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大日貴

だめなあたし 2013-04-14

  • 『中卒東大一直線』(坂上忍のドラマ)にザ・モッズがモッズの役でチョイ出演してまぬけだったことを思い出す。 09:55:58
  • RT @kairyuouji: 一番問題なのは、『魅力の発信が足りてない』という人に限り、発信は皆無に近いことだと思うんだ。昔はこういうと『さも、もっとらしい発言』に捉えられたけど、今はそうじゃない。他人に転嫁するんじゃなく、自分がやらいと。ひとりひとりの意識を変えないと … 09:57:56
  • 海龍王寺行きたくなってきた。 09:58:18
  • ふらっと出かけられる場所になったからなー奈良も。 09:58:45
  • PSYときくと松浦雅也としか…… 10:08:26
  • 私らD連合にはここは特別な店なのだが恰幅氏にもホメられててうれしかったぜ! http://t.co/XglEWGsHM1 15:28:05
  • RT @tonton1965: 歌舞伎もそうだが、特撮・アニメも、褒める一方の本にみな慣れているんだよなあ。あと「公式発表」を信じすぎ。NHKとか制作側とか、都合の悪いことは言わないに決まってるじゃないの。 19:45:13

獅子の時代

場面の役替わり再演というと、今回の『ラストショー』→『ジャスト・ダンス』の他では、『ザッツ・スパニッシュ(2004年秋のおどり)』『ブラック&ホワイト(2005年武生バージョン)』『ザ・カムパニイ(2006年春のおどり)』が2007年秋の南座『シャイニングOSKベストセレクション』で再演された。いや他にも小さな公演とかイベントとかで「場面役替わり再演」はコマコマとあるんだけど、

「大貴・桜花・高世」が芯取ってた場面を、基本的に変更なしで「桜花・高世・桐生」にスライド@松竹公演

となると上記になるわけです。で、今回のラストショー/ジャストダンスみたいな気持ちには、他のやつはならなかったんですよね。ザッツスパニッシュはまあ、スパニッシュというものがあんまり好きとちゃうもんでどうでもいいんだけど、『ブラック&ホワイト』は「存続以降のOSKで(誰にでもわかる)いちばんOSKらしくかっこいい場面」だし、『ザ・カムパニイ』は、「歌詞は天才(笑)横澤ポエムで曲もマヌケなまでに明るい系ながら大貴さんのキャプテンがやけにかっこよく、たまらん場面」で、それぞれたいへんに思い入れがある。まるっきりメンツが変わるならともかく、一番上が抜けて1人づつ順に上がるというのはけっこうつらいもんがあるんじゃないかと思ったけど、ぜーんぜん平気であった。なんとも思わなかった。「あーやっぱりこの場面はエエなあ〜」とニコニコしながら見ていられたものです。

しかし、ラストショー→ジャストダンスはあかんかったですねえ。退団公演のクライマックス場面だったから、というもの以上の何かがあったみたいだ。

思うにこれ、「あの時のあれを再演しますよ」とと喧伝されていなかったというのも大きかったかも。私が「ぜんぜんへーき」だったやつは、「ベストセレクション」と銘打たれていて「この名場面をやりますよ」って言われていた。今回のラスト→ジャストは事前になんの情報もなかった(し、初日があいてもそのことに言及する人があんまりいなかった、私の見た限りでは皆無だった、のは前に書いた通り)(そのことはいまだに「なんで???」と、思う)(いや、はじめてOSK見た人とか2007を見てない人に言及は求めませんよ)。

この「何も言わずにあれを、ああいう重要な位置でやってみせる」というところに、私などは逆に「名倉先生の思い」を感じてしまうのだが、実際のところはわからない。

で、当欄11日に、この再演場面について「不満であった」ということを、なんか抽象的に書いているが、いかにも観念的でわかりづらいんじゃないかと反省して、わかりやすく言ってみたい。要は「ジャスト・ダンスの白3人、イケてなかった」ということです。

