それでも近鉄よりいい

OSKの南座公演。春のおどりの時もいろいろ考えたが、今回も考えこまされた。

初回に見終わった時にいちばんびっくりしたのが「自分がこういう感想になるとは思いもよらなかった」ってことです。

今年の『春のおどり』を見て私はたいへんがっくりしていた。2009年ぐらいからずっと「なんなの?これは」という不審と不満がジワジワわいて溜まっていたのが今年の春に決壊した、という感じで怒りよりも落胆、脱力にヤラレてしまった。何に不満だったかというと、劇団員のパフォーマンスについてです。作品の外枠(脚本演出その他)の話ではない。いやそっちはそっちで言いたいことはあるが(同じぐらいがっくりしているが)、また別の話になるのでここでは措く。

私を落胆させたものの主なところは、「覇気のなさ」「やる気のなさ」「惰性」である。松竹座や南座で、「また今週も長い一週間が始まるわーウザイわーテキトーにやっとくわー給料も安いしーでもクビにはなんないと思うー人手も足りないしーあーだるいわー早く帰りたーいとぼやく疲れたOLみたい」な舞台をどうして見させられなきゃならないんだ。当然、そんな舞台はぐずぐずとゆるんでくる。ちどりさんがよく、OSKの群舞のタテ列もヨコ列も見事に揃っているとを賞賛していて、私は異論があったのでちどりさんにメールで言ってみたことがある。タテもヨコも揃ってない。間隔もバラバラだ。群舞のOSKなんてとうてい言えるようなもんではない。ぐしゃぐしゃだと。聞いてみると、宝塚なんかもっとぐしゃぐしゃだそうだ。そうなの? 私が見にいった松山市民会館の星組地方公演『熱情/BOLERO-ある愛』(今回の南座見るまでショーの題名忘れてた)と、『日本物ショー(題名失念)/愛と青春の旅立ち』、両方とも偶然星組でしたが、そっちのほうが揃ってたよなあ(あ、ただし日舞がてんでダメな場面はありました。夢咲ねねは着物着たらあかんな)。ショーの題名失念するぐらいだからショー作品としては「いつもの宝塚で、ホンマつまらん」作品だったけど。人に聞くと星組はトップの柚希礼音がダンサーなので宝塚の中じゃダンスがイケてるそうだ。月組なんかひどいんだそうです。残念ながらそれは見ていない。しかしイケてる組とはいえ宝塚に負けてるってのはショックでした。

群舞だけの話じゃなくて、日舞の裾捌きがひどいとか、そもそも着付けがなってないとか、ただの運びがメロメロとか、とはいえ運びってのは観世寿夫が晩年に「運びを変えてみた」っていうぐらいの、日本における舞の基本でありますからあれがいちばん難しいことかもしれない。いやそんな高度な話じゃなくてさ。今年の春の日舞の、オープニングの総踊りから全員が花道でひっこむとこをDVDでご確認ください。ひどいから。劇場で見てて目がくらみそうだったですよ。私は家に帰り、2006年の春のおどりのDVDを出して見てみた。このセレクトはたまたまです。で、やっぱり日舞で花道ハケがあって、…………キレイじゃん! なんだこれは。当時はふつーに見ててなんとも思わなかったが、花道を一列にハケるのですらこれほどの技術が要ったとは。というか、最低限これぐらいのことはしてほしいもんだよな。他にもこの春の日舞はひどいところがコソボの地雷のように埋まっている。

別に技術至上主義ではない。先日テレビで偶然見たダンスのコンテスト、ラテンとかタンゴとか、確かに上手というかビシッと決まって微動だにしない美しいダンスを見たけど、それがどーした、という気分だ。私はOSKが好きなのであって、OSKの劇団員による素敵なパフォーマンスを見たいのであり、OSKの劇団員がへんな踊りをしたってそれが見どころあるならそれで別によろしい。すべったころんだだって楽しいのである。この南座でもとんでもないへんなダンスをしている、さる劇団員から目が離せなくなって困った。困ったけど面白いからいい。ヘタを楽しめなくてどうする。しかしその劇団員の序列や最近の扱いからは信じられないような後ろの後ろの、気がつくと袖にかくれちゃうような場所で踊ってたのは、やっぱりあれは「前に出してお見せしてはいかん」と判断されたんだろうなー。その追いやられぶりも含めて本当に面白かった。ボレロの時の悠浦くんであります。(今劇団一の押しメンであることとは別の意味で)彼はきっと大物になる。

