春のおどりの洋舞を見て考えた

この洋舞は、最初に見た時の印象が「つまんねーなー」だった。すべて終わった今となっては「すみません一徳先生、もっとつまんないものは山ほどあります」と反省しています。中村一徳先生の作品というと、2005年春、2008年春、2010年春、と3つ見ていて、どれも構成はハンで押したように同じ!という驚くべき作風でして、しかし同じだからダメってことではなくてそれは「型」であり、型をつくるパーツの良し悪しですべて決まるっていうんでしょうか。で、今まで必ず一つは「すげえ、ダンスでこういう表現があるんだ!」と衝撃を受ける場面があったのでよかったのです。ほんとに驚いたもん2005春の『カジノ』とか。男がカジノで勝負する場面、といわれて「スーツの男たちが上下に分かれて勝負しあう」というのはよくあるパターンですがこの『カジノ』はスーツの男が勝負するのは「勝負の女神」(いや実際は「ジョーカー」という名のカッコイイお兄ちゃん)とディーラーで、ルーレットやってるんだけど丸くもなきゃくるくるも回らない、ただ賭ける男と、ディーラーとジョーカーとチップのダンスでカジノのルーレットなの(こんな書き方でわかるだろうか)。

ダンスのOSKとよく言われる。しかし、群舞の場面は多いがそれほど揃っているわけでもない。共産圏の軍事パレードの揃い方には遥か遠い。共産党的揃い方は気持ちが悪いとよく言われるが、それならOSKの群舞が揃っているのが良しとされるのはなぜだ。それほど揃ってないから共産圏みたいに気持ち悪くないけど、まあまあ揃っているので良いってこと?(そりゃおかしい)……共産圏とかいうから話が複雑になる。アメリカのミュージカル映画だってばっちり揃ってた(映画だからか?)。OSKが宝塚よりもプロであり揃ってるというなら(そう言う人は多い)、もっとできてる団体とも比べられるのも当然の仕儀。…………って、話がそれたけど、OSKはダンス場面は一生懸命やっているけど、それだけでは私は「がんばって踊ってるだけ」と思ってしまう。「今回の春のおどりは踊りまくってますよ!」と言われても「それで何を見せてくれるのでしょうか」といつも思う。ダンスで何か見たこともないものを表現して見せてくれたら感動する。恋い焦がれて見てるだけで胸がいっぱいになっちゃうような人が踊ってたらきゃーすてきー、でただ踊ってるだけでも気はまぎれるんだけど、そういう人はいないので今。

また話がそれますが、『春のおどり』が終わってレビューカフェのスタッフ発表、とかされてたけど、スタッフに振付の名前が無いってなんなんだ。ダンスのOSKなのにおかしくないか。こういう時って自分らで振付してんのでしょうか。いやレビューカフェは歌が中心だから振付はそんなもんで……って言われたって歌で聞かせられるわけでもないし、毎回手作りの発表会みたいな一時間のショーを、ちょっとだけ目先を変えて新作と言われても。なんかまちがってると思う。音楽も振付もキチッとつくってそれをメンバー順繰りに変えてずーっとやったらいいんじゃないかと私は思う。衣装もちゃんとしたやつにしてね。「あそこに行けばあの公演が見られるから行こう!」ってぐらいの公演を。OSKの劇団員は全員、その公演はどのボジションでもできるようにしておく。いつでも誰が入っても抜けてもできる。……と、どこかの劇場の上野遥みたいな話であるが上野遥はめったにできないことをやるので名前が上がったわけで、ダンスのOSKなら全員それができてもいいと思う。まあその前に、それほどの公演をつくれるのかというのが大問題だが。

それで何が言いたいかというと、今回の春のおどりの洋舞は、「すごく踊ってたけどそれだけ」だなーという落胆である。もちろん私はOSKの劇団員が好きだし、彼らがいっしょうけんめいやってるのを見れば心を動かされる。何回か見るうちにその「踊ってた」部分のデキが(音楽や振付が)いいところもあって、なかなか気持ちよく見られることがわかった。見ていてカンにさわる場面もあんまりなく(しいて挙げれば洞窟のとこか。またこういうやつか〜〜、というのと、青いカツラの娘役が受け付けない。でも一徳先生のにはほぼこういうの出てくるよねー)、ラインダンスは振付がことによくてさすがに感動させられるものがあった。私が今まで見たラインダンスで「いいなー」と思ったのはチアリーディングからスカートをバリッとはいでお尻のフリルにしてガンガンやってた2006春と、天使が羽根をつけたりとったりするちょっと変化球ラインダンスの2006秋、やっぱり何か変わったやつが好きなんだ。でも今年のは「直球で、それでもなお良し」だったので相当すごかったんだろう。ということで、決して悪いショーではない。3回めぐらいにやっとそのことがわかった。

BLACK WAVEという景がある。ソフト帽かぶったスーツ男がかっこつけて踊るやつだ。ワケあり風の女たちも出てくる。歌劇につきもののこの手の場面、はたしてこの男たちはどういう職業なのか。というのは前から言ってるんだけど。やっぱりヤクザでしょうか。この景のラストは、ひとり取り残された高世が、思い入れたっぷりにふりかえって暗転、っていうこの場面を見ていて私は「うーん神戸の井上さんは今こういう気持ちなのかな」とかふとよぎってしまい笑うとこじゃないのに笑ってしまって申し訳なかった。

えんび

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