踊れてないってことじゃないですよ。振付を、音にのせてきちんと踊るという意味では、大ちゃんよりちゃんととできてたともいえる。私が言ってるのはそこではない。

あの場面て、全体がスタイリッシュでかっこいいのは当然として、肝腎なのが「白のたたずまい」であります。あの白は、

「小粋で、瀟洒で、大人で、エロ」

なのがイイわけですよ。この四本柱がないといきなり味気ねー、となります。で、まあ、大貴さんはまさにそれ全部ばっちり。踊れなくたってキメるとこはその四本柱で大阪の橋は橋っとバシッとキメました(でも踊れねー踊れねーとさんざん言われた大貴誠ですが、あの2007年のラストショーは、驚くほどちゃんと踊ってましたよ。2004秋のブラック&ホワイトなんて、他の全員が一回転してるところスリークオーター、とかしてたのに、2007はちゃんと回るとこ回って止まるとこ止まって振り間違いもない。……って、踊れるってその程度かよと言われそうだが)(ええ、大貴ファンとしてはそれ、けっこうたいへんなことなんです)。

今年の白3人の白ぶりは、
「まだまだトーシローだな」by土屋圭一@首都高バトル

なのであった。いやー、青い。青じゃダメだよ白なんだから(違)。
とはいえ、新しいメンツで新しいものをつくる、というのは当然アリで、じゃあ、今年のが「新しい何か」だったか?

その何かは獲得できてないな、というのが私の不満の淵源です。
あの場面、始まってから終わるまで、するすると流された。流すとこかそこは! いや流してもいい。その流れで私を持ってってくれるなら。……少し先の小川をサラサラ流れる春の水。それを眺めている私。今年のジャストダンスとはそういうものといったらいいでしょうか。解釈の問題を越えてこれは「間違っている」と思う。

(ところで、今から5年前の公演の場面再演なんて、知らない人がいて当然、というのはよくわかります。知るかよそんなん、という人もいることでしょう。しかし、これを読んだアナタはもう知ったわけです。そして、昔から知っているからエライのか、と言われたら、それは明らかに「昔から知ってるほうがえらい」です。いや、えらいってのはちょっと誤解を招くか。昔から知ってるほうが、いろいろいいです。私ももっと昔から、ファンじゃなくてもOSK見て知っときゃよかったと思います。しかし、歴史を知っていてもそれをカサにきてつまらないことを言うのはナサケナイことです)

他、不満点。
獅子をみんなが口をきわめてほめる。毛振りやるなんてすごい!と驚嘆する。あの頭は相当重いのにあんなに揃って、とか。
やってたのにー2007年に。
同じ規模同じ格調のものを。あんときゃ何も言われてなかった気がする(泣)。ええ、ぼやきですけども。ぼやきついでに書くと2007のほうが揃い方は整ってたぞ。しかしぼやきはいったん措いて、あの獅子の場面は「ああよかった」と思った。
といいますのも、OSKが得意とする、洋楽に乗せたシャキシャキした日舞って、ヘタをすると「ヤンキーの日本回帰(紋付きハカマのヤンキー成人式とかYOSAKOIソーランとかヘビメタバンドの歌舞伎メイクとか)」になるという落とし穴にはまりやすい。それが山村若先生をはじめとする「松竹OSKチーム」にかかると、そういうことにはぜったい「ならない」です。先日ご紹介しました友人の「OSKファン界の狂犬」が「獅子の音楽がロックだったりしなくてよかった」と言っていて、ほんとにそうだ。これがヘビメタ風ロック調だったりすると、いきなり安くなるから。『エンドレ』で連獅子がありましたけどもあっちはまさにその「安い連獅子」だったので。今回の連獅子の音楽は『桜咲く国』のアレンジで、そのアレンジもヤンキー風味絶無でいかにも「春の、間の抜けたような美しさと、無残さ」に満ちててよかったです。ちなみに、2007春の連獅子の曲は、オリジナルの『橋よ橋』のアレンジで、大河ドラマのOPテーマのようなドラマチックさでした。

だめなあたし 2013-04-12

だめなあたし 2013-04-11

  • 亭主を尻に敷島の道 by鉄幹 15:13:10
  • 『ウルトラマンがいた時代』で、実相寺昭雄は名前で得してるのでは、というのに笑った。それでいうと龍胆寺雄もか。 15:15:34

ラストショーについて

日生劇場の千秋楽、幕間に人としゃべっていて、その時に「日生でいい作品をやって初見の(それも東京の)客をつかんでも、次の自主公演でゲンナリするような作品をやって日生でついてきてくれかかったファンを払い落とすようなことになりそうで不安だ」と言ったら、「そうなんですよ」と口を揃えて応えられて笑ってしまった。笑ってちゃいけないが。その人たちお二人は関東の人で、OSKもそんなに長くご覧になってるわけじゃないと思うのだが、そんな短期間ですら「そうなんですよ」と思わせる、OSK日本歌劇団駄作打率の高さ! 駄作首位打者! だから笑い事じゃないんだってば。

