ひろがる水色と不本意の箱庭 HKT48と #劇はじ

アルタイル星

『HKT48、劇団はじめます。#劇はじ』、オンライン演劇を見てみた。『TEAMごりらぐみ 不本意アンロック』2月22日午後2時公演。『TEAMミュン密 水色アルタイル』2月22日17時公演。
 

(じっさい見た感想を書いているうちに、公演は終わってしまった…(´Д`)
(2つの作品を「比較する」という視点にどーしてもなってしまい、公演中にそんなこと書いてもいいのだろうかと筆がのろくなった。忖度ってんじゃないんだけど)
(しかし終わったことだし何書いたっていいだろうと思いやっとアップできました)
(そんなたいしたことも書いていませんが、2つをくらべて、どっちがいいのかは書いています)

とにかくみんな見てくれ見てほしいすべてはそれから

『劇はじ』、ほんとにHKTのメンバーがやってるみたいです。
 

実際にどこまでガチでやっているかというと・・

・作品テーマの考案と、脚本の執筆
・エクセルで予算案を作成
・SNSアカウント運用の企画、投稿案の作成
・宣伝企画書をkeynoteで作成し、自らプレゼン
・カメラマンへの依頼資料作成とオリエンテーション
・撮影現場に立ち会い、ディレクション
・タイアップ企画のプレゼン
・衣装や美術品の考案と、手配
・劇中の音響や主題歌の考案
・メインビジュアル撮影用のロケハン
・Illustratorやfinalcutを使用し、宣伝用画像や動画の編集
・予告動画の絵コンテ作成
・本番中のカメラのスイッチング
・役者
・演出

まだまだ書ききれないくらい、多岐にわたる業務を彼女達が担当してきました。

とのことで、すごいなー。わたしゃkeynoteなんて持ってるだけで立ち上げたこともなく、ファイナルカットは高くて買えない、イラレはOSアップデートしたら立ち上がらなくなった。いやそんなことはどうでもいい、ほんとに、マジにちゃんと、HKTのメンバーが「制作」やってるんだ。すごいなー、と思いつつ、でもこの中で、わりと「出来そう」「やりやすそう」な「SNSアカウント運営」をはじめとする広報宣伝活動というのが「すごく難しいもんだな」ということを痛感させられた。

いやさ、このプロジェクトが、HKTメンがツイッターやyoutubeで宣伝したり、スクショOKでファンがさっそく初日画像アップしてたのを見ていて、正直、「よっしゃ見るでー!」と気分が上がるというわけにはいかなかったもん。でも『不本意アンロック』を見はじめて「おい、これは」と座り直し、「じっさいに見てみないとわからんわこれは……みんな見てくれ……!」とうめいた。
 

このプロジェクトの行く末とは(先走りすぎ)

見てみないとわかんない。だけど、私の撮ったスクショ見て「HKTとかアイドルとか知らないが、演劇が好きでこれに食いつく層」って、いるような気がしない。この芝居の宣伝方法、すげえ難しい。うー、ふつうの演劇好きにこれ見てもらうためにはどうしたらいいんだ。

だってこれ、「よかった」んですよ。とはいえ「よかった」けど「まだ萌芽」。HKTのメンバーが自力ですべてやってる、とは思えないぐらい面白かったし魅力的だったけど「HKTメンが自力で!」のゲタは明らかに履いていて、いわば「子供の学校の映研の自主映画が思わぬ良さで、うちの子スゴイ」という親の意見でもあるわけですよ。でも「オレは親バカで言ってるんじゃねえ! これすごいことになるよ!」という叫びも本心なんです。だからぜひ演劇ファンに見てもらいたいんだけど、「現在推しはいないが博多ハコ推し」の私が一公演の配信に2800円(×2)払うことはできても、そうじゃない演劇好きがフリでこのオンライン演劇のチケット買うかっていうとなかなかむずかしいだろう。買ってくれたとして、この萌芽状態で次も買ってくれるかっていうと、それもなかなかむずかしそう。プロジェクトの元になった『劇団ノーミーツ』の小御門優一郎が岸田戯曲賞にノミネートされてるから、そっち方面から演劇ファンが劇はじに注目してくれるのかもしれないが。

とにかく、このプロジェクト、一発目のこのクオリティからいって、このまま続けていったら芽が伸びて花が咲いて「演劇ファンにも注目される劇団」になりそうなんですよ! それも、「アイドルがお芝居やります」ではなく「自分たちで作演出出演する小劇団」として。……ただ、ふと考える。

それってHKT48のメンバーや、HKTヲタの望んでることなのか??

