと同じぐらい舞台になんか立っていなかったと思うのに、歌いはじめたら越路吹雪ばりの歌唱、最後は満場にわき上がる拍手を受けながら完爾と微笑んで超ゆっくりと三方礼。すごいばかりのスターっぷり。これにものけぞらされた。歴代トップが歌っている時、現役時代のブロマイドや舞台写真が舞台のサイドに映し出されるのだけれど、東雲さんも嵯峨さんも、現役時代のその写真が、驚くほどきれいでかっこいい。今この人が現役でこの男役やってたらファンになりそう、と思うほど魅力的。

それを見ながら、すごいなあ、と思いながら、私は別のことを考えていました。

「この人が現役時代、どれほどすごかったんだろうという嵯峨さんや東雲さんが、じっさい現役でやっていた頃、あやめ池はがらがらだった」

なんなのそれは。
嵯峨さんの時は知らないが、東雲さんの時は何回かあやめに見にいった。近鉄劇場も見た。あやめ池は本当にがらっがらで、かわいそうになるような劇場と客層で、いや、私はその時、うわーこんなところにこんな劇場が、と喜んでたぐらいで施設がしょぼいから衣装がしょぼいからイヤなんてことは思わなかったけれど、でも「また見にいこう」という気にはならずそれっきりで終わってしまった。

嵯峨さんや東雲さんがすごくても、客はいない。嵯峨さんや東雲さんがすごくてもまわりがひどかったのか? 作品がダメだったのか。宣伝がダメだったのか。劇場がダメだったのか。会社がダメだったのか。しかし東雲さん、さんざん言われてたよなあ、長いことトップやりすぎとかなんとか。東雲時代の10年が近鉄OSKを衰退させた、としたり顔に言う人には何人も会った。物事に、100パーセントの責任がどこかにあるなんて簡単な話はないから、東雲さんの責任だとかいう人もずいぶん簡単な頭の人だなと思う。見る角度で見解なんかいくらでも変わる。東雲さんが悪いと言い出したら、それなら秋月さんがいけなかったとだって言えるだろう。むろん嵯峨さんだって。東雲さんより後の人たちだって。

はっきりしてるのは、近鉄のOSKに、客がいなかったということだけです。今、目の前で、OGとしてものすごい存在感で歌っている東雲さんや嵯峨さんを見て、OSKすごい、とみんなくちぐちに言っていたけれど、私は「今ここでそんなことに何の意味があるのだ」と思ってしまっていた。それは筋の違う話なんだけど、そう思ってしまった。不条理というものを感じていた。

洋さん東雲さん嵯峨さんの歌を聞いていて、その技術およびパワーみたいのを目の前で見てしみじみ思ったことがある。こういう技術を素晴らしいとする見方でいけば、そりゃあ大貴さんは「トップの器じゃない」って言われるよな。

もうねえ、さんざん言われましたもの。『橋よ橋』を聞いて、その思いを新たにされた方もいらっしゃったのではないでしょうか。大貴さんは芝居がうまい人だったけど歌とダンスは“時によってはいい”というのが精一杯で……っていいのかファンがこんなん書いて。ま、正攻法で三拍子揃ったスターとは、とうていいえない。

いわば「乱世に乗じて城を取った」人です。

しかしその乱世に城を取ってくれなかったらその城は取り壊されて更地になって駐車場にでもなってたわけだろう。あんなトップの器でもないやつがトップやってOSKをめちゃくちゃにした、という人には「それならあの時にトップの器にふさわしい人を旗印にかかげて城を取ればよかったですね」と思います。そりゃ守りも薄くて屋根も落ちそうな、あんな城を取るのは簡単だったことでしょうね。でも、あんな城はほしくなかったから黙って立ち去ったわけでしょう。お城の美しかった思い出を胸に抱いていたいから更地になったほうがよかった、という人もいるでしょう。

大貴さんは、ぼろくなって根太が腐って傾いたような古い城をなんとか建て直そうとした。ま、桧と桐とかでつくってたお城に、新建材も導入せにゃやってられんでしょうね。窓もアルミサッシに入れたりしてね。そういうことすると重文の指定がはずれたりするんですよね。でもしょうがないじゃないですか。「飾り」や「記念館」や「思い出」じゃなくて、生身の人間がその中で息づいている、そういう城であり続けさせたかったんだから。それで、なんとか、お城はまだ、更地にならずにそこにあります。これが「もう昔のお城とは違う」というなら、近寄らなくてけっこうです。昔のきれいな思い出を大事にしたい、というなら90周年だって、「無い」ですよね。こんなイベントに来るのなんかイヤじゃないのか。

このイベントで、近鉄劇場最終公演『エンドレスドリーム』の出演メンバー(で、出席できる人)たちが、壇上で『エンドレス・ドリーム』を歌った。はっきりいって、その意味が私にはわからない。近劇の大楽、最後にこの歌を歌いながら、舞台でも客席も泣いてる時、私はけっこうしらーっとした気持ちでした(配られたサイリウムは振りましたよ。それがテレビ中継に映ってた……)。だってカンペキに「ここで終わる」っていう歌詞だもん。なんか、いちおう、今後(存続)に含みを持たせたみたいに読めないこともないけどさ、「ここで終わる=でもずっと続く=永遠に終わる」って、その効果のほうが大きい言葉の選び方でっせあの歌詞は。これから存続の会がはじまろうっていうのに、感じわりいなこの歌、と思っていやーな気分にさせられた歌である。それに実際、「最終公演で歌った歌」だから「終わりの歌」でしょう。NHKの中継でも「OSK、83年の歴史に幕です」って葛西アナウンサーがナレーション入れてたし。

その歌をまた松竹座の舞台で歌うってどういうことか。これで松竹座での公演も終わりってことですか? そんなつもりはないことはわかった上でイヤミのひとつも言いたくなる。あれだけの人数で、目の前でうわーっと歌われる松竹座のエンドレを聞いてたら、気持ちが悪くなった。乗り物酔いみたいに不愉快だった。でも、まあ、OGの同窓会につき合わされたと思ったら、それぐらいは我慢しないといけないか。あんな歌を歌わないでも『桜咲く国』だけでよかったと私は強く思いました。

66年ぶりに松竹座公演が行われるキッカケとなったのは、大貴さんが乱世に乗じて城を取ったからでありまして、つまりその存続運動ってのはOSKの90周年におおきな意味が、というよりそれがなかったら今がない、という重大事項なのですが、トップ座談会とかでもほとんど触れられませんでした。触れてもいいじゃんと思いつつ、触れなくても別にいい、と思います。ただ、牧香織さんが、ごあいさつをなさった中で、「OSKが解散すると聞いて、どうにかしたいと思ったけれど何もできずにいたら、後輩たちが存続運動に立ち上がってくれて、がんばってくれて、皆さんのお力もあってこうして存続することができた」とおっしゃった。その時、それを聞いている大貴さんが、黙って、ただニコッとしながら聞いていた顔が、何よりもいちばん素敵でした。カックイー。

乱世の城主

しかし……。
このイベントについて、OGさんたちがブログとかでいっぱい書いてるんだけど、大貴さんのことに触れてる人がほっとんどいない。別にしゃべったりしてなかったら触れることもないのはわかるし、そういう人のは不自然なことないけど、式次第紹介しながら大貴さんのことだけ書かないとか、同期なのに断じて名前を出さないとか、なんといいますか、わかりやすいっていうか、そんなにキライかと(笑)。ここまでくると笑えますわ。

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