で、そのうちのお一人が、OSKを布教しようと『JUJU』三越劇場公演を、お知り合いのタカラヅカファンの人たちに見せたら「宝塚ファンの人にはダメだったです」という。
「そうでしょうそうでしょう! だめなんですよJUJUじゃ!」
と私は叫んでしまったのですが、これは、「宝塚ファンにもイイと言われるような作品をOSKにつくれ」という意味じゃない、ということをその時にちゃんと説明しておけばよかったんだけれど幕間で長々しゃべれなかったので説明できなくてすみませんでした。私が言いたいのは、趣味嗜好を越えて、作品というものには「高みを目指す志」があるべきで、そういうものであれば宝塚ファンにも落語ファンにも能楽ファンにもひこにゃんファンにも、結果的にこちらのファンになってもらえなくとも、認めてもらえるはずだという話です。OSKの自主公演では。カネと時間と工夫の無さから、易きに流れた作品を出してしまい、それではファンなんて増えない。ということが言いたいのでした。
今回の日生(というか『春のおどり』は)目指すものは高かった。

で、今回私がいちばん「どーん……」ときた洋舞の第十二景『ジャスト・ダンス』について。

洋舞の終盤というかもうフィナーレか。チェリーガールズ
(※このチェリーが、いろんな方がおっしゃってるけど「ついにチェリーガールズのコンセプトに合った場面」だった! ソウルトレインというかサウンド・イン・Sというか、オルガンがぎゅるんぎゅるん鳴る、70年代ぽい音楽で、振付も曲にぴたっと合ってなおかつメンバーをきちんと押し出したもので、しょーもないアバメドレーとかやらされてチョコマカ踊ってたのがいかに間違いだったか白日のもとになったという感じでしょうか。今後もこれでお願いします。でもそのためにはメンバーがちゃんとダンサーじゃないとなー。今までのチェリーだと別に踊れなくてもいいじゃんて感じだったけど、今回のを見てしまうと、「チェリーガールズとは本来、森野木乃香、春咲巴香、平松沙理、陵ちはや、瀬乃明日華を揃えるぐらいのメンバーじゃないといかん」のだということがわかる。踊れることはもちろんなんだが、将来のトップ娘候補を入れるのもまちがいで、チェリーに入って人気が出てトップになっちゃった、というのなら辛うじて許される、というそういう人選が正しい。ま、今回、踊れてない人の踊れないっぷりが楽しめたからいいけども)
が終わって、ラインダンスへ行って
(※この作品で私がひっかかったのは、このチェリー→ラインダンスの流れ。なんか流れが悪かった気がする。あと、ラインダンスの衣装があんまり好きじゃなかった)
(※ラインダンスといえば、OSKがラインダンスを売りにするんだったら、娘役上から下まで全員、男役も真麻以下は出したらいいんじゃないかなあ。それこそ2004年春の全員ラインダンス体制みたいにして。あれはとてもいいラインダンスだったからああいうこともやるべきではないか、たまには)
ラインダンスが終わると暗転になる。そこにドラムのイントロが流れて舞台に照明が入ると、男は黒タキ、女は黒スーツで後ろ向きに居並んでいる。そしてダービーハット。

これは、2007年春のおどりの『ラストショー』である。
曲は同じ(ちょとだけオーバーダビングしてあった)。
振付も95%ぐらいは同じ。2007は大貴さんが一人だけ白タキシードだったが、今年のは桜花、高世、桐生が白タキ。

曲が終わると、白タキ3人が、帽子と手袋を脱いで渡す。2007では白一人の大貴さんが帽子手袋脱いで渡して、ハンカチもらって汗を押さえて返す。このあと、2007では大貴さんが舞台にひとり残って『This is the moment』を歌う。今年は桜花高世桐生の三人が残って『Let me try again』を歌う。

これをどう見るか。

ふだんから、場面の使い回しについては口を極めて「カンベンしてよ〜」と言っている私ですが、これについてはそういう気持ちは抱かなかった。
というのも、この場面、2007年春のおどり『桜ファンタジア』におけるこの『ラストショー』という場面は、This is the momentへの流れも含めて、最大級に重要なところである。見た人間にとっても、2007の帽子ダンスといえば忘れられない名場面である。
(なのに、この日生公演を見た人の感想、とくに初日、ラストショーと同じところがあった!という感想を私はぜんぜん見かけなかったのがものすごく解せない。なんで? いいとか悪いとかじゃなくて、ここは「うわっ!」となるところじゃないの?)