……。ちょっと先走りすぎたようだ。見た感想を書く。

あなたはどっちが好きか

『不本意アンロック』 仕事やめて家にひきこもって動画サイトばっか見てる一人暮らしの元OLが、突然パソコン画面に現れた「未来からの使者・エニシ」に「ある、ささいだけれど重大なおねがい」を託され……。(脚本:豊永阿紀、演出:下野由貴

不本意アンロック

『水色アルタイル』 アイドルになりたくてたまらない高校三年生がオーディションに落ち続けてラストチャンスだったHKT48のオーディションもコロナで中止になってしまった。それじゃあ高校最後の文化祭に、アイドルユニットをつくって出演しよう!と仲間を集めようとするが……。(脚本:石安伊、演出:田島芽瑠

水色アルタイル

さて、これだけの情報を見て、

どっちが面白そうだと思います?

フライヤー見て『青色アルタイル』は「あー、そういうやつね」と思い、『不本意アンロック』は「どういう話なのかさっぱり想像つかん」となった。で、見てみたら、『水色アルタイル』が面白いんで驚いた。ゆるゆる見てるうちに画面から目が離せなくなった。『不本意アンロック』は最初から「お、これは」と引きこまれたのだが途中からテンションは落ちた。

私は『水色アルタイル』のほうが面白かったです。『不本意〜』も面白かったのではあるけれど。

ストーリーとしては『水色アルタイル』は実にまっすぐ。登場人物が生き生きしていて、喜んだりがっかりしたり悩んだりする姿がもう「ステキなドラマ」である。こう書いて、このドラマの魅力を表現できてるような気がぜんぜんしねえよ!(叫び)

こういう「登場人物のキャラ頼み」みたいな話は往々にしてダレる。おまけに今回は「キャラで売ってる会いに行ける(今は行けないが)アイドル」がそれを演じているので、そのキャラによりかかった場面がダラダラ長引きそうじゃん。とくにこの『水色〜』は、キャスティングがはまっていて、というよりアテガキしてるような脚本なので、「キャラ芝居の陥穽」にずっぽりハマりそう。なのにそうなっていない。なっていないどころか、「ボクが知ってる○○ちゃん(←出演メンバーの名前、誰でも)にすごくはまった役なのに、まったく別の○○ちゃん」が見えてくる。

水色アルタイルのみずみずしさ

たとえば上野遥。ピンクの髪でダンスキレキレのはるたん先生は、この芝居の中でもダンス好き、ピンク髪の女子高生「小野舞夏」として出てくる。でも見てて「あーはるたん、がんばってるじゃん」じゃなくて「うわ、オノマイカ、いるいるこういうやつ、ダンス好きとかいうやつってへんに一匹狼で意識高かったりするんだよ、あんがい厄介なのよ」なの。石橋颯村上和叶も、本人たちがまったく背伸びする必要のない役柄だけど、「いぶいぶ」でも「わかにゃん」でもない、「針間るな」と「三嶋リリカ」(私はこの話でまず、「三嶋リリカ」に惹きこまれました)。おいおい女子高生ってのはちょっと厳しくねーか、と思ってた松岡菜摘も、「うわ、いたよクラスにこういうのが」という「荒松希望」だ。運上弘菜がまた、なんともいえぬ味を出してましてね、私はずっと「この人の“暗さ”はアイドルとしていいのか? それとも魅力なのか?」と思い続けていて、その「暗さ」が、この芝居の深みを与える役として使われていたからすごく感心してしまった。でもそれは「運上弘菜の暗さ」ではなくて「夏木明(←役名)の暗さ」なの。

出てくるキャラに悪いやつはいない。みんなちがった魅力がある(し、ダメなところもある)。悩みも抱えている。『公式裏本』という、脚本が載ってるpdfを購入して読んでみたら、けっこう登場人物それぞれに細かく設定があり、その設定が「(いい意味でも悪い意味でも)いかにも若い!」もので、この脚本にひっぱられたらすごく冗漫な作品になる危険があった。だけど、登場人物の描き方(演技や撮り方)のアンバイが絶妙なの。このアンバイまちがったら見てられんよ、「女子高生が、アイドルグループつくって、文化祭で披露する」ってだけの話なんて。だから最初、この芝居のあらすじ見て、「HKTメンがキャッキャワイワイしてダラダラ長い芝居なんではないか」って怖れてたのよ。それがちゃんとアンバイできていた。だから「等身大の女子高生の群像劇」として成功したのだと思う。

これは計算なのかそれとも

で、この「アンバイ」、計算されたものなのか?