私がげんなりしてたのはそういう「ヘタさ」の話ではない。だらけてゆるんだのがウンザリなのだ。ボレロの悠浦くんは必死にやってたからあんなに面白かったのだ。お笑いはマジメにやってこそ笑えると言うではないか。OSKはお笑いではないが。しかしどうしてOSKは舞台の上で疲れたOLみたいなことになってしまったのであろうか。松竹座や南座公演も回を重ねて、すっかりゆるみきってるのだろうと想像する。イヤならやめてくれても結構なんだけど。2004年の春のおどりは、私は内容はそれほど素晴らしいものでもないと思うが、すごく見る者をして心動かされるものがある。松竹座という舞台に乗ってOSKを新たにスタートさせるという緊張と喜びと使命感にあふれているからだ。

で、今回の南座。そういう前段があったもので、どーせまた、という気持ちがあった。何事も先入観はいかんものだ。日舞が始まってしばらくして(オープニングが終わって信長と江の場面〜左義長準備の場面あたり)から「あら?」と思った。私はずっと「どんな作品だろうどんなふうに展開するんだろう、だいたいこんな感じだろう」と予想つけながら見ていた、その予想を軽く裏切る展開になってたからだ。信長が主人公の日本物で平和を目指すと聞いてどういうトンデモ展開かと思ったら、その通りなのにトンデモではない。ただの「信長公の左義長の一日」をショー場面でつないでるのだった。これはなかなか思いつかないですよ。で、桜花信長って話が出た瞬間に私が「秀吉はぜっっっったい高世にやらせてくれ!」と思っていた、その通りのキャスティングなのもすばらしい〜。宝塚で石田三成主人公の日本物ミュージカルやるって聞いた時も「秀吉は誰だ」と気にしてたら未沙のえるだっていうんでそっちはガッカリしてたから、ぜひ高世麻央による「美しきサル」の実現を!と思ってたのだ。でもムリかと諦めてたんですよ。美形が秀吉やるって、これこそ歌劇の醍醐味! でかした!……っていうほどの役らしい役ではなかったが、そもそも主役すら役ではなく、それはそれで新しいのでよし。ほとんどセリフってもんがなかったのもよかった。で、信長様は南蛮人のかっこでド爆発してそのままどっかいっちゃって(これもまた桜花さんという人をよくわかった構成である)、あとは何もなかったように素頭着流しに全員着替えて東北民謡に突入という、この、なんなんでしょうか、唐突さがかえって玄人っぽいっていうのか、私はこの構成は好きです。ただ、「もしかすると信長話でいこうとして途中で力尽きてこういうことになったのかも」とも思いましたが結果オーライならよろしい。俵積み唄の時は、じーんと泣けてきてしまった。明るい曲に弱いので。大貴さんのことを思い出してたんだけど、あの頃はよかったとか今はどうとか、そういうことはぜんぜん思い出さなくて、ただ舞台の上で嬉しそうに笑っている桜花高世桐生の顔と、大貴さんの顔が重なったのでした。あ、そういやカッパの場面忘れてた。あれはまあ……可愛いけどそれだけだったかもしれません。

この日舞のほうでは、不思議なことにあんまり春までの「だらだら」を感じなかった。けっこう嬉しそうに楽しそうにやっていて、一緒に見てた友達ともその話になり、「難しいことしてないからじゃ?」と言っていてヒザを打つ。できることしかやらん、とうちの夫もほぶらきんについて言っていたことがある。それか。まあ、カッパ連中がカッパということにあぐらをかいてちゃんとやってなかったと思うけどそれもカッパだからしょうがない、と許せる程度に全編ちゃんとやっていた。なんか心境の変化でもあったのか(全員がかよ)。

今回の南座、5回見た。平日をものともせず初日も見にいった。いつになくやる気があった。それは、日舞も洋舞も、初めての先生(not近鉄)だったからだ。こう近鉄時代を嫌い嫌い言ってるのもどうかと思うんだけど、前にも書いたように私は「OSKが近鉄ではなくなろうとしたNewOSK日本歌劇団」が好きで正しいと思っているので、新しくて近鉄がましくない演出家による日舞洋舞両方の松竹公演にはものすごく期待があったからです。……が、草野旦、宝塚の演出家だったことを忘れてた。宝塚のショー、ほんまにつまんないからなー。

私は世間で評判が悪いらしい石田昌也の作品でドッと感動したりするので、洋舞のほうの「桜花ちゃんがコジキとなって宴会場に忍び込み酒呑んで大騒ぎ」の場面なんかは。ただ「つまらんなー」としか思ってなかった。スターにへんなかっこさせる、あえて、って私もよく考えるし。でもあれはぜんぜん珍しくもないし、つまんなかった。あそこ振付がつまんなくなかったですか? ああいう、なんの展開もなく、ただ面白い扮装とかだけで笑わせようとする場面は嫌いなんです。私は宝塚見てもショーはまったく記憶に残らずすぐ忘れちゃって(星組のダンスがうまかったのだけはショックのあまり記憶に残った)、つまりつまんねー、としか思えないので、草野さんが持ってきた場面てのも「自分の好きな人たちがやってるから記憶もするが、全体につまんねー」と思いながら見ていた。『ロック=反抗』という(ひでえタイトル)の場面の、桐生さんのまるで男としか見えないスタイルにはおっとなったけど、この場面も別にロックじゃないしさ。ラップとロックって違うだろう。ヒップホップとロックももっと違うよ。