作り手側が、ことに今回は名倉先生だ、そのことをわからないわけがない。そんな場面を、OSKが勝負をかける日生劇場公演のクライマックスに持ってくる。大貴誠がやってた白を桜花高世桐生の三人にして。それは、使い回しじゃなくて、何か考えがあってのことだとしか思えない。というか、そうに決まっている。

その先生の思いに応えることができたのか。
曲もいい振付もいい、場面の完成度が高いし、クライマックスのカタルシスも充分にある。きのう言ったように劇団員には良い意味での緊張感があって、下級生まで信じられないぐらいちゃんと踊っていた。いたけれども。……ということは、私にはあの場面は不満でした。こんなにアッサリ流しちゃってもいいのかとショックを受けた。

日生の公演で、あの時のあの場面をやりなさいと言われたら、あの時を凌駕するほどのものにしなきゃいかんだろうと思う。大貴さんの屍を踏み越えていくのでなかったら『ラストショー』は『ジャストダンス』にはなれないだろう。
(でも、私が、あの公演の、あの場面に、過剰に思い入れをしているのかもしれない。それでも、もう少し、あの場面の重みってものを考えてほしかった)

それでも、この日生の『春のおどり』は、良い公演だっと思うのだ。

手袋

だめなあたし 2013-04-10

  • 禁酒法時代というと、あの超迷作にして超名作『遙かなる空の果て』があるぞ。 16:20:08

ラストショーについて(前書き)

日生劇場のOSK日本歌劇団『春のおどり』が終わりました。
二回しか見られなかった。ほんとは一回(土曜の夜の部)しか見られないはずだったんだけどなんとか千秋楽を日帰りで見にいって、二回観た。ムリしても二回観てよかったです。一回だったら誤解してたかもしれない。

1回目見終わった時は「……。うーむ」となってしまい、なのに周囲の評判というか「OSKスゴイ!」という声などが聞こえてきて「……。それはちょっと」という気持ちでいっぱいで暴れそうだったけど、一日おいて2回目に見て、気持ちはすっきりと落ち着いた。意味とか理由がわかったので。ああ、これは「OSKスゴイ!」と言われるのは、よくわかる。

この日生公演、2004年の松竹座『春のおどり』と、驚くほどよく似ている。作品の内容がじゃなくて、公演の“置かれた位置”というか、公演を“取り巻く空気”というか、舞台の上から“発する空気”とか、公演のクオリティとか、そういうものがすごく似ている。そのことに気がついて、ものすごくすっきりした。

今まであまり目立たず、苦労してやってきた劇団が、がんばってがんばって、格の高い大きな劇場で全員の公演を打った。そのことを知って、初めて観にきた客がたくさんいた。今まで観たことのないようなステージで「すごい!」という人もたくさんいた。元からいたファンは、とにかく盛り上げたいので、ポジティブな感想をガンガンあげる。みんながにっこり笑いながら、できるかぎり後押しをしてあげたいな、と思っている。心がひとつになっている。

……公演をとりまく空気というのはまさにこれ。2004春・松竹座と2013春・日生は、こういうところがほんとにそっくりです。思い返せば2004年の私は、相手が引くほどOSK(当時はNewOSKと言いましたが)のことを話題に出し(スポニチの競馬予想コラムにまでOSKのこと書いてた)、人を誘いチケットをプレゼントし、ブログで感動を吐露しまくり、多少でもネガティブな感想があると聞けば出かけていって議論を申し込み(というより難詰しに行き)、とイタイことやってたよなー。日生のあと、ネットに出てきた「OSKよかったー!」という感想に最初は「……何みてんだよ(-_-)」と思ったもんですが、ふと思い出した。私がむりやりチケットあげて誘った人は、その後強烈に大貴誠ファンとなり、そのアグレッシブな姿勢から「OSKファン界の狂犬」とまで呼ばれるまでに成長した人ですが、その人も最初に2004春を観て「OSKおもしれー!」って書いてたなあ。その「おもしれー!」の感じは、今回の日生公演を観て「OSKすごい!」「こんな日舞はじめて!」「おもしろい!」って言ってる人とそっくりだ。