演劇をつくる時というのは、すごくいろいろな場面でアンバイが要求されるもので、しかしアンバイはたいへん難しく、プロの劇団の芝居だって「見ちゃいられないぐらいアンバイのなってない」ものは山ほどある。なのにこの、いわば素人集団のつくったオンライン芝居で、きちんとアンバイできていたという驚き。私としては、これは第一回作品なので、「彼女たちが、それの出来る集団である」という判断がつかない。「バットを振ったところにボールがきた」という可能性もある。でも、場面と場面の間に、わりと長めの暗転が入るのだけど、この暗転の長さというのも絶妙で、これより長いと間延びする、これより短いと暗転にした意味がない、というセンをばっちり突いてきていた。もしかしてすべて計算されたものなのか? 演出:田島芽瑠だとすると計算してる可能性は高い。しかしそれにしたって出来すぎである。だから次に、ちがう脚本を演出した時にどんなふうになるのかを確認したくてしょうがない。石安伊が次に書く脚本にも興味があるし。

次をすごく見てみたい、というのは『不本意アンロック』のチームにも言えるのだ。『不本意〜』の脚本や演出は明らかに「劇団の芝居」っぽかった。キャパ200のハコでやる小劇団の芝居みたいな。そういう小劇団の芝居をいくつか見た私から言わせていただければ「相当上位に入る」ぐらいちゃんとしてたのである。『水色アルタイル』の脚本の素直さにくらべるとこの『不本意アンロック』の脚本の、才気と野心に満ちあふれて、一筋縄ではいかないストーリーは「すげえなあ」と感心させられた。細かい伏線がいくつもはりめぐらせ、それをきちんと回収している。この脚本を書いたのは豊永阿紀だ。脚本を豊永阿紀がやると聞いた時に、「いかにも演劇っぽいものを出してくるか、素直なきれいなお話を出してくるか、どっちなのかなあ」と思っていたら、演劇っぽいものがきた。

その脚本が「ちゃんとしてる」ことを認めた上で、『不本意アンロック』が私にそこまで響かなかったのは、その「演劇っぽさ」じゃないかと思った。

豊永阿紀のとじこめられた世界

「演劇っぽい」って言葉は「演劇界の外にいる人が、舞台を見てなんかついていけないものを感じる時」に使ったりするのだが、今私が言おうとしてるのはそういうことではなくて、豊永阿紀の志向みたいなもの。阿紀ちゃんは文章書くのも上手だし本を読むのも好きだし、『仁義なき戦い』にも出ていて神原精一役が絶品で、お見送りの時に「神原すっごいよかった!」と思わず声かけたぐらいで(そしたら目をぱああああっと輝かせて「ほんと?ありがとう!」ってすごくうれしそうに返してくれた)、その後、彼女のブログを見ると、『仁義なき〜』の見どころを自分なりに解釈して、そこから神原役をいかに深めていったかが詳しく書いてあり、彼女の文学少女ぶりがよくわかった。同時に、へたしたらこじらせるタイプだというのもヒシヒシ感じられたのである。そんな彼女が書く脚本で、それが完成度の高い演劇っぽさを達成しているのはすごいことなのだ。最初に書いた脚本がこれって。OSKに来てほしいよ。

脚本

きれいな箱庭みたいな作品なのだ。伏線をきれいに回収してきれいに終わるのも、手の中におさまるみたいなきれいさ。それすらできない作家なんか山ほどいるんだから、阿紀ちゃんはすごいのよ。ただ、これを見ながら「きれいにまとめて回収にかかってんな」と、中盤からすでに思ってしまって、それがきっと私のテンションが下がった原因です(客というのは勝手なことを言うものだ)。そのあとに見た『水色アルタイル』、ひろーい原っぱに、太陽がさんさんとふりそそいで、気持ちのいい風が吹きぬけてるような、そんな話だった。たぶん石安伊は豊永阿紀よりも「深く考えてない」。それがいいほうに出たんだと思う。

だから次を見たいんだって! 考えすぎる豊永阿紀と考えてない石安伊(ごめん石ちゃん)、2作目やるとなれば豊永阿紀は今回みたいにガチガチにつくりこむことはやらない、いい意味で力が抜けたものを書けると思うし、石安伊は多少なりとも考えてしまってへんな力が入るだろう(なんかほんと石ちゃんに失礼なこと言ってんな私)。そこでどうなるかがすごく気になるじゃないですか! そこで見せてくれるものを見ないことには軽々に評価なんかできないと思うんですよ!

だから第二弾、第三弾と続けてほしいわけなのである、このプロジェクト。

ぜったいに、続けなきゃ意味ない!

ただし、真ん中へんで書いたように、それがHKTメンや、HKTヲタが望んでいるものなのかというのが……。公演が終わったらすでにもう、『#劇はじ』なんか「過去のもの」みたいなことになってるしなあ。『仁義なき戦い』もあれほど素晴らしかったのに、終わったとたん忘れ去られてたしなあ。

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