洋舞で私がいちばんいいなと思ったのが、タンゴの高世。そうそうそう、そーなのよ、オールバック似合うんだってば! その後のハッピーバースデーの時の髪型が高世にはいちばん似合ってないと私は断言したい。で、そのオールバックのタンゴの高世が、いつにないふてぶてしいというか、おっさんぽくてそれがよかった。ほんと、頭が薄くなってハラも出かかったような、おっさんのみっともなさがちゃんとある、だからこそ魅力的なおっさんになっていたのである。ああすてき。だからそのあとのハッピーバースデーのあの髪型(と衣装。これは指定だからしょうがないが……)にがっくり。どうも高世さん自身あっちのほうが好きそうな気が……それはまちがってるぞ高世!

この誕生日の場面のラストが、皿とフォークで床打ち鳴らしたりする(音楽なし)ところでこの時に私は「あれ、これどっかで見たような」と思ったのだった。宝塚の星組松山公演でこんなのが。今から思うと(っていっても思い出せないが)それほど似てるわけじゃないかもしれない。このあと、スーツなのにベストだけキンキラの漫才師みたいなかっこで高世桐生が登場して客席トークがあり(毎日コレやるのかよ……と思わされるイベントだった)、そのあとロケット。ここ、流れが納得いかん。桜花ちゃんがケーキのセットにフォーク突き刺しにいったところでケーキがばかっと割れてイチゴガールズが飛び出すほうがいいと思うが。着替えの都合かもしんないけど、ケーキんとこにいくのは桜花ちゃんと朝香牧名ぐらいにしといてロケットチームは早くハケさせるとかしてなんとかできるだろう。

あーいろいろ思い出してきた。この洋舞って、場面の流れがいちいち納得いかんことが多かったんだ。まず幕開きが原始人男女二人が踊ってはけて、上下からサーバント二人出てきてタップって、なんかすごく食い合わせが悪い。つながりの意味もわからん。タップのシーンがここと、あともう一ヶ所あったけど、やる意味あんまり感じなかった。技術至上主義じゃないがOSKのタップで爽快感感じることないから(一人でやるのならなんとか見られる。二人以上はダメ。それなら大人数のほうがいい)。

そして問題のボレロで、星組で同じような(というかほぼ同じ)場面をやって、たいした時間もたってないのに同業他社のこっちでもそれをやるということは「あえて」と考える。ふつうに考えて「同じやつやってらー」と言われそうなものを「あえて」やるなら、その意図をこちらにわからせていただかねばならない。私にはよくわかりませんでした。つか、このダンスそのものがOSKに合ってるわけでもないと思ったし。なんでココでコレ? いろんな話聞いてたらどうも「時間がなかったからじゃないか」という説が出てきて私はこれがいちばん実態に近いんじゃないかと思った(真実なんてだいたいつまらんものだ)。

もっと問題なのが『虹の街』で、「こんな墓穴を自ら掘ってもいいの?」とびっくりするぐらいの「これ一曲ですべてがおしまい」というひどい歌詞古くさい曲しょぼいアレンジなさけない歌唱、であった。ことに歌詞のひどさは恐るべきものがあり、どっかのエライさんの記者会見の失言じゃあるまいし、どれだけの関門をくぐりぬけてこんなふうに公になっちゃったのか、現場の人にお訊ねしたいものだ。作家が出して松竹がスルー、劇団に下りてきた時点でもスルーかよ。こんなことを言ったら酷かもしれないけどこれを歌うはめになった人が敢然と拒否をしてもらいたかった。

というわけで、あれほど劇団員のやる気のなさにハラたてていたというのに、この南座の洋舞で「大事なうちの劇団員にこんなことさせやがって」という怒りが湧いて翌日まで頭ギンギンしてしまった、という「思いもかけない展開」でびっくりなのだった。洋舞のほう、劇団員みんなやけに必死な表情でやっていて、それがいいパフォーマンスにつながってるかっていえばそんなでもないんだけど、惰性でだらけながらやられるよりは明らかによかった。つか、がんばってると見えた。何年ぶりだろ。これがいつまで続くのか……と不安にもなるが。

日舞の不満をひとつ思い出した。火祭りの場面、桜花ちゃんは左義長のたいまつが真っ二つに割れた中から登場するべきだったと思う。

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