そこが始まりだ。そこから進んでいけばいいのだ。

ということで、作品については不満が残るところがある。今回の日生の演目、日舞、洋舞をそれぞれ100としたら(点数じゃなくて、割合を表現するために仮に設定した数字です)、今までの松竹座公演で最高によかった日舞は250、洋舞で150ぐらいを叩きだしてるものがある。それを知っているので、私としては「こんなもんじゃない」と叫びたい気持ちでいっぱいである。ぞくぞくする、どきどきする、体の中からガクガクふるえてきてじっとしていられなくなる、という作品がOSKにはある。そこにプラスしてキュートさと一片の切なさ。そういう作品が出てくると私はもう、悦びでいてもたってもいられなくなるのだが、そこまでの作品ではなかった、これは。

ただ、そういう「すばらしいOSKの舞台」なんて三割あれば首位打者になれるぐらいのもので、めったにお目にかかれるものではない(とはいえ2007年までの松竹座ではそういうものがいくつも観られた)ので、そこに至らなかったからダメというのも酷な話だ。たとえば『JUJU』や『桜NIPPON』や『バーンザパッション』とくらべればずっっっっと良い。あの近鉄時代っぽい安っぽさというか趣味の悪さというかアカというか、そういうものとは無縁。この「清潔さ」は、2004年春のおどりで私は初めて見せてもらったものかもしれない(だからこそ、最高傑作じゃなくても、全力でホメ讃えることができたのだろう。いくらホメねばならぬという状況だったとしても、あれが『エンドレ』みたいなもんだったとしたら全力はつらかっただろう。必死で全力出しただろうが)(いや、でも、あの状況なら『エンドレ』になるはずはなかったな。だって大貴さんがいたんだもん)(って、そこの話をすると長くなるのでやめます)。品の良い、丁寧な作品である。スリルとサスペンスとセクシーさの3Sが欠けていたが、充分な良作だ。ただし、これを100とするなら、250の作品をOSKは見せることができるはずだ、……ということは、常に申し上げておきたい。

さて、今回良作であった、ということを前提に話を進める。

日生劇場で初めて観るOSKなのに、何か、すごく懐かしい感じがした。懐かしくてうれしいこの感じ。胸の中に、呑み込みきれないカタマリのようなものを抱えつつ、晴れがましいような気持ちで劇場を出る、この感じが……ものすごく懐かしい。春先のこのぬるんだような陽気の中で、なんだかぽーっとなってくるようだった。
この日生劇場で、暖かい目でOSKを初めて観て、OSKおもしろい!という方がたくさんいただろうな、ということがすんなりとのみこめる。
2004年春もそうだった。あの時に「OSKはおもしろい!」「OSKはすてき」と思った人はたくさんいた。今回のように。

しかしだ。

ほんとかウソか知らないが、「結局、松竹座公演でいちばん客が入ったのは2004春だった」という話がある。公演数が違うし、どうやって比較してるのかわかんないが、なんとなくわかる気がする。
2004年春の松竹座公演のあと、自主公演でその時につかんだ客をさらにがっちりつかんで熊手のようにかきあつめて固めて地盤にしなきゃいけなかったのに、あの時のOSKはそれができなかった。興味を持って世界館とか観にきた人が「うん、よかったよ」と口では言っても次は来るのをやめてしまうような、あるいは言葉もなく姿を消してしまうような、そういう作品を出してしまった。OSKの自主公演というのは、松竹の公演とくらべると、あからさまに低予算である。今回の日生を見て「衣装が安い」とか「セットが……」という感想を見ましたが、あれはOSK的には「豪華」なんです。松竹公演で安いといってもそれは単に値段が安い、ということでOSKの自主公演の場合は値段以上にセンスが安いです。ダイソーセンスです。ダイソーの店内みたいな色合いとデザインです。予算がないから、センスで工夫、という方向に行けないのが近鉄から引き続くOSKの弱点なのだった。OSKがいったん解散してNewOSKになって、そこのところをなんとかしようとがんばってはいたが……力尽きてしまった。2004年以降(現在に至るまで)、自主公演で「ファンを掴める可能性」「人様に堂々とお見せしてもいい」作品て、『バロン』ぐらいじゃなかろうか。あとは「ご贔屓の顔だけ見てガマン」「ファンだから必死に通うしかない」「あいたたたたた」「……ヤル気を失わせる」ような作品を、よくもまあというほど繰りだしてきた。
そして、頼みの綱の松竹公演も、ずりずりと、下がって、きていたと思う。そりゃ、観客動員も下がっていくでしょう。その状況に私は腹を立てていました。

