B問題補足その2

B問題について縷々述べ立てていたらご質問をいただいた。「A、B、Cの問題点について優先順位というものがあると思うが、そのへんはどうなのか」と。

AかBかに問題があった場合、どっちがマシなのか、って話ですね。そりゃBのほうがマシでしょう。設計に問題のあるビル(姉歯マンションみたいな)と内装外装の趣味の悪いビル、だったらそりゃ後者のほうがマシだ。前者はことによっちゃ関係者が逮捕されるが後者はせいぜい民事裁判。

前にも書いた通り、私がBとする北林吉峯作品て、妙な安定感はある。大衆演劇観にいくと、最初に入れ替わり立ち替わりの歌謡ショーが30分ほどあり、次に股旅モノか母子モノの芝居が90分ほどあり、次にまた歌謡ショーが60分ぐらいあって終わる。そりゃもう盤石の安定感で、ここには根強いファンがついている。それを良しとする人は確実にいるわけです。いくら私が、

「歌謡ショーの選曲はどうにかならぬものか」
「選曲もどうかと思うけどそれをいちいちフルコーラス歌い切るなよ」
「歌い切ったら暗転で次のフルコーラスって構成はどうよ」
「曲もフルコーラスも構成もガマンしたとして振付はなんだありゃ」
「いくら踊れないからって和服をヒカリモノ洋モノで飾ってゴマかすのやめろ」
「芝居の時はそういう扮装ないからいいけどしかしそれにしてもこう毎度毎度股旅モノばっかで飽きないのか私は飽き飽きだ」

……等等と文句を言ったって、「1500円で3時間たっぷり、おまけに毎日演目変わって写真も撮れるし、役者はキレイだし終わったら送り出しでツーショット撮ったりお話ししたりできるしー」という大衆演劇ファンには届かない。
(話は違うけど、OSKに熱心に通ってた人が、大衆演劇に去った、というのもなんだかなあな話なんだけど、そういう人が何人もいるので、所詮そんなもんだったってことか。この中で私が「いいなあ」と思うのは撮影オッケーなとこですかね)

A問題については、はっきり白黒つくわけですよ。『アッディーオ』は構造としてダメな芝居で、あれをいいという人は明らかに「間違っている」。間違ったことに感動するということは世の中往々にしてあることだけどそれに気づかずにあれを「素晴らしい」と言うことはやめたほうがいいよ、と言う。武生の洋舞の中にあった「アーロン男爵」「丁稚」はダメで「居酒屋」はいいというのもはっきりわかる。なーんにも考えてない『ダンスオブジョイ』の、構成という概念がないんじゃないかと疑うほどのあの流れのどうしようもなさは作品と呼べるものではない。そこに趣味の問題は入る余地はない。

B問題は、明らかに「意見の対立」が起こる。私がB群に入れる作品、『JUJU』とか『桜NIPPON』とか、南座の洋舞『グラン・ジュテ』とか『DREAMS COME TRUE』とか、A問題の俎上に載らないですもの。ここが思想と志向の問題だ、というところなのだ。「ちゃんとしてるからって、それでいいのか?」と私は問いたいわけです、B群について。「いいにきまってんだろ!」という人もぜったいいるはずで、そこのところで対立が起きる。

(オセイリュウの、今やってる真麻トップの『フェスティバル』。これを観て「イマイチ。客席参加コーナーもないし」と言った人がいて、私はそいつの肩をゆさぶって「目を覚ませ!」と言いたいんだが、その人にとっては私のほうが目を覚ますべき痴れ者であろう。だからこういうことでは「人それぞれですし」といって言い争いを打ち切るのが大人の対応なのだろう。私はそういう大人ではないので打ち切らない。……ただし気は弱いんで文で書いてるだけだが。ジカにしゃべってると言いたいことがうまく言えなくて絶句しちゃって。アカンですね)

大貴誠が、近鉄OSKの解散を期に、OSKにまとわりつくところの伝統の香り=B群を切り離そうとした、というのが私の見解であるが、最初から大貴さんがはっきりとそれと意識してそうしていたかどうかはわからない。成り行きという面もあったと思う。でも、結果としてはまさにそうなった。

そうなったことで離れたファンもいたようだ。大貴誠が先頭に立ってやってた存続活動だったから私は加わらない、私は力は貸さない、という人(いたみたいですねーそういう人がたくさん)の他に、2004年に復活した『春のおどり』から、何かこれはちがう、と感じて足を運ばなくなったOSKファンというのはいたようだ。私などは「これだ!」と思ってのめりこんでいったわけだから、まさにここが分かれ道だったと思う。

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