指原莉乃座長公演@明治座 その2・骨格の話

明治座の狸

「明治座でいかにアイドルのショーを成功させてくれるか、まず絵面から」ということをこれほど気にしてる人ってのはあんまりいなかったのかもしれない。とにかくHKTならば「明治座をはじめとする歌舞伎興行用の劇場を洋風に使うにあたっての正解」を見せてくれると期待していた、そして期待通りにいかなかった。そんな私は少数派かもしれません。HKTのファンの人とすれば、明治座という舞台が今まで乗ってた劇場やホールやスタジアムとあまりにも違って、「劇場の力」が(歴史とか風格とか、良きにつけ悪しきにつけ)強いので、そこにいるだけで「すごい」と思うのかも。思えば私も最初はそうだった……松竹座の『春のおどり』とか、感動しちゃったもんなー(遠い目)。HKTや他のグループが明治座や松竹座で公演をするようになった時、あの「劇場の、子泣きじじいのようにからみついてくるパワー」を、いかにふりほどくのかうまくあしらうのか、逆にそれを味方にしてパワーの上乗せをするのか。それを見るためにも、明治座公演は続けてほしいものである。

私がもっぱらそのことばかりに気を取られていたのは、
「芝居も、ショーも、骨組み=作・演出は大丈夫だろう」
と勝手に安心していたからです(ほんとは装置や照明も演出のうちですけど)。
そして、初日あいてから、お芝居『博多の阿国の狸御殿』の評判がえらい良いのである。笑って泣ける芝居らしい。HKTすげー!とか、出演者もがんばってるとか、とにかく評判がいい。ダメといえば朝長美桜が「えーん」と泣く芝居のところがあまりにも棒泣きなんで笑いが出る、っていうとこぐらい。
たまーに、あんなの芝居になってねー、とか寝た、とか、そういう感想もあったりしたけど、ほとんどは絶賛感動の嵐。こう来ると「……ホントなのか」と疑り深くなる私。

で、やっと生で見た『博多の阿国の狸御殿』。一部の途中までは「言われてるほどではない……」というのが正直なところ。ふと気の遠くなる時もあったし(´`;) 。なんで気が遠くなったのか思い出してみると、前半は展開がわりかし平坦だったからかなあ。あと、芝居のセリフっていうものになっていないメンバーがいっぱいいて、セリフで緩急がつくとかセリフで場を動かす、というのがうまくいってないように見えた。ポーズつけて見得を切る、というのもポイントポイントで出てくるのに、そのポーズと見得が……。極端なこといえば「そこさえキメればいい」んだから。他んとこでセリフ忘れようが噛もうがそこが決まれば拍手喝采という場面。そこのお稽古をもうちょっとやってほしかったな。

これは「アイドルは技術が低いのでダメ」っていう話ではなくて、私は、技術の高さということに関しては割りとどうでもよくて、それよりも技術の低さも楽しむべきだし楽しめる、という自信がある。見得のところには「ヘタの良さ」があんまりなかったのよねー。

(逆に言えば、HKTのメンバーは、ものすごくマジメに正攻法にこの芝居に取り組んだ=取り組まされた、ってことかもしれない。キメるとこだけキメたらいいから、っていう、ある意味効率のいい、ある意味不マジメなやり方ではなく、台本を1ページ目からきちんとこなしていく、というような芝居の仕方。はじめての、ちゃんとした劇場でのお芝居というのがどういうものかを、メンバーに知ってもらう、という意思が制作側にあったのかも)

…………が。
途中からガ然、テンポがあがりドラマがうねり出したのである。
(つづきます)

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