今回の日生劇場公演で私がいちばん「よかった」と思ったのは、劇団員の必死さ、でした。

ひさしぶりに見たよこの必死さを。ほんとにひさしぶりだ。2004年春、秋、2005年春、までは確実にあって、そのあと徐々に失われていった「必死さ」。「松竹座という素晴らしい劇場で公演をするのだ」という緊張と喜びと恐怖。そういうものがさいきんはとんとなくなってしまい、チョンパで照明ついたら総踊りで扇の位置はバラバラ、着物は着崩れるわよれよれだわ、隊列の間隔もまちまち、鴨川の河原に座ってるカップルのほうがずっと等間隔だ、という有様で、いい加減にせーよ、と怒っていたら、日生劇場ってのはたいへんなもんなんですねえ。劇団員全員、上から下まで、緊張感に満ちあふれ、隅から隅まで鋭い針のようなものがぴしっと貫いているではないか。場内が暗転して、「はーるーのーおどりーはー」の声が震えていて、松竹座でそれやられたら「なんのツモリだ!」となるが、日生では笑いながら「がんばれ!」と思った。「よかったね、そんなになるぐらい、すごい劇場で公演をやってるんだよあなたたちは。そんなすごい劇場の中で、輝く照明を浴びて、もっと輝いてるよ」と言いたくなった。

それがもっともよく現れていたのが『鶴』で、私は去年の春に『鶴』を見て、何がいいのかさっぱりわからなかった。親鶴は力みすぎてるし子鶴はバサバサだし、日生で『鶴』をまたやると聞いて落胆していたのだが、今回見たらちゃんと鶴だった。親も子も。去年よりも子鶴の学年は下がったはずなのに、今年のほうがきれいで揃っていたってどういうことだろう。それはきっと、最下級生まで緊張感が行き渡っていたからだろう。良い緊張感が。緊張のあまり揃う。ふつうは逆だと思うんだけど、良い緊張感てのは、人を美しくさせるんですねえ。

しかし私は2004年からの流れを見ている。緊張感を持続するのはたいへんなことだ。でも、持続してくれないと劇団は崩壊する。残念な話だが、OSKの自主公演には期待が持てないのだ。予算もない人材(製作の)もない時間もない安易な公演をやって日生で「OSKって」と思った人を遠のかせないでほしい、けれど、きっとそういうことになってしまう(予想がはずれることを祈る)。それならばせめて松竹座や南座、そして日生劇場の公演が来年も続くとしたら、この四日間の張り詰めた緊張感を、維持してくれなくては。2007年は『バロン』が花火のようにぽつんと灯り、そして春のおどりで、(状況を知っていれば到底信じられないような、驚異的な力をみんなが発揮して)(その力の方向はそれぞれバラバラだったのだけれど)すごい作品をつくった。そこまでのものを見せても、OSKはその年に民事再生するはめになったのだが。

今さら2004年を思い出せ、といったって老人の繰り言みたいでイヤだったんだけど、日生なら先週の話だ。老人の昔話ではない。この日生を忘れないでください。この必死な真摯な舞台じゃなかったら、誰がOSKを見てくれるというのだ。

と、ここまでが前置きで(長いなー)、公演の内容についての感想を書きます。

タンゴのさー、桜花高世のキスシーンだが。もうちょっと色気というものを出しておねがい。ちっともドキドキしない。薄汚くないのはいいが(って、それは当然のことだが)、トートツすぎて笑っちゃったよ。

みどりのこあらさんが「タカラヅカの、子役が好きでない」と書いていて、ふーんなるほどなーと思った。確かにあれは気恥ずかしいものがある。でも私が子役よりもっと気になるのは「歌劇における老人」だ! 『エリザベート』の夜のボートの場面で後ろ歩いてる老夫婦とか、OSKだと『女帝を愛した男』←間違えました『ADDIO』です、『ADDIO』の冒頭に出てくる老尼僧。なんかこう、子役よりもっと、見ていて気恥ずかしいものがある。いちいちあんなに背中曲がってなくてもいいんじゃないか。それとヘタなシャガレ声。あれは老人の記号だ、っていったって、十円ハゲの坊ちゃん狩りヅラに半ズボンのコント小学生みたいな記号じゃなくたってよかろう。もっとふつうにやってくれ。
……ということで、老スターの高世さん牧名さん、もうちょっと、なんとか。

さすがに長すぎるので、今回の公演で私がいちばん「どーん……」ときた場面については明日